「アリスのままで」 2014年 アメリカ
監督 リチャード・グラツァー / ワッシュ・ウェストモアランド
出演 ジュリアン・ムーア アレック・ボールドウィン
クリステン・スチュワート ケイト・ボスワース
ハンター・パリッシュ シェーン・マクレー
セス・ギリアム スティーヴン・クンケン
ダニエル・ジェロル ロサ・アレドンド
ストーリー
ニューヨーク、コロンビア大学で教鞭をとる言語学者アリスは、50歳になったその日、最高の誕生日を迎えた。
夫のジョンは愛のこもった乾杯の挨拶をしてくれ、長女のアナと彼女の夫チャーリー、医学院生の長男のトムも母を祝うために駆けつけた。
ロサンゼルスで女優を目指している次女のリディアだけは、「オーディションがあるから」と顔を見せなかった。
アリスは、次女リディアのことだけが気がかりだった。
そんなある日、アリスに突然の異変が襲いかかる。
UCLAに招かれた講演中に、言葉が思い出せなくなってしまう。
異変はそれだけでは終わらず、今度はランニング中に見知ったキャンパス内で迷ってしまう。
ジョンと一緒に病院を訪れたアリスは、若年性アルツハイマーと宣告された。
しかもそれは遺伝性のもので、子供たちにも遺伝すると言われ言葉を失うアリス。
翌日、アリスは家族に告白し、子供たちは唖然とする。
数日後の検査で、アナは陽性、トムは陰性であるということが分かり、リディアは検査を拒否した。
人工授精を控えているアナは気丈に振る舞って入るが、その声は震えていた。
学生からは授業への不満が殺到し、遂にアリスは大学を辞めざるを得なくなる。
夏、長い休暇を過ごすために海の避暑地を訪れたアリスは「私が私でいられる最後の夏よ」とジョンに告げる。
ある日、何気なく操作していたパソコンにアリスはある映像を見つける。
寸評
若年性アルツハイマー病を扱った作品として邦画では渡辺謙と樋口可南子が共演した堤幸彦監督の「明日の記憶」が思い起こされるが、あちらがエリートサラリーマンだったのに対し、こちらも主人公はニューヨークのコロンビア大学の教授を務めるエリートで知的な女性である。
映画として全体のバランスがとても良く、難病モノにありがちな感動の押しつけもなく、抑制的なタッチで描かれている点に好感が持てる。
仕事の面のみならず家庭面でも理想的な状態を築き上げ、日々強く生きてきたアリスが、若年性アルツハイマー病の宣告を受けた後に見せる人間としての弱さを、ジュリアン・ムーアは抑えた演技で的確に表現している。
時々いら立ちを見せるが、自尊心を保ちながら自分の病気を受け入れているように見える。
それでも、病気が進み、自宅でのトイレの場所が思い出せないために失禁してしまい、立ち尽くし泣きじゃくるアリスの姿をみていると痛ましくなってくる。
有能で社会的地位を築いていても、人間は所詮弱い動物なのだということを痛感させられる。
彼女を支える夫と3人の子供たちの描き方も絶妙といえる。
夫はアリスを愛し、必死に介護しているように見えるが、一方では仕事に気が行っている風でもある。
夫もエリートらしく冷静に対応しているし、好人物の印象を感じ取れるが、魅力的な仕事の話に乗って他の土地へ行こうとしている。
アリスが宣告された若年性アルツハイマーは家族性のものであり、長男のトムは陰性だったものの、不妊治療を続けている長女アナは陽性と宣告される。
罪はないが母親のアリスはアナに詫びる。
詫びられたところで何かが変わるわけでもない。
生まれてくる子供にも遺伝する可能性があるが、アナは双子を生む決心をする。
その間の苦悩は描かれているわけではないが、アナの夫チャーリーと共に随分と悩んだことだろう。
それでもやはり自分たちの子供は欲しい。
そんな状況がサラリと描かれているのがいい。
次女リディアはアリスの希望とは違って役者の道を歩んでいる。
家族の中でははみ出し者で、遺伝の検査も拒否している。
そのリディアとアリスのやり取りが、時に対立し、時にいたわり合いで家族の絆を感じさせる。
ドラマのハイライトの一つが、同じ病気の患者の集会シーンだ。
そこでのアリスのスピーチは力強く、気品にあふれている。
頭のいい人、意思の強い人はどこか違うのだと感じさせ、アリスが自分の最後を予期してとる行動にもそれが現れているのだが、それがアリスが意図した通りで実行されない展開も巧みなものだ。
映像ファイルは偶然発見しているし、問題児のリディアが安楽死を阻止する原因を作る。
ラストシーン、リディアの決断で締めくくるのは映画的ではあるが少々の甘さを感じる。
ジュリアン・ムーアはアカデミー賞の主演女優賞を獲得したが、ラストの展開を工夫していれば作品賞もとれたのではないかと思う。
監督 リチャード・グラツァー / ワッシュ・ウェストモアランド
出演 ジュリアン・ムーア アレック・ボールドウィン
クリステン・スチュワート ケイト・ボスワース
ハンター・パリッシュ シェーン・マクレー
セス・ギリアム スティーヴン・クンケン
ダニエル・ジェロル ロサ・アレドンド
ストーリー
ニューヨーク、コロンビア大学で教鞭をとる言語学者アリスは、50歳になったその日、最高の誕生日を迎えた。
夫のジョンは愛のこもった乾杯の挨拶をしてくれ、長女のアナと彼女の夫チャーリー、医学院生の長男のトムも母を祝うために駆けつけた。
ロサンゼルスで女優を目指している次女のリディアだけは、「オーディションがあるから」と顔を見せなかった。
アリスは、次女リディアのことだけが気がかりだった。
そんなある日、アリスに突然の異変が襲いかかる。
UCLAに招かれた講演中に、言葉が思い出せなくなってしまう。
異変はそれだけでは終わらず、今度はランニング中に見知ったキャンパス内で迷ってしまう。
ジョンと一緒に病院を訪れたアリスは、若年性アルツハイマーと宣告された。
しかもそれは遺伝性のもので、子供たちにも遺伝すると言われ言葉を失うアリス。
翌日、アリスは家族に告白し、子供たちは唖然とする。
数日後の検査で、アナは陽性、トムは陰性であるということが分かり、リディアは検査を拒否した。
人工授精を控えているアナは気丈に振る舞って入るが、その声は震えていた。
学生からは授業への不満が殺到し、遂にアリスは大学を辞めざるを得なくなる。
夏、長い休暇を過ごすために海の避暑地を訪れたアリスは「私が私でいられる最後の夏よ」とジョンに告げる。
ある日、何気なく操作していたパソコンにアリスはある映像を見つける。
寸評
若年性アルツハイマー病を扱った作品として邦画では渡辺謙と樋口可南子が共演した堤幸彦監督の「明日の記憶」が思い起こされるが、あちらがエリートサラリーマンだったのに対し、こちらも主人公はニューヨークのコロンビア大学の教授を務めるエリートで知的な女性である。
映画として全体のバランスがとても良く、難病モノにありがちな感動の押しつけもなく、抑制的なタッチで描かれている点に好感が持てる。
仕事の面のみならず家庭面でも理想的な状態を築き上げ、日々強く生きてきたアリスが、若年性アルツハイマー病の宣告を受けた後に見せる人間としての弱さを、ジュリアン・ムーアは抑えた演技で的確に表現している。
時々いら立ちを見せるが、自尊心を保ちながら自分の病気を受け入れているように見える。
それでも、病気が進み、自宅でのトイレの場所が思い出せないために失禁してしまい、立ち尽くし泣きじゃくるアリスの姿をみていると痛ましくなってくる。
有能で社会的地位を築いていても、人間は所詮弱い動物なのだということを痛感させられる。
彼女を支える夫と3人の子供たちの描き方も絶妙といえる。
夫はアリスを愛し、必死に介護しているように見えるが、一方では仕事に気が行っている風でもある。
夫もエリートらしく冷静に対応しているし、好人物の印象を感じ取れるが、魅力的な仕事の話に乗って他の土地へ行こうとしている。
アリスが宣告された若年性アルツハイマーは家族性のものであり、長男のトムは陰性だったものの、不妊治療を続けている長女アナは陽性と宣告される。
罪はないが母親のアリスはアナに詫びる。
詫びられたところで何かが変わるわけでもない。
生まれてくる子供にも遺伝する可能性があるが、アナは双子を生む決心をする。
その間の苦悩は描かれているわけではないが、アナの夫チャーリーと共に随分と悩んだことだろう。
それでもやはり自分たちの子供は欲しい。
そんな状況がサラリと描かれているのがいい。
次女リディアはアリスの希望とは違って役者の道を歩んでいる。
家族の中でははみ出し者で、遺伝の検査も拒否している。
そのリディアとアリスのやり取りが、時に対立し、時にいたわり合いで家族の絆を感じさせる。
ドラマのハイライトの一つが、同じ病気の患者の集会シーンだ。
そこでのアリスのスピーチは力強く、気品にあふれている。
頭のいい人、意思の強い人はどこか違うのだと感じさせ、アリスが自分の最後を予期してとる行動にもそれが現れているのだが、それがアリスが意図した通りで実行されない展開も巧みなものだ。
映像ファイルは偶然発見しているし、問題児のリディアが安楽死を阻止する原因を作る。
ラストシーン、リディアの決断で締めくくるのは映画的ではあるが少々の甘さを感じる。
ジュリアン・ムーアはアカデミー賞の主演女優賞を獲得したが、ラストの展開を工夫していれば作品賞もとれたのではないかと思う。
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