ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ミャンマー クーデターの陥穽

2021-02-03 11:39:31 | 日記
私はきのうの朝、そのニュースを妻の口から聞いた。
「スー・チーさんが拘束されたらしいわよ」
最近は、私よりも妻のほうがネットのニュースに詳しいのである。
「ふ~ん、スー・チーさんって、今はミャンマーの政権幹部になっているのではなかったかな。どういうことなのだろう・・・」
釈然としない思いは残ったが、私はそのことをあまり気にとめなかった。

「ミャンマーでクーデターが起こったようだ」
そういうニュースに接したのは、しばらく経ってからのことである。このニュースを聞いて、私はやっと事態が飲み込めた。

私は次のように理解したのである。スー・チー女史といえば、「ミャンマー民主化の女神」として、一時期、絶大な人気を集めていた存在である。当初軍部は、彼女を政権内に取り込み、傀儡化して、うまく操ることを狙ったのだろう。だが、「大統領より上の立場に立つ」ことを公言して国家顧問、兼、外務大臣に就いた彼女の権力は、あまりにも強大になり、とても軍部の手に負えるものではなくなった。そこで軍部は、彼女を「切る」ことを企てたに違いない。

スー・チー女史が軍部の意向を無視するようになったことが、今回の事件の原因であると考えられるが、では、スー・チー女史と軍部と、そのどちらが「正義の味方」なのだろうか。

ふつうなら、この事件を民主勢力と軍部との権力闘争と捉え、前者を善、後者を悪とみなすところだが、私はそんなふうにすっきりと飲み込むことはできなかった。私の脳裏にわだかまっていたのは、あの陰惨なロヒンギャ虐待事件である。

彼女を最高指導者として戴くミャンマー政府が、イスラム系少数民族・ロヒンギャを虐待し、70万人もの難民が隣国のバングラディシュに逃げる事態になったことは、まだ記憶に新しい。
スー・チー女史はこの事態に対して直接どうこう発言しなかったが、彼女のこの態度が「黙認した」と受けとられ、スー・チー女史は国際社会から激しい批判を受けることになったのだ。

彼女に対して、英オックスフォード市は名誉市民権を剥奪し、アムネスティは「心の大使賞」を取り消し、パリ議会はパリ名誉市民称号を取り消した。ノーベル平和賞の取り消しを求める運動も広がった。

このロヒンギャ虐待事件によって私の中に形成されたスー・チー女史への悪い印象は、「ミャンマー民主化の女神」と騒がれた頃の彼女の好印象とは、どうにもそぐわない。この二つの印象をどう折り合わせたらよいか、私はいまだ解らずにいる。

「女神」だった彼女は、軍事政権との長い関わりによって、「魔女の湯婆婆(ゆばーば)」へと変貌してしまったのだろうか。

そうだとしたら、今回のクーデター劇は「魔女の湯婆婆」を追放する企てと言え、一概に「反民主化の悪だくみ」とは言えなくなる。

う~む、どうなのだろうなあ。
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