公明党はきのう28日の党大会で山口代表の後任に石井幹事長を選出した。
石破新総裁は同日、その公明党の党大会に来賓として出席し、次のようにあいさつしたという。
石破新総裁は同日、その公明党の党大会に来賓として出席し、次のようにあいさつしたという。
「あと1年以内に国政選挙があり東京都議会議員選挙など多くの選挙がある。公明党の候補者がすべて勝利するよう自民党総裁として全力を尽くしていく。共に助け合い、日本のため、政権を維持するために全身全霊を尽くしていく。」
(NHK NEWS WEB 9月28日配信)
共に助け合い、か。自民党は公明党と今後も「持ちつ持たれつ」、「相見互い」の関係で行くということである。
ここで私は、妙なことを思い起こした。武田鉄矢扮する国語教師の「金八先生」が、中学3年B組の生徒たちに、「人という字は、人と人とが支え合っている姿を表したものなんだよ」と教えているシーンである。
金八先生のこの教えは根拠のない全くのデタラメらしいが、人間関係の一面をよく表している。
人は人と支え合って生きる。人と人との関係だけではない。政党と政党、団体と団体も共に助け合い、互いに支え合う互恵関係によってそれぞれの生命(いのち)を維持する。
自民党と公明党との仲だったら、
「公明党が国会の場で自民党に一定の〈議席数〉を提供して与党としての立場を補強し、自民党は代わりに公明党に〈政権与党〉としての役得(=甘い汁)を提供する」
といったギブアンドテークの関係だろう。
石破新政権は今後も公明党とのそうした「戦略的互恵関係」を維持すると宣言したわけだが、同じ互恵関係でも、あえて切り捨てなければならない関係もある。
それは、言わずと知れた旧統一教会との「腐れ縁」である。
石破新政権は今後も公明党とのそうした「戦略的互恵関係」を維持すると宣言したわけだが、同じ互恵関係でも、あえて切り捨てなければならない関係もある。
それは、言わずと知れた旧統一教会との「腐れ縁」である。
この腐れ縁を、自民党はなぜ切り捨てなければならないのか。切り捨てないと、国民の支持を得られないのは、なぜなのか。
自民党はこれまで、この宗教団体から大量の得票数をもらって政権を維持してきた。この点ではそれは公明党の場合と変わらない。
だがその見返りとして自民党がギブしたのは何かというと、宗教法人としての課税免除措置であり、霊感商法など反社会的(=犯罪的)行為のお目溢しである。この点では、旧統一教会との関係は公明党の場合とは大きく違っている。
問題は、石破新総裁がこの腐れ縁を絶ち切れるかどうかだが、
「この宗教団体から大量の票をもらって地位を築いてきた議員」が多数いる
という構図は変わらない。
ということは、
旧統一教会との腐れ縁を断ち切れば、次の選挙で落選の憂き目をみる党員が多数出る、
ということである。そのデメリットが避けられない以上、旧統一教会との腐れ縁を断ち切ることは難しいのではないか。
きょうの朝日新聞は、石破新総裁の人選のあらましを次のように報じている。
この記事を読む限り、自民党石破丸の航海の前途は多難だと言わざるを得ないようだ。
「自民党の石破茂新総裁(67)は28日、党役員・閣僚人事の調整を進め、党ナンバー2の幹事長に森山裕総務会長(79)の起用を固めた。内閣の要である官房長官には、岸田政権から林芳正氏(63)を再任させる。副総裁には菅義偉前首相(75)を充てる方針だ。石破氏は首相就任後、10月中に衆院を解散する準備に入った。」
(朝日新聞9月29日)
なんだかなあ・・・。
きょうの朝日新聞は、石破新総裁の人選のあらましを次のように報じている。
この記事を読む限り、自民党石破丸の航海の前途は多難だと言わざるを得ないようだ。
「自民党の石破茂新総裁(67)は28日、党役員・閣僚人事の調整を進め、党ナンバー2の幹事長に森山裕総務会長(79)の起用を固めた。内閣の要である官房長官には、岸田政権から林芳正氏(63)を再任させる。副総裁には菅義偉前首相(75)を充てる方針だ。石破氏は首相就任後、10月中に衆院を解散する準備に入った。」
(朝日新聞9月29日)
なんだかなあ・・・。