戦前の日本、第二次世界大戦に敗けるまでの日本では、統治者である天皇は、この世に降臨して我が国を作った二神、イザナギとイザナミの、その正統なる子孫であり、つまりは「現人神」であると信じられていた。教育により、被治者をそのように信じ込ませる言説の体系が存在した。いわゆる国家神道としての日本神道である。政治哲学では、このような言説の体系を「クレデンダ」という。ブリタニカ百科事典には、次のようなうまい解説がある。
「単に物理的な力だけでは支配を永続させることはできない。被治者の情動や知性に訴えて、その正当性を承認させなければならない。C.E.メリアムはこのことをミランダとクレデンダに分けて説明した。前者は記念日、音楽、旗、儀式、デモンストレーションなどの情緒的、呪術的な象徴形式によって権力や集団への帰属感、一体感を促すものであり、後者は理論、信条体系、イデオロギーなどの知的、合理的な象徴形式によって正統性信念を育成するものである。」
(「コトバンク」より)
敗戦後の日本を統治したGHQ(連合国軍総司令部)は、旧統治者の天皇に「人間宣言」を行わせたが、これは(メリアムのいう)「(戦前日本の)クレデンダ」を否定することによって、それまでの旧い支配−服従関係を打破しようとしたためである。
敗戦後世代の我々は、今、そのようなクレデンダが失われた社会に生きているため、当時の被治者が「天皇は現人神であられる」と信じ込んでいたことを想像すらできないが、それはある意味当然のことなのである。
さて、問題のプーチンだが、彼はしきりに「汎スラヴ主義」の言説をふりまき、「ロシアとウクライナは一つの民族だ」と国際社会に信じ込ませようとしている。これは、自己のウクライナ支配の正統性を基礎づける新たなクレデンダを樹立しようとする意図から出ていると言えるだろう。
しかし、プーチンの「汎スラヴ主義」の言説を信じるウクライナ人はごくごく僅かであり、そうである以上、これがプーチンのウクライナ支配を正当化する「クレデンダ」になることは、まず不可能である。プーチンは自らのウクライナ支配の正当性を示すことができず、そうである限り、やはりウクライナとの戦いの勝者になることはできないのである。