ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

道は水のように

2016-01-17 13:33:15 | 日記
8章で、老子は言う。

「上善若水」(最高の善は水のようなものだ)。

この言葉を聞いて、私は古代ギリシアの哲学者タレスのことを思いだした。

タレスは「万物のアルケー(根源、原理)は水だ」

と言った人として知られる。

老子がタレスと違うのは、

老子が「上善若水」というふうに、

そこに価値評価を持ち込んでいる点である。

なぜ老子は水に大きな価値をおくのか。

それは、水が「万物をうるおし,しかも争わない」からだと老子は言う。

この言葉を読んで、私はさらにもう一人の古代ギリシアの哲学者

エンペドクレスのことを思いだした。

エンペドクレスは、

万物は火、水、土、空気の四つのリゾーマタ(根)から成り、

それらが愛によって結びついたり、

争いによって離れたりする

ことによって生成消滅する、と考えた。

エンペドクレスによれば、水は万物を構成する四元素の一つなのだから、

善いとか悪いとか言えるようなものではない。

また、老子は、水が「争わない」点に美質を見るが、

争いはエンペドクレスによれば、四元素を分離させ、万物の生起の原理として作用するのだから、

「善くない」と言って退けられるようなものではない。

老子はさらにこう続ける。

「處衆人之所惡。故幾於道」

((水は)みなが嫌がるような低地にとどまる。この点は「道」に近いといえる)。

この用例からすれば、老子が言う「道」とは、「善なるあり方」といったほどの意味なのだろう。

人についての「道」とは、水がそうであるように、

人の上位に立とうとせず、低姿勢で接するような態度だと

老子は述べているのである。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自己中の背理 | トップ | 金満家と老子 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事