おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

マークスの山

2023-03-26 08:36:40 | 映画
「ま」ですが、今回は9本程度の紹介となりました。
前回は以下の作品でした。
2020/4/6からの「麻雀放浪記」から「毎日が夏休み」「幕が上がる」「マッシュ M★A★S★H」「マッチポイント」「マッドマックス 怒りのデス・ロード」「祭りの準備」「マディソン郡の橋」「マネーボール」「真昼の決闘」「瞼の母」「まほろ駅前多田便利軒」「まぼろしの市街戦」「間宮兄弟」「真夜中のカーボーイ」「マラソンマン」「マルサの女」「マルサの女2」「万引き家族」に続き、
2021/11/24からの「舞妓はレディ」から「マイ・バック・ページ」「マイ・フェア・レディ」「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」「股旅」「街の灯」「招かれざる客」「真昼の死闘」「まぶだち」でした。

「マークスの山」 1995年 日本


監督 崔洋一
出演 中井貴一 萩原聖人 古尾谷雅人 名取裕子 小林稔侍
岸谷五朗 西島秀俊 前田吟 萩原流行 岸部一徳
遠藤憲一 塩見三省 岩松了 豊原功補 角野卓造
寺島進 宮崎淑子 井筒和幸 大杉漣

ストーリー
東京・目黒区八雲で、暴力団吉富組元組員の畠山(井筒和幸)が殺害される事件が発生した。
遺体の頭部には、直径1センチ程の特殊な穿孔が認められ、それは事件の異常性を物語っていた。
この事件は、合田警部補(中井貴一)をはじめとする警視庁捜査一課七係が担当とすることになった。
数日後、今度は北区王子で法務省の刑事局刑事課長の松井(伊藤洋三郎)が殺される事件が起こった。
頭部の傷が畠山のものと酷似しているとの報告をうけた合田は、独断で解剖を許可してしまう。
ところが、それを知った王子北署の須崎警部補(萩原流行)が、合田の勝手な行動に怒りをぶつけてきた。
彼は本部からの連絡で、解剖を引き延ばすよう指示されていたのだ。
情報を流さない互いの捜査の仕方に、ライヴァル意識剥き出しの合田と須崎。
青山斎場での松井の葬儀は厳しい管理の下で執り行われ、彼らの動きは封じ込められてしまう。
辛うじて有沢(遠藤憲一)が入手した式次第から松井の経歴などが明らかにされ、畠山と松井を結んだ線上に修學院大学螢雪山岳会の同期という林原(小林稔侍)という弁護士が浮ぶ。
この男が事件の鍵を握っていると睨んだ合田は須崎と密会し、修學院大学螢雪山岳会という名を須崎に流す。
だが、それを調べていた須崎は、皇民憂国の会の片桐(大杉漣)と名乗る男に刺されてしまった。
一方、林原の留守に聞き込みを行った合田と有沢は、事務員と銀行員の会話から林原が恐喝されている疑いを持つのだった。
またその頃、高木真知子(名取裕子)という金町病院に勤める看護婦が、チンピラの銃弾に倒れ重傷を負うという事件が発生していたが、その犯人が畠山と同じ吉富組の人間だったことから、合田たちは彼女の身辺を洗い、彼女が以前勤務していた精神病院の元患者で、今は同棲相手の水沢裕之(萩原聖人)という若者の存在を知る。


寸評
う~ん、なんとも評価がむつかしい作品だ。
評価しづらいのは全体の構成というか、背景がさっぱり理解できない点にある。
犯人は序盤で分かっているから謎解き映画ではない。
なぜ連続殺人事件が起こっているのかが最後までよくわからなかった。
暴力団員の畠山と刑事課長の松井の殺害犯は同一人物なのだが、なぜ無関係なふたりが殺されたのかが明確でない。
連続殺人は学園闘争の内ゲバに原因しているらしいのだが、その揉め事の関係も不明確だ。
特に南アルプスで殺害された野村久志との関係がよく理解できなかった。
さらに分からないのは高木真知子と水沢裕之の関係だ。
看護婦だった高木真知子と患者だった、しかも精神病患者だった水沢裕之とがどうして半ば同棲するような関係になったのか意味不明だった。
まるで年上の飢えた女が若い男に狂ったような描き方だった。
僕の理解力不足なのかなあ・・・。

訳を分からなくしているのは精神病院での様子も一役買っている。
患者が他の患者のカマを掘り、監視員が遊び半分に患者をボコボコに殴って殺害し、そしてその監視員を絞め殺した患者が退院できて普通に生活できているのだ。
それを目撃していたのが高木真知子なのだが、ことの顛末は描かれていない。
血の付着したアイスハーケンが発見された時点で、それが凶器だということは分かるのに、わざわざグロテスクな検証シーンを挿入しているのだが、このシーンの必要性も不可解だ。
水沢は林原に鉄パイプでメッタ打ちにされながらも、なぜ生きていて南アルプスに登れたのか。
そういえば近距離から3発も撃たれて胸を撃ち抜かれた高木真知子が生存しているのも驚きだ。
ミステリーとして楽しんでもらうために意表を突いた展開にしていたのだろうか。

なんだかよくわからん映画なのに最後まで見せたのは、前半の日本の警察機構、官僚、政治等の国家権力の存在と、それを有する人々に対する合田や須崎という刑事、水沢、真知子という力を持たない一個人の非力さの対比があったからだ。
特に警察内部の派閥意識というのが各署、各班において必要なまでに描かれていて、僕はそれだけで映画の中に入り込んでいけた。
何せ相手を罵倒し、殴り倒し、コーヒーをぶっかけるような対立構造なのだ。
そのくせ、「起立! 礼!」では一斉に同調するという官僚機構そのものの様子が可笑しくもあった。

僕は学生運動にのめり込んだわけではないが全共闘世代ではある。
ゲバ棒を振り回した連中が、学生運動は卒業だと言わんばかりに社会の中枢で結構頑張っていたりしているので、MARKSが社会的地位を得るようになり、過去のことを封印している背景や心理はわかるような気がする。
犯罪を肯定するわけではないが当時の世情は理解できるので最後まで見られたのかもしれない。


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