ぼちぼちいこう☆

迷いながら、でも楽しく生きる日々の記録

四十九日

2009年07月05日 00時51分38秒 | 日々
が、終わりました。

おばあちゃんは
天国で待っているおじいちゃんのところに行ったことでしょう。


9年前、84歳でおじいちゃんが亡くなったとき
冷たくなったおじいちゃんと対面した私が泣きだすと
「こっちで悲しんでたらおじいちゃんは安心して天国いけないから
 泣かん方がいいんよ」
と言って私の前では泣かなかったおばあちゃん。


そんなおばあちゃんがお通夜でもお葬式でも
完全に暗記しているお経をあげているのを見て
なんかいいなあ、と思いました。

なんで「なんかいい」と思ったのかはわからないけど
自分もそうなりたいなあと思ったので
おばあちゃんにお経を習いました。


それから9年経ち、
おじいちゃんが亡くなったのと同じ84歳になった年に
おばあちゃんが亡くなりました。

でもおじいちゃんの時と違い
おばあちゃんとは長い長い病院での夜を
ときには2人きりで、ときにはお母さんと3人で
何度も過ごすことができました。
おばあちゃんの最期も看取ることができました。

内緒話をして笑ったり
死にたいなんて言っちゃだめ!とおばあちゃんを怒ったこともあります。


そんなおばあちゃんのお通夜でもお葬式でも
私はまだたどたどしいながらも、
本を読み読み
お経をあげることができました。
なんとなくよかったなと思っています。


四十九日でもお経をあげました。



そして。
私はやっと悲しみを感じ始められるようになりました。
今までは死をまったく受け入れきれず
正直なところ、亡くなったという事がピンときていなかったけど
おばあちゃんが仏様になってしまったのだと
なんとなく受け入れ始めているのかもしれません。


何がどう作用したのかはわかりませんが
おばあちゃんのことを想うと
泣きたくなるようになりました。

今までは泣く感覚にはなれなくて、
それがなぜだかわからず
そんな自分が気持ち悪くて、また申し訳ないような気持にもなったけれど。

おばあちゃんがいなくなっちゃったんだ、
天国に行ってしまってもう会えないんだ
悲しい、泣きたい、と素直に思えるようになりました。

私にとっては大きな進歩です。




そうこの四十九日での帰省のための外泊に入ってから
どうやら
今週から飲まなくなった抗うつ薬の離脱症状らしき症状が出始めました。

視線を動かす時に画面がうまく処理できず
常に「手ぶれ補正のないビデオカメラ」のように画面がガクガク揺れてしまうのです。
なので移動があると特に流れる景色についていけず
気持ちが悪くなってしまいます。
吐き気も起こります。

まあ四六時中乗り物酔いみたいな感じ?
・・・・・すんごくしんどいです
しばらく安静にせないかんのだろうなあという予感。

予感だけだから今日は買い物たくさんしたけど
それでまたちょっと気持ち悪くなったけど



病院に戻ったら、おとなしくしときます