ピョンヤンの町を守るために最後の戦いに入ったチャンウたちだが、市街戦でも厳しさは変わらず。
更にチャンウとテホは目の前に忽然と現れたスヨンを助けることも出来ずに、スヨンが銃撃され倒れるのを助けることも出来ずに撤退するのだ。
見ている私もあのスヨンは現実のスヨンか・・・・と思った位だから、スヨンを助けられなかったチャンウの傷心は想像も出来ないほどだ。
テホは、スヨンの妹のことがあるからか、「スヨンは僕たちの目の前で死んだじゃないか!」と現実を辛くとも受け止めようとするのだが、チャンウは「約束したんだ。生きてまた会うって・・・スヨンは死なないんだ」の一点張りだ。
負傷した兵士はそれでなくても行軍の足手まとい。さらに腑抜けになって「スヨンは死んでいない」といい続けるチャンウに以前の面影なし。
そんな戦いの敵はピョンヤンを狙っている(?)中国共産党軍に・・・・
チャンウたちは共産党軍の少年兵士を助けたりし、一人の青年が、その少年と心をかわすという心温まるエピソードもあるのだが、基本は「スヨンは死んでいない」というチャンウの過去から現在に至る傷心を丁寧すぎるくらいに一つ一つ追っていく。
「生きてまた会うと約束したんだ」と言い続け、なんとか戦ってきたチャンウのその存在そのものが奇跡だと認めるテホ。
そしてスヨンもまた奇跡のように生きているのだ。
傷は自分で切開し、道に倒れた死骸の懐から食べ物を取り・・・・
こちらも存在そのものが奇跡というスヨンの執念。
****
(今ひとつ視聴率が伸びないことに対する私見)
丁寧に作られているのはとてもよく分るのだが、物語の基本はスヨンとチャンウがかわした「生きてまた会おう」という恋人達のシンプルな約束。
そのシンプルな約束にプラスアルファとしてチャンウとテホの友情が絡んでくるのだが、見ている方はそれに以上にもっと衝撃的な何か望んでしまっているのかもしれない。
物語はとても重厚な感じはするのだが・・・
更にチャンウとテホは目の前に忽然と現れたスヨンを助けることも出来ずに、スヨンが銃撃され倒れるのを助けることも出来ずに撤退するのだ。
見ている私もあのスヨンは現実のスヨンか・・・・と思った位だから、スヨンを助けられなかったチャンウの傷心は想像も出来ないほどだ。
テホは、スヨンの妹のことがあるからか、「スヨンは僕たちの目の前で死んだじゃないか!」と現実を辛くとも受け止めようとするのだが、チャンウは「約束したんだ。生きてまた会うって・・・スヨンは死なないんだ」の一点張りだ。
負傷した兵士はそれでなくても行軍の足手まとい。さらに腑抜けになって「スヨンは死んでいない」といい続けるチャンウに以前の面影なし。
そんな戦いの敵はピョンヤンを狙っている(?)中国共産党軍に・・・・
チャンウたちは共産党軍の少年兵士を助けたりし、一人の青年が、その少年と心をかわすという心温まるエピソードもあるのだが、基本は「スヨンは死んでいない」というチャンウの過去から現在に至る傷心を丁寧すぎるくらいに一つ一つ追っていく。
「生きてまた会うと約束したんだ」と言い続け、なんとか戦ってきたチャンウのその存在そのものが奇跡だと認めるテホ。
そしてスヨンもまた奇跡のように生きているのだ。
傷は自分で切開し、道に倒れた死骸の懐から食べ物を取り・・・・
こちらも存在そのものが奇跡というスヨンの執念。
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(今ひとつ視聴率が伸びないことに対する私見)
丁寧に作られているのはとてもよく分るのだが、物語の基本はスヨンとチャンウがかわした「生きてまた会おう」という恋人達のシンプルな約束。
そのシンプルな約束にプラスアルファとしてチャンウとテホの友情が絡んでくるのだが、見ている方はそれに以上にもっと衝撃的な何か望んでしまっているのかもしれない。
物語はとても重厚な感じはするのだが・・・
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