ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

天皇の地位とは

2016-12-01 13:46:03 | 日記
天皇の退位問題が世間をにぎわせている。この問題を検討する有識者会
議が、このほど、三回目のヒアリングを終えた。この問題をテーマにし
た読売のきょう(12月1日)の社説《「退位」意見聴取 憲法上の疑義
は拭えるのか》は、次のように伝えている。

麗沢大教授の八木秀次氏は「退位を認めると、即位拒否や短期間での退
位も容認せねばならず、皇室制の存立を危うくする」と主張した。退位
は「国家の制度の問題であり、天皇の意向に左右されるものではない」
とも指摘した。

う〜ん、なるほど、ごもっとも。

あらかじめお断りすれば、私はこの問題について、はっきりした見解を
持っているわけではない。そもそも天皇の退位にはさほど関心を持て
ず、容認でも反対でも、どちらでもよいと思っている。そんな私の関心
の、そのひからびた触手が、上記の八木氏の発言内容には、びびっと反
応した。八木氏が右翼の論客であるとかないとか、そんなことはこの際
どうでもよい。

八木氏の発言に触発されて、私は福沢諭吉のことばを思い起こしたので
ある。福沢は「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」と言い、「家老
の家に生まれれば馬鹿でも愚鈍でも家老、足軽の家に生まれればいくら
優秀でも一生足軽のまま」といった封建制度に対して、激しい怨嗟のこ
とばを投げつけた。

この見方からすれば、天皇制こそ門閥制度の最たるものだということに
なるだろう。天皇の家に生まれれば、どんな人物でも天皇になれるのだ
から、「天皇っていいなあ」と思う人にとっては、この制度によって天
皇に即位した/できた人は垂涎の的であり、また、ジェラシーの的にも
なるだろう。

しかし、この制度によって天皇に即位する人、あるいは即位した人が、
「天皇って大変だし、嫌だなあ」と思っているとしたら、この制度は彼
にとっては、自分をがんじがらめに縛りつける重い鉄鎖のように感じら
れるだろう。「職業選択の自由という基本的人権が、私には認められて
いないのか!」、「フツーの人は高齢になれば、定年退職して悠々自適
の生活が送れるのに、私にはそれが許されないのか!」、そう思うだろ
う。

八木氏の発言は、皇位継承の対象になる皇族のほとんどが即位を嫌って
いる、という前提に立った議論である。その意味で、憶測に基づいた議
論だと言えなくもない。天皇の暮らしぶりに常日頃、身近に接していれ
ば、天皇という束縛の多い地位には嫌気がさすはずだ、という推測もあ
ながち的外れではないから、八木氏の発言は説得力を持つのだろう。

しかし、八木氏の発言のこの前提が正しいとしたら、現行の天皇制は、
即位を嫌がる人を無理やり縛りつけて、「国民統合の象徴」に仕立て上
げる制度だということになる。「象徴」の地位に就くことを嫌がってい
る人を「象徴」の地位に祭り上げるなんてなあ。それもフィクションの
上塗りのようで、なんだかなあ・・・。
コメント
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