おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

止められるか、俺たちを

2021-07-23 07:44:05 | 映画
「止められるか、俺たちを」 2016年 日本


監督 白石和彌
出演 門脇麦 井浦新 山本浩司 岡部尚
   大西信満 タモト清嵐 毎熊克哉
   伊島空 藤原季節 満島真之介
   吉澤健 高岡蒼佑 高良健吾
   寺島しのぶ 奥田瑛二

ストーリー
1969年春。21歳の吉積めぐみ(門脇麦)は、新宿のフーテン仲間のオバケ(タモト清嵐)に誘われ、ピンク映画の旗手・若松孝二率いる“若松プロダクション”の扉を叩く。
当時、若者たちを熱狂させるピンク映画を作り出していた若松プロダクションは、監督の若松孝二(井浦新)を中心とした新進気鋭の異才たちの巣窟であった。
小難しい理屈を並べ立てる映画監督の足立正生(山本浩司)、冗談ばかり言いながらも全てをそつなくこなす助監督のガイラ(毎熊克哉)、飄々とした助監督で脚本家の沖島勲(岡部尚)、カメラマン志望の高間賢治(伊島空)、インテリ評論家気取りの助監督・荒井晴彦(藤原季節)など映画に魅せられた何者かの卵たちが次々と集まってきた。
撮影がある時もない時も事務所に集い、タバコを吸い、酒を飲み、ネタを探し、レコードを万引きし、街で女優をスカウトし、そして撮影がはじまれば、助監督は現場で走り、怒鳴られ、時には役者もやる。
そんななか、めぐみは男でも逃げ出すピンク映画の過酷な現場に圧倒されながらも、若松監督の存在感と、いくつもの才能が集う若松プロの熱気に魅了されていく。
だがある日、めぐみに助監督の全てを教えてくれたオバケが、エネルギーの貯金を使い果たしたと若松プロを去っていき、めぐみ自身も何を表現したいのか、何者になりたいのか、何も見つけられない自分への焦りと、全てから取り残されてしまうような言いようのない不安に駆られていく。
1971年5月。カンヌ国際映画祭に招待された若松と足立は、そのままレバノンへ渡ると日本赤軍の重信房子らに合流し、撮影を敢行。
帰国後、映画「PFLP世界戦争宣言」の上映運動の為、若松プロには政治活動に熱心な多くの若者たちが出入りするようになる。


寸評
若松孝二、足立正生、大和屋竺、荒井晴彦、大島渚、松田政男、赤塚不二夫・・・僕たちの世代で青春時代に映画にいそしんだ者にとっては懐かしい名前がずらりと並ぶ。
これは若松プロの1970年代当時の様子を描いた映画ではあるが、「これは自分の青春時代だ」と思える作品に仕上がっている。
ここで描かれた年代は僕の学生時代とドンピシャで重なっているのだ。
この作品は若松プロの映画であることは間違いないが、同時に普遍的な青春映画になっている。
僕は学生時代に映画研究部に属していていっぱしの映画青年を気取っていた。
映画も年間150本~200本ぐらい観ては仲間と議論し合っていた。
芸術を論じ、エロ話で盛り上がり、政治を語っては熱くなっていた時代だ。
若松プロの事務所は、まるでクラブの部室のようである。
授業が終わった者、講義をさぼった者などが三々五々に集まってくる。
雑多な会話が繰り広げられ、やがて学内から姿が消えていき夜の街へと繰出す。
酒が入れば議論が活発化して、勢いが止まらなくなった者たちは誰かの家に転がり込む。
母子家庭で、2階を自由に使えた僕の家はたまり場だった。
酒を買い込み二次会が始まるが議論は治まりを見せない。
映画の中でも彼らが酒場に集いワイワイとやっている。
大島渚がテレビで稼いだ金で飲もうと皆に奢り、彼の作品である「絞首刑」について論じている。
懐かしい雰囲気である。
飲み屋は酒飲みが集まる場所ではあるが、そこには飲み屋文化とでもいうべきサロンが存在している場所でもあると思うのだが、酒を飲まない人には分かってもらえないだろう。

若松孝二はピンク映画の旗手としてその手の作品におけるヒット作を量産していた。
世相とマッチして、反体制の視点から描く手法は当時の若者たちから圧倒的に支持されていた。
商業主義的作品で金を稼ぎ、自分の撮りたい作品を撮ると言っている。
壁の中の秘事(1965年)、胎児が密猟する時(1966年)、犯された白衣(1967年)、処女ゲバゲバ(1969年)、ゆけゆけ二度目の処女(1969年)などを通じて若松孝二の名前は知っていたが当時は未見であった。
赤軍-PFLP・世界戦争宣言(1971年)が話題になったので、若松は学生運動を支持する左翼作家だと思っていたが、当の若松が「学生運動を支持するために映画を作ったことはなかった」と後年に語っていることを知った。
主人公は若松プロに在籍していた吉積めぐみで、女性ながら助監督の激務をこなしている。
助監督は雑用係でもあり、撮影中は監督から怒鳴られっぱなしである。
終盤に向けて「映画か、政治か」とか、「暴力無しでやるか、やられるか」とかが語られる。
同時にそれは、めぐみが「産むか、堕ろすか」で悩む姿とダブってくる。
めぐみの死は自殺だったのか、事故だったのかの結論は出していない。
彼らの映画を撮りたいと言う情熱は、時として絶望を生み出すのかもしれないが、しかし若松はドライである。
ラストシーンで若松監督は事務所に1人で残り、足立が書いたATG用のシナリオを「やっぱり駄目でしたわ」とATGの葛井に電話を入れるシーンで映画が終わるので、若松はドライな現実主義者だったのだと思った次第。


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