私は日々の暮らしの、特にその物資供給面をほぼアマゾン通販によって成り立たせている。1本82円のペットボトル飲料から、2本で3,000円の1800mlパック日本酒や1個150円の袋入りラーメンまで、私は足りなくなった必需品をアマゾンの通販サイトでその都度買い足し、日々の生活をやりくりしている。
これは私が近所の小売店で買い物のできない要介護の障害者であり、いわゆる「買い物難民」るため、やむを得ない「生活の知恵」のようなものなのだが、見様によっては、私は政府肝いりの「デジタル田園都市国家構想」の、その先鞭をつけているともいえる。少なくとも私の居住地が、田んぼもあれば畑もある地方の一「田園都市」であることは間違いない。
地方の「田園都市」に住み、デジタル・テクノロジーの恩恵に頼って生活を成り立たせている点で、私は紛れもなく「デジタル田園都市」の住人なのである。
政府の「デジタル田園都市国家構想」は、元はといえば、地方に仕事の場を作ることにより、衰退著しい地方の活性化を実現しようとする国家政策の一環である。他方、私の場合はといえば、年老いたリタイア老人であることもあって、(稚拙な)デジタル・スキルを仕事に結びつける気などさらさらないし、そんなことでお国のために役立とうという気概もない。
政府の「デジタル田園都市国家構想」には、年金でかつかつ生きる私のような老人が何か便益を得られるような仕組みは考えられているのだろうか。ーーこう言ったからといって誤解しないでいただきたいのだが、私はべつにそれを望んでいるわけではないし、そんな配慮は余計なお世話だと考えている。
「仕事」や「活性化」だけがことさら強調され、無職のリタイア老人が気兼ねや息苦しさを感じる社会になったのでは、元も子もない。政府の「デジタル田園都市国家構想」は、一つ間違えると、のんびり・のほほんの生活を望む高齢者には、「要らぬお節介」になるのではないか。そんな懸念を禁じ得ないのである。