サロマ湖から網走市内へ移動。
網走で絶対見たいと思っていたポイントは「網走監獄博物館」
明治時代、帝政ロシアの南下政策に対抗するため、北海道内の
道路を取り急ぎ整備するため、囚人たちを内地から網走の地に
移したという。
当時の網走の人口は約620名ほど、そこへ囚人1200名と
看守など職員が130名が移されて来た。
この博物館は、移築復元、あるいは再現された旧網走刑務所の
25の建物群がある。
10棟が国の登録有形文化財とのこと。
最初は「鏡橋」
川面は鏡、「我が身を見つめ自ら襟を正す」という意味があると言う。
続いては入口と正門。
この形状は現在の網走刑務所と同じ形だそう。
続いては登録有形文化財の「庁舎」
典型的な明治時代の官庁建築、総瓦葺切妻屋根に飾り窓の和洋折衷。
明治の面会風景を再現した人形、リアルでビックリ!
当時は東京から網走まで、列車・船を乗り継ぎ4泊5日かかったとか。
裏門は当時のもので、本来は1080mの長さを誇った。
味噌醤油蔵や、遠方で道路整備の作業をした際に宿泊した
「休泊所」や「耕転庫」「漬物庫」を経て「監獄歴史館」を見学。
ここで、当時の過酷な労働で犠牲となった数多くの囚人に思いを
馳せる。
登録有形文化財の一つ、「五翼放射状平屋舎房」を見学。
5棟が放射状に広がる舎房で、木造行刑建築物としては世界最古で
最大の規模を誇ると。
高い天窓からの明りが、何とも印象的でしたね。
最後に「教誨堂」、外観は和風内部は洋風で、天井のシャンデリア
が素敵でした。
とても見ごたえのある博物館、北海道に行く機会があったら
是非訪ねて見てくださいね~!
網走で絶対見たいと思っていたポイントは「網走監獄博物館」
明治時代、帝政ロシアの南下政策に対抗するため、北海道内の
道路を取り急ぎ整備するため、囚人たちを内地から網走の地に
移したという。
当時の網走の人口は約620名ほど、そこへ囚人1200名と
看守など職員が130名が移されて来た。
この博物館は、移築復元、あるいは再現された旧網走刑務所の
25の建物群がある。
10棟が国の登録有形文化財とのこと。
最初は「鏡橋」
川面は鏡、「我が身を見つめ自ら襟を正す」という意味があると言う。
続いては入口と正門。
この形状は現在の網走刑務所と同じ形だそう。
続いては登録有形文化財の「庁舎」
典型的な明治時代の官庁建築、総瓦葺切妻屋根に飾り窓の和洋折衷。
明治の面会風景を再現した人形、リアルでビックリ!
当時は東京から網走まで、列車・船を乗り継ぎ4泊5日かかったとか。
裏門は当時のもので、本来は1080mの長さを誇った。
味噌醤油蔵や、遠方で道路整備の作業をした際に宿泊した
「休泊所」や「耕転庫」「漬物庫」を経て「監獄歴史館」を見学。
ここで、当時の過酷な労働で犠牲となった数多くの囚人に思いを
馳せる。
登録有形文化財の一つ、「五翼放射状平屋舎房」を見学。
5棟が放射状に広がる舎房で、木造行刑建築物としては世界最古で
最大の規模を誇ると。
高い天窓からの明りが、何とも印象的でしたね。
最後に「教誨堂」、外観は和風内部は洋風で、天井のシャンデリア
が素敵でした。
とても見ごたえのある博物館、北海道に行く機会があったら
是非訪ねて見てくださいね~!