ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

いざ、図南!

2016-02-13 12:09:59 | 日記
短い期間ではあったが、このブログでは

しばらくの間、老子の言説にこだわってきた。

年明けに掲載をはじめてから、アップした回数は

合わせると、30回ほどになったのではないかと思う。

このブログで老子を取りあげようと思った当初は、

これほどの回数になるとは思ってもいなかった。

ずいぶん深入りしてしまったものだと思うが、

最近では、「老子も、そろそろ潮時かなあ」と考え始めている。


ブログの中でも述べたことだが、老子の文章は

玉石混交である。すばらしいと思える「玉」もあるが、

固くてかみ砕けない「石」もごろごろしている。

私は、そんな「石」はあえてかみ砕こうとせず、

「石」のままに残してきた。

今、老子という山をどうにか頂上付近まで登り、

これまで来た道を振り返ってみると、

やっと見えてきたことがある。

私がかみ砕けずに残した「石」は、しょせんは「石」であって、

かみ砕こうとするほうが間違っていると。

当たり前のようだが、要するにこの「石」は

頑迷な信仰の領域に属するドクサであって、

合理的・分析的な思考によっては割り切れない

代物だということである。

そういうものには、かかずらうだけ無駄、

泥沼に引き込まれるだけである。

そういう「石」を相手に、独り善がりの悪戦苦闘を

お見せしても、読者だって迷惑なだけだろう。

そこで、これからは話題を換える。

換えようと思う。

それじゃあ、これからは何について書くのかって?

そうそう、それが問題である。私のブログは、独り相撲というか、

壁打ちテニスのようなもので、古今東西の名言や名著という

「壁」に向かってとりあえずボールを思い切り打ち、

返ってきたボールをそのまま打ち返す、という形で、

華麗なる?独善プレーを展開してきた。

だから私のブログには、

そういう「壁」がぜひとも必要なのだが、

さて、何をこれからの壁にしようか?

荘子かなあ、と、漠然とではあるが、今のところ私は考えている。

この荘子も、老子と同様、私にとってはどことなく気になりながら、

いまだ手をつけていない未開拓の思想家であり、

老い先短い私にとっては、そろそろ取り上げるのもよい機会ではないかと思うのだ。

ただ、心配なのは、老子の場合と違って、

よい案内役がネット上に見つかるかどうかである。

ざっと見渡したところでは、そういうサイトは見当たりそうにない。

しかしまあ、案ずるより産むが易し、という言葉もある。

視界不良ではあるが、とりあえず、いざ、図南、と行くことにしよう。
コメント
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