8章で、老子は言う。
「上善若水」(最高の善は水のようなものだ)。
この言葉を聞いて、私は古代ギリシアの哲学者タレスのことを思いだした。
タレスは「万物のアルケー(根源、原理)は水だ」
と言った人として知られる。
老子がタレスと違うのは、
老子が「上善若水」というふうに、
そこに価値評価を持ち込んでいる点である。
なぜ老子は水に大きな価値をおくのか。
それは、水が「万物をうるおし,しかも争わない」からだと老子は言う。
この言葉を読んで、私はさらにもう一人の古代ギリシアの哲学者
エンペドクレスのことを思いだした。
エンペドクレスは、
万物は火、水、土、空気の四つのリゾーマタ(根)から成り、
それらが愛によって結びついたり、
争いによって離れたりする
ことによって生成消滅する、と考えた。
エンペドクレスによれば、水は万物を構成する四元素の一つなのだから、
善いとか悪いとか言えるようなものではない。
また、老子は、水が「争わない」点に美質を見るが、
争いはエンペドクレスによれば、四元素を分離させ、万物の生起の原理として作用するのだから、
「善くない」と言って退けられるようなものではない。
老子はさらにこう続ける。
「處衆人之所惡。故幾於道」
((水は)みなが嫌がるような低地にとどまる。この点は「道」に近いといえる)。
この用例からすれば、老子が言う「道」とは、「善なるあり方」といったほどの意味なのだろう。
人についての「道」とは、水がそうであるように、
人の上位に立とうとせず、低姿勢で接するような態度だと
老子は述べているのである。
「上善若水」(最高の善は水のようなものだ)。
この言葉を聞いて、私は古代ギリシアの哲学者タレスのことを思いだした。
タレスは「万物のアルケー(根源、原理)は水だ」
と言った人として知られる。
老子がタレスと違うのは、
老子が「上善若水」というふうに、
そこに価値評価を持ち込んでいる点である。
なぜ老子は水に大きな価値をおくのか。
それは、水が「万物をうるおし,しかも争わない」からだと老子は言う。
この言葉を読んで、私はさらにもう一人の古代ギリシアの哲学者
エンペドクレスのことを思いだした。
エンペドクレスは、
万物は火、水、土、空気の四つのリゾーマタ(根)から成り、
それらが愛によって結びついたり、
争いによって離れたりする
ことによって生成消滅する、と考えた。
エンペドクレスによれば、水は万物を構成する四元素の一つなのだから、
善いとか悪いとか言えるようなものではない。
また、老子は、水が「争わない」点に美質を見るが、
争いはエンペドクレスによれば、四元素を分離させ、万物の生起の原理として作用するのだから、
「善くない」と言って退けられるようなものではない。
老子はさらにこう続ける。
「處衆人之所惡。故幾於道」
((水は)みなが嫌がるような低地にとどまる。この点は「道」に近いといえる)。
この用例からすれば、老子が言う「道」とは、「善なるあり方」といったほどの意味なのだろう。
人についての「道」とは、水がそうであるように、
人の上位に立とうとせず、低姿勢で接するような態度だと
老子は述べているのである。
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