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ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

博打を推進する理由

2016-12-03 14:08:12 | 日記
カジノを合法化し、事実上解禁する「統合型リゾート(IR)整備推
進法案」(カジノ法案)が、先ごろ、衆院での採決をめざして、審議
入りした。自民党は、2日の委員会で採決したうえ、6日の衆院本会議
で採決に持ち込むことを考えている。

この件をめぐり、新聞各紙がこぞって社説をかかげている。タイトル
は以下のとおり。

朝日《カジノ法案 危うい賭博への暴走 》
読売《カジノ法案審議 人の不幸を踏み台にするのか》
毎日《カジノ法案 唐突な採決に反対する》
産経《カジノ解禁法案 懸念解消を先送りするな》

以上はいずれも11月2日付の社説。以下は11月3日付の社説である。

日経《拙速なカジノ解禁は問題多い》

タイトルからも分かるように、列挙したこれらの社説は、どれも主旨
に変わりはない。私がまとめてもよいのだが、それよりも、説得力の
ある毎日の社説の表現をお借りすることとし、その一部を抜き書き風
に引用しておこう。

法案は、カジノや会議場、ホテルなどが一体となった施設の整備をう
たう。 法案が成立し、カジノができれば、建設需要や雇用が創出さ
れ、海外からの観光客増加による経済効果も高いと推進派は主張す
る。だが、収益のほとんどは海外資本に吸い上げられるとの指摘があ
る。
ギャンブル依存症問題も避けて通れない。パチンコなどが広く普及す
る日本で依存症は深刻だ。しかし、法案に(依存症対策の)具体策は
書き込まれておらず、対応は先送りされた格好だ。
マネーロンダリング(資金洗浄)や、青少年の健全育成への影響など
他にもマイナス面の指摘は多い。
そもそも賭博は刑法で禁じられている。カジノを例外とする根拠はど
こにあるのか。

以上が毎日の社説《カジノ法案 唐突な採決に反対する》からの抜き
書き風コピペである。これは、ごくごくまっとうな意見ではないだろ
うか。新聞各紙の論説の趣旨がほぼ一致していることも、このことを
裏打ちしている。

自民党が提出したカジノ法案。これには世論(を代表する新聞の社
説)がこぞって反対しているのに、それでも自民党は、なぜ採決を急
ごうとするのか。カジノの建設がもたらす経済効果が、採決を強行す
るホントの理由であるとは考えられない。それなのになぜ?

この私の疑問を解いてくれたのが、ライブドアニュース「リテラ」の
記事である。それによれば、自民党の安倍首相は、"パチンコ業界のド
ン"と蜜月関係にあるのだという。そのドンとは、パチンコ・パチスロ
最大手であるセガサミーホールディングス会長の、里見治氏である。
里見氏が会長をつとめるセガサミーは、韓国のカジノ企業と合弁会社
「PARADISE SEGASAMMY」を設立し、カジノ利権の主導権を握ろう
と企てている。
(以上、リテラ12月2日付《カジノ法案が審議2日で強行採決! 背後に
安倍首相とカジノ利権狙う“パチンコのドン“セガサミー会長の癒着》に
よる)

安倍首相は、こうした里見氏の意向を受けて、カジノ法案の強行採決に
邁進している。

政治とは、主義や信条を貫くことである以上に、さまざまな利害を調
整する塩梅の技術である。――この自説を、私は折に触れて述べてきた
つもりだが、この意味でいえば、安倍政権の政治は明らかに失格であ
り、落第だと言わなければならない。

ここには、利害関係を持った二つの項がある。一方の項は、カジノ企
業を経営する里見氏であり、もう一つの項は、ギャンブル依存症にお
ちいる一般庶民である。安倍首相はこれら二つの項の利害を「調整」
しようとしているのではない。一方の利害関心を体現してこれをごり
押ししようとし、それによってもう一方がこうむる多大の損失には、
目をつぶろうとしているのだ。

これが政治といえるのだろうか。似非(えせ)政治のこういうでたら
めが、悲しいことに、政治の裏側には付きものなんだよなあ。

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サイバー・ウォーズ

2016-12-02 16:18:46 | 日記
現代の戦争は限りなくポストモダンの様相を呈している。というのも、
その主たる戦場は、サイバー空間というヴァーチャルな空間になるから
である。それももっともな話で、テクノロジーが発達した現代では、コ
ンピュータ・ネットワークによる組織運用が欠かせない。今や一般企業
でも、各部署の管理や運営にも、工場における機器の調整や管理にも、
コンピュータ網による制御が不可欠のものになっている。先鋭的な武器
を配備し、大勢の兵士を組織的な行動に駆り立てる軍事組織ともなれ
ば、それだけハイ・スペックなコンピュータのニーズも高まるだろう。

各軍事組織は秘密保持の必要から、閉じたネットワーク・システムを形
成しているが、そのシステムに外部から侵入して、内部の情報の流れを
撹乱することができれば、相手(敵)の組織に甚大な打撃を与えること
ができる。やり方次第では、銃剣も核爆弾も使わずに、敵の陣営に壊滅
的なダメージを与えることだってできるのだ。それが、限りなくポスト
モダンの様相を呈する現代の戦争というものである。

これが戦争のまとう現代の形だとしたら、現代の軍備増強論はどのよう
な形をとるだろうか。

産経新聞の社説(9月1日付)は、次のように述べている。

米軍の「サイバー任務部隊」は、2018年9月までに6200人態勢
にすることを目指している。米軍ならではの規模だが、自衛隊のサイ
バー防衛隊が約100人にすぎないのは貧弱すぎる。

 自衛隊は、冷戦期に定着した陸海空の編制にとらわれすぎていない
か。陸海空に並ぶ「サイバー戦部隊」に発展させる決断が求められてい
る。これを阻害する縦割りの弊害は排すべきだ。
 監視、防衛の能力を高めることはもとより、サイバー空間を経由して
反撃し、敵の軍事システムを破壊する攻撃力の育成もためらってはなる
まい。
 それは、敵の新たな攻撃を抑止し、かつ防御方法を研究する上でも不
可欠だからである。
        (《サイバー攻撃 「第5の戦場」を勝ち抜け》)

私はかつて本ブログで、戦争の将来の姿を予測して、次のように書いた
ことがある。

「ロボットスーツを着用し た兵士と、ヒューマノイドの兵士が最先端の
兵器を操って、派手に 殺し合い(?!)を演じる世界は、ゲームの仮想世
界にとどまらず、 現実のすぐ間近まで来ている。」

こうしたことに加えて、上記のような次第で、サイバー空間で戦われる
のが将来の戦争の形だとしたら、この戦争は、AI(人工知能)を操作し
て囲碁や将棋やチェスの勝負をするのとちっとも変わらなくなるだろ
う。いっそのこと、次の戦争は、各国が自国のAIの優劣を競い、その勝
敗によって領土(といっても、サイバー空間上の)をやり取りする、と
いったものにしたらどうだろうか。
プロブラミングに長けたハッカー少年が「国民の英雄」になる日は近
い?!
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天皇の地位とは

2016-12-01 13:46:03 | 日記
天皇の退位問題が世間をにぎわせている。この問題を検討する有識者会
議が、このほど、三回目のヒアリングを終えた。この問題をテーマにし
た読売のきょう(12月1日)の社説《「退位」意見聴取 憲法上の疑義
は拭えるのか》は、次のように伝えている。

麗沢大教授の八木秀次氏は「退位を認めると、即位拒否や短期間での退
位も容認せねばならず、皇室制の存立を危うくする」と主張した。退位
は「国家の制度の問題であり、天皇の意向に左右されるものではない」
とも指摘した。

う〜ん、なるほど、ごもっとも。

あらかじめお断りすれば、私はこの問題について、はっきりした見解を
持っているわけではない。そもそも天皇の退位にはさほど関心を持て
ず、容認でも反対でも、どちらでもよいと思っている。そんな私の関心
の、そのひからびた触手が、上記の八木氏の発言内容には、びびっと反
応した。八木氏が右翼の論客であるとかないとか、そんなことはこの際
どうでもよい。

八木氏の発言に触発されて、私は福沢諭吉のことばを思い起こしたので
ある。福沢は「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」と言い、「家老
の家に生まれれば馬鹿でも愚鈍でも家老、足軽の家に生まれればいくら
優秀でも一生足軽のまま」といった封建制度に対して、激しい怨嗟のこ
とばを投げつけた。

この見方からすれば、天皇制こそ門閥制度の最たるものだということに
なるだろう。天皇の家に生まれれば、どんな人物でも天皇になれるのだ
から、「天皇っていいなあ」と思う人にとっては、この制度によって天
皇に即位した/できた人は垂涎の的であり、また、ジェラシーの的にも
なるだろう。

しかし、この制度によって天皇に即位する人、あるいは即位した人が、
「天皇って大変だし、嫌だなあ」と思っているとしたら、この制度は彼
にとっては、自分をがんじがらめに縛りつける重い鉄鎖のように感じら
れるだろう。「職業選択の自由という基本的人権が、私には認められて
いないのか!」、「フツーの人は高齢になれば、定年退職して悠々自適
の生活が送れるのに、私にはそれが許されないのか!」、そう思うだろ
う。

八木氏の発言は、皇位継承の対象になる皇族のほとんどが即位を嫌って
いる、という前提に立った議論である。その意味で、憶測に基づいた議
論だと言えなくもない。天皇の暮らしぶりに常日頃、身近に接していれ
ば、天皇という束縛の多い地位には嫌気がさすはずだ、という推測もあ
ながち的外れではないから、八木氏の発言は説得力を持つのだろう。

しかし、八木氏の発言のこの前提が正しいとしたら、現行の天皇制は、
即位を嫌がる人を無理やり縛りつけて、「国民統合の象徴」に仕立て上
げる制度だということになる。「象徴」の地位に就くことを嫌がってい
る人を「象徴」の地位に祭り上げるなんてなあ。それもフィクションの
上塗りのようで、なんだかなあ・・・。
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