三日間に及ぶ移動を経て、目的地まで辿り着く過程は前回までに述べた。
四日目
・モンゴルとロシア国境付近をとうとうと流れるシシクド川。大本流と言っても差支えない、太く強い流れだ。
我々がはるばる目指したこの川は前日の大雨によって濁流と化し、四日目も早朝から竿を出すがご覧の流れだ、苦戦を強いられる。
普通、川は上流から濁り始め、その濁りが澄み始めるのも上流からであることを考えると、これだけの流れであるからして、あと数日はタフなコンディションと正面から向き合わなくてはならないようだ。
・シシクド川の最大の特徴は、ジープでも岸沿いを走破出来ない事からわかるように、移動の困難さにあるといえよう。
川沿いを移動したくとも、写真のように川岸まで迫る切り立った崖をよじ登り、下り、草原をひたすら歩き、足元の悪い原生林を抜けてと、移動は徒歩に頼る以外まったくない。
もちろん8~10fのロッドを担ぎ、ルアーやミネラルウォーター、昼食その他を詰めたリュックを背負い、ウェーダーを履いてのフル装備で、毎日10km以上を歩くことになるのだ。
前回のチョロート川でも繰り返し崖を下るなど厳しい釣行を強いられたが、それでもポイントごとの移動では車が使用出来た。この点一つとってみても、シシクド川はチョロートをはるかに上回る厳しさであると言える。
ポイントが多いのであればさして問題は無いのだろうが、タイメンという魚は狙うべき場所がかなりハッキリとしている魚であり、残念ながらそういうポイントはそう多く存在しない。
基本的に半夜行性であることから、日の高い、普通我々の釣りが成立する時間帯には少し流れが淀んだ深みに身を潜めていることが多いと推測できる。
そして夕方の、ある特定の時間になるとフィーディングポイントへと出て来、捕食をするのだ。
ここにポイント選びの大きなヒントがある。自然界の生物というものは、意味を持たない無駄な行動というものは極力省くものであろうことから、スリーピングポイントとフィーディングポイントとが出来るだけ隣接しているのが理想となる。
今日はダイエットのために少し遠出してみようか?などどは考えず、最小のエネルギーで最大の効果を得ようとするハズなのだ。きっとそうなのだ。
そして大きな個体になればなるほど、この条件を満たすポイントを己の縄張りとする傾向が俄然強くなるのだと、私は考えている。
ところで。
この川の大自然は見事であり、一見では場荒れなどとは無縁と思えるが、それでも釣り人の手を逃れることは出来ないようだ。
今年こそまだシーズンは始まったばかりで、ほぼ我々が最初の釣り人であろうが、各ポイントへの足跡、焚き火の跡、ロッジの稼働状況などから決してタイメン処女地ではないと推し量れる。
ロッジでガイドも兼ねている若きモンゴル人、シャルが言う。
‘ここのタイメンは皆、ルアーをよく知っているよ。餌などで釣られたことのある個体も多いから、ルアーは派手な色よりナチュラルなものが良いよ‘ と。
釣り人の数と比較して魚が少なくスレているという普遍の事実を、日本のみならずここモンゴルの奥地でも耳にし、いささかうんざりする。
聞くと、主に東欧からの釣り人がUBからヘリコプターをチャーターして乗り込んでくるそうである。東欧やロシアの釣り人は餌師が多い。まずグレイリングをフライで釣り、これを餌にタイメンを釣る。間接的フライフィッシングであるらしい。
ならば最後までフライオンリーでタイメンに挑めばよいものを。だがそれが尊敬すべき、大陸の川の王様と正面から渡り合い、知恵を絞り勝負する方法だとはあまり考えないらしい。
この時も実際に東欧からのグループが滞在していたが、やはりメインは餌釣りであるらしかった。
餌釣りはすべての釣りの基本であるし、それ自体を全く否定はしないが、よりによってタイメンを餌で片っ端から針に掛けるのは、果たしていかがなものであろうか。
釣りは文化が伴わないと、ともするとただの狩りになってしまうのではないか。
どんなに山奥まで出向いても、そうは簡単に桃源郷とは出会えないものであるらしく、ここも決してタイメン安息の地ではないとわかる。
やっぱりだ、ネ。
・pm 21:00頃。
夕食の後もロッジの近くで竿を出すが、、
ほどなく雨になったと思ったら、みぞれが交じり始める。
寒い。
まったく好転の兆しが見えぬ。
かろうじて、レノックはあたる。
だがビッグタイメン用のタックルが彼らには大き過ぎるのか、それとも低活性からか、なかなか寄せきれない。
この日は誰も、タイメンからの反応を得ることが出来なかった。
五日目~七日目
・雪になった。
五日目も、六日目も雪が降った。
濁りに加え、かなりの水温低下を覚悟しなくてはならない。
高水温時ならともかく、まだ春先の水温低下は活性を下げるだけだろう。
モンゴルはタフだ。
春とは言っても朝晩は冷え込み、ストーブが欠かせない。
雪も降るが、日が差せば途端に汗ばむほど寒暖に差がある。
一日で四季が味わえると言えるだろう。
ここに来てから、毎日朝、昼、晩と釣っている。
雨が降ろうと、雪が降ろうと。
朝は四時か五時には起床し、朝食まで近場をやる。
早朝は冷え込むので、寒さに我慢できない誰かがストーブに火を起こすために起きることになる。
現地でともに寝起きしているモンゴル人もストーブの様子を見に来てくれるのだが、それにもまして早起きである岡田さんがストーブの世話をして下さることがほとんどだ。
パチパチと薪が心地良い音を立ててはじける、程よい熱気が我々のロッジを満たし始める頃、気合いでシェラフから這い出る。
眠い目をこすりこすり、前夜のアルコールと徐々に蓄積する疲れからいくらか重い体を気力で奮い立たせ、乾く間もないウェーダーにそろそろと足を突っ込む。
早朝は、川を流れゆく水音がひときわ存在感を増し周囲を支配する。空気は凛と張り詰め、唐突に、この大自然の中で異物は自分ひとりだけだと、密かに疎外感を覚える。
息は白い。この川の冷たい流れに潜むタイメンを思いながら、いま一度、かじかんだ手のひらに息を吹きかける。
・雪化粧の中、ポイントからポイントへと歩く。
日中は日中で、しっかりと釣る。
前述のように一時間から二時間、距離にして10kmからを歩き、だいたい午後五時か六時頃まで釣り、来た道を引き返す。帰りすがら、何かしらの反応があった有望ポイントを再びチェックもする。
ロッジの近場でも釣りになるのだが、少しでも多くのポイントを攻めてみたい欲求と、ロッジから遠いほどビッグタイメンに出会えそうだという錯覚から、上流へ、下流へと出来るだけ歩いてみるのが日課だ。
午前中はロッジで寝ていて、午後のイイ時間から釣りに出かけ、日没前後を集中して釣り、日が完全に落ちてから暗闇の中を戻ってくるというやり方もある。
こちらの方がタイメンの習性に合わせた効率の良い釣りと言えるのだが、初めてのフィールド、事故を防ぐためなどの理由もあり、我々は日中の釣りに重点を置くスケジュールを組んだ。
朝早く起床し、夜は一度ロッジまで戻る。ひとつのパーティーである以上、出来るだけ皆で夕飯を共にすると決めたのだ。
・川の規模が良くわかる一枚。
私が右端で釣っているので、どうぞ比較対象に。
・流れは強い、このぐらい立ち込むのは稀だ。
私と言えば不甲斐ないばかり。
せっかく掛けたタイメンは足元でのやり取りで逃した。70cmほどの少し赤銅色を帯びたタイメンが半身を晒すところまで寄せたが、最後のひと捻りでいとも簡単に外された。
焦りからなのか、集中力の無さが原因なのか。
フィニッシュがちょっと雑だったんじゃない?と近くでやり取りを見ていた岡田さんが仰る。
時折、タイメン?と思わせる大型のレノックも喰って来るのだが、なぜか上手くキャッチ出来ない。バーブレスフックだから、は一理はあるがそれだけではない。
私が、フィールドに上手くフィットしていないのだ。
引き換え、岡田さんは大型は出ないものの50~70cmまでのタイメンを一日に一匹ずつながら確実にキャッチしているという。一日一善だ、などと当然のように笑顔で仰る。
別々のポイントで釣っているため、私はそのタイメンを拝めないでいるが今釣行のために制作したファット120、11.5cmMDなどでキャッチしているそうなので、ルアーの差ではない。
フライでチャレンジしている山中さんも七日目だったか、タイメンの顔を見、永井さんはレノックのキャッチのみで、タイメンには出会えずにいるようだ。
・岡田さんが11.5cmMDでキャッチしたグレイリング。グレイリングとしては大きく、40cmを超えている。
帆のように長い背ビレを持ち、色鮮やかなのが特徴だ。
グレイリングは雑食だが、見ての通りのおちょぼ口で虫を多く捕える。必然、大きなミノーよりも小さめのスプーンやスピナーを好むため、このようにタイメンを狙っていた11.5cmMDにアタックしてくることは少ない。
フライだと時折り入れ食いになる。
この川が本来豊かなのは確かなようで、暖かい午後にはトビゲラや大型のカゲロウが凄い数で飛び交っている一例を見るだけでよくわかる。
このトビゲラなどにグレイリングが盛んに水面でライズするのだ。もちろんレノックも混じる。
これほどの数のグレイリングに、かつて他の川でお目にかかったことは無かったから、これにまず一同は驚いた。特に岸際、水面に木々が近く、覆いかぶさるあたりなどはピシャッ、ピシャッとライズ音が絶えない。
その波紋は夕立ちを思い起こさせる。
幼魚に交じって、時折り大型のグレイリングなども派手な音を立ててライズするから、近くで釣っていると心臓に悪いのである。
残念だったのは、このような暖かい午後は我々の滞在中に一日しかなく、せめて二、三日続いてくれれば、ハッキリと釣果は変わってきたであろうということだ。
タイメンの好物がこのグレイリングの若魚であることからも、この時期の暖かい午後は夕マズメの釣果にモロに直結するのだ。
実際に私が足元でバラしたのも、岡田さんがファーストタイメンをキャッチしたのもこの日の午後だった。
このように生命感にあふれた午後も、翌日以降気温が下がるとピタっと蓋をされたように静かになり、ライズ一つ起こらないから、自然の正直さを思い知らされる。
私は、どうやら魂を日本に置き忘れてしまったようだ。
脱け殻だけで、モンゴルを釣っている。
どうも全身でこの地に浸れない、疎外感にも似た何かを拭えないままでいるのだ。
何かが足りないのか。
それとも過剰なのか。
夕飯を済ませてもまだ外は明るい。
pm22:00過ぎまで、明かりが無くても十分釣りになる。
川のコンディションがいま一つであり、少しでも釣る時間を増やす必要があることと、何よりもきっかけを掴めないでいる自分を少しでも立て直すために、真っ暗になったら釣りを止める、という自身に課した条件の中で今晩も川辺に立つ。
七日目の晩、pm20:30頃。
50cmほどのタイメンが釣れた。
小さいが、銀色に輝きとても美しい。
写真を撮ろうか、一瞬迷った。
と、足元をすり抜け、もとの流れの中にするり、とすべり込むように戻って行った。
喜びが沸いてくる、とまではとてもいかないが、これが何かを少し変えてくれるのかも知れない。
明日がここでのラストチャンスになる。
モンゴルは私にとっていまだタフなままであり、容易に魂を運んで来てはくれぬ。