行政マン・コーチのはじめの一歩

自治体職員でストレングスコーチ&ファシリテーターの丸本です。
人と組織の持つ強みを活かして、応援を続けています。

相田みつお

2006年03月04日 | 名言・格言
今日はいまいち体調不良(>_

それでも終日、4月の人事異動の原案を作っていました。

「自分が市役所職員としてどんな役割を果たし、どんな職員になりたいか、自分で考え能力開発をするべき。」といつも言っていたのですが、異動希望どおりに行く人はごくわずか。

全職員能力開発につながる部署への配置ができるわけではなく、勉強にならなくても誰かがその仕事をやってもらわなければならない。いやな仕事も誰かが引き受けなければならない。

「言ってることと違う!」と言われるだろうけど、心の中で「ゴメン!」といいながら配置をしていきます。

他にも諸々あり、最近ストレスがたまります。


昨年の新規採用職員研修で、講師の先生が相田みつおの詩を紹介していました。

花を支える枝  枝を支える幹
幹を支える根 根はみえねんだなあ

今の自分にできるのは、「根」があることを忘れないことだけです。

相田みつおは名前だけは知っており、その時も特に感じるものはなかったのですが、最近心に引っかかることが多くなりました。

自分の心の状態が、相田みつおの詩に合う状態にあるのかもしれません。

特に、「根」に関する詩が好きです。

次も、相田みつおの本からの引用です。

***************************************************

 わたしは長い歳月 上にのびることばかり考えてきて 
 土の中深く根を張ることを 忘れていたようです。

 ヒョロヒョロと幹ばかり高くのびて雑然と枝葉が
 ひろがるようになった時 幹や枝葉の重みに
 耐えられない根の弱さにわたしは初めて気がついたのです

 気がついた時には手おくれでした 手おくれとわかったとき
 わたしは思いきって 枝葉をおとすことにしました

 土の中の私の弱い根と細い幹に支えられるだけの 
 わずかな枝を残して あとはばっさりと切り捨てました

 それは根の弱い幹の細い力のない者が なんとか自分を守りながら
 生きてゆくための消極的な しかもそれなりに勇気のいる生活の智慧でした

 とは言うものの枝葉をおとす時 わたしはやっぱりさびしい気がしました 
 もったいないなあと思いました しかしおかげさまでいまでは眼に見えない土の中で弱った根が新たな活動を始めたようで
 枝葉を切り捨てた分だけいやそれいじょうかも
 だれにもわからない根だけが知る 静かな充実感を持ちながら
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「現実的・・・」という限界

2006年02月26日 | 名言・格言
職員同士の勉強会での話です。

市民サービスについての話の中で、ある職員が提案した意見に、声の大きな別の職員から「そういった理想論を言っても意味がない。現実は違う。」と言われ、反発しつつも黙ってしまったそうです。

私は同席していませんでしたので、聞いた話です。


「現実は」という言葉、よく聞きます。「理想論」という反論もよくあります。

でも、「現実は」と言ってしまった途端、人は思考停止状態になってしまうのではないでしょうか。

「現実」という理由は、それ以上の努力を必要としない理由にもなります。

むしろ青臭いと言われながらも、理想を追って努力する人の方が成長すると思います。


アントニオ猪木の言葉(だそう)です。

『限界などない。あるのは限界を口にしている自分だけだ。ありもしない限界にこだわるな。
私に言わせれば「限界」なんて言葉はこの世にはない。「限界」というから限界が出来るのだ。』
アントニオ猪木

いつまでも青臭く理想を目指し挑戦する大人でいたいと思います。
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識量は内にあり

2006年02月20日 | 名言・格言
3月議会も近づき、特に今回は給与構造改革関連の条例、退職手当条例の改正という「目玉」があるため、なかなかに忙しい日々です。

植木市で買った植木も、キンカンは植えましたが、クチナシは穴を掘ったところでほったらかし(>_

なかなかに余裕がないですね。

そういった中で、最近は寝る前に中国の故事や古典を解説した本などを読んでいます。

今読んでいるのは「老子」。

高校生の頃から中国古典が好きで、果ては易経まで借りて読んでましたが、今改めて読んでも心にしみる言葉があります。

なぜに中国の古典(解説本)を読み出したかというと、SBIホールディングスの北尾 吉孝氏のインタビュー記事がきっかけです。

ホリエモンを筆頭とする最近の軽薄なリーダーと違い、論語や易経など中国古典や仏教・神道による「人物をつくる」ことの大切さを切々と訴える言葉に感銘を受けました。

著書も読んでみましたが、その文章には読み込んだ日本・中国の古典の言葉がちりばめられており、そのベースには、日本の伝統的精神が継承されず、根無し草で漂っている現代への大きな危惧が横たわっています。

そういったことから、改めて中国の古典などを読み始めたところです。


識量は知識と自ずから別なり。
知識は外にありて、識量は内にあり。

「見識、度量と言われるものと、知識は自ずから別物である。知識は外から来るものであるが、見識、度量は自分の内に培われるものである。」
中国の古典の言葉ではありませんが、「言志後録」にある言葉です。

自分自身の見識・度量を培うためにも、古典に触れる時間を大切にしていきたいと思います。
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開物成務

2006年02月10日 | 名言・格言
開物成務(かいぶつせいむ)

「易経」の中の言葉で「国家の経世は人物を育てることにあり。その人物をして物事を立派に成し遂げることに意義がある。」という意味で、明治維新の文明改革の際によく引用されていたそうです。

元の文は『子曰く、それ易は何するものぞ。それ、易は物を開き努めを成し、天下の道をおおう。かくのごときもののみ成るものなり。この故に聖人はもって天下の志に通じ、もって天下の業を定め・・・もって天下の疑を断ず』
とあります。

国家の経世に限らず、組織をマネジメントするうえでも「人を育てる」ということは最も重要なテーマです。

自治体のプロ職員としての自覚と能力を持つ職員を育成し、その職員が住民により質の高い行政サービスを提供できるようにすることが、職員研修をはじめ人材育成の担当をする者の大きな務めであると実感しています。


最近議論されている公務員の総人件費削減について、私は行政コストをきちんと管理する意味で評価はしています。

しかし、その一方で不満なのは、職員をコストでしか見ていない一面的なとらえ方です。

国・地方ともに財政状況が悪化している現在、行政コストの削減は喫緊の課題です。

しかし、縮小再生産を続け、新たなビジョンを描けないケチケチ運動の限界は早くから言われていることです。

早急な行政コストの圧縮と同時に、自律的に行動し改革を先導する人材の育成こそ、今急いで取り組まなければならない課題だと思います。

そもそもの「公務員制度改革」は、それがテーマでした。

しかし、総人件費ばかりを議論し、目先にこだわるケチケチ運動に墜ちた気がします。

人材育成によりことを成す「開物成務」の考え方こそ、本来の公務員制度改革であると思います。

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雑木林のような組織

2006年02月01日 | 名言・格言
人も自然も百花繚乱

(意味)
 一色の花だけではない、
  様々な花が咲き乱れてこその自然の豊かさである。
   人間社会も同様、
    いろんな人がいてこそ、繁栄が高まってゆく。
                 出典:松下幸之助「繁栄のための考え方」


昨年、前ニセコ町長の逢坂誠二衆議院議員(当時はまだ町長)のパネルディスカッションを聞きに行きました。
初めてお話をお聞きしたのですが、言葉のひとつ一つに人間味があふれ、非常に感銘を受けました。

その逢坂氏の話の中で、「同じような人間ばかりの組織は弱い」という話がありました。
同じような人間ばかりでは、ひとつのピンチで全滅する。いろんなタイプの人間が集まっている組織では、誰かが倒れても、別のタイプの誰かが支えることが出来る、といった内容だったと思います。

環境の変化が激しい現代では、それぞれに異なった得意分野を持つ人間が集まる組織の方が、迅速に環境に対応できるのでしょう。
もちろん、同じタイプの人間が集まる組織よりダイナミズムがあることは当然ですが。

人事異動の時期が近づいてきていますが、一面的に同じような人間を評価し選別するのではなく、梁山泊ではありませんが、色んな得意分野を持つ雑木林のような組織づくりを考えていいのではないでしょうか。

逢坂氏の話の中で、もう一つ印象に残った話があります。
「私は一年中人事異動のことを考えている。役場内で職員と話すたび、この職員はどの職においた方が力が出せるのか、役場職員として(良い意味で)楽しく仕事が出来るのかをいつも考えている。」という言葉です。

そういう首長の下で働く職員は幸せだと思いました。

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惻隠の情

2006年01月26日 | 名言・格言
「そくいんのじょう」と読みます。

孟子の言葉で、「相手の気持ちを忖度(そんたく)できるような寛く深い愛情に裏打ちされた思いやりの心」を意味します。

引用の引用ですが、経団連の奥田前会長が、「惻隠(そくいん)の情こそ、日本が世界で尊敬される道だ」と言われたそうです。

ネットで検索すると、30年ほど前のロッキード事件の際、政界で「惻隠の情」という言葉が使われていたそうです。
ロッキード事件で田中角栄前首相を追及する当時の三木首相、稲葉法相の“冷たい”姿勢を「惻隠の情がない」と批判したことがきっかけで、「惻隠の情」という言葉がはやったそうです。

今のホリエモンを代表するような時代風潮には理解できないかもしれませんが、グローバルスタンダードではなく、ジャパン・オリジン・スタンダードのベースになる思想として、大切にしたい言葉です。

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尚友(しょうゆう)

2006年01月08日 | 名言・格言
******************************************************************
孟子、読書をもって尚友(しょうゆう)となす。
ゆえに経籍(けいせき)を読むは、即ちこれ厳師父兄の教えを聴くなり。
史子を読むも、また即ち名君、賢相、英雄、豪傑と相周旋(あいしゅうせん)するなり。
それこの心を清明にしてもってこれに対越せざる可(べ)けんや。
(言志後録)
******************************************************************

(意味)
孟子は、読書をすることは古人を尊び、友とすることだと説いた。
経書を読むことは、厳しい先生や父兄の教えを聞くのと同じである。
歴史書を読むのは、直接名君や賢宰、英雄、豪傑と交際するのと同じである。
だから、読書をするに際しては、心を清明にして、書中の人物より卓越した気概を持って相対さなければならない。


江戸末期の儒学者、佐藤一斉の言志後録からの引用です。
今年も読書を通じて、尊敬できる友と出会い、厳しい師・古の名君・賢相の教えを学ぶ1年にしたいと思っています。

ところで、最初の頃に書いた「古教照心」は、何気なく書いていたのですが禅語のようですね。
たまたま検索していたら、正月の細木数子の番組を見てブログに書いている人が結構いらっしゃいました。
良い言葉は人を引きつけるものなのでしょう。


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2006年01月06日 | 名言・格言
どうも愚痴っぽくなってきたようなので、気分を新たに座右の銘を。


この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ

危ぶめば道はなし

踏み出せばその一足が道となる

迷わず行けよ

行けばわかる

            アントニオ猪木「道」


チャレンジしようとする時、ふと不安になるときがあります。
そんな時に、心を強くしてくれる詩です。
ええのぉ~ (*^_^*)


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古教照心

2006年01月02日 | 名言・格言
「古き教えが 心を照らす」という意味だそうです。昨日、細木数子のテレビで言っていた言葉です。テレビ番組自体には興味はなかったのですが、最後に出てきたこの言葉にちょっと惹かれました。

昔の「人物」の名言には数多くの良い言葉があります。ただ、自分自身が切羽詰まっていたり、日頃から気にかけていたアンテナに引っかかった時以外は、意外と聞き流してますな。身にしみる状況に追いつめられて、初めて心の腑に落ちるのではないでしょうか。



昨日の読売新聞のニュースで、義務教育を2年程度延長し、幼稚園からの11年にするという記事がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060101ur02.htm

(読売オンラインから引用)
義務教育をめぐっては、近年、小学校低学年で、集団生活になじめない児童が騒いで授業が混乱する「小1問題」が起きている。幼稚園―小学校―中学校と進学するにつれ、指導の内容、難易度などが大きく変わり、成績格差が拡大する問題も指摘されている。

のだそうです。なんだか家庭での人間教育力が低下しているので、学校でその分カバーせなあかんくなったという印象を受けます。

確かに言えると思いますが、では今の小中学校が人間教育力を十分発揮しているのかというと、「?」ですが・・・

飛躍しすぎかも知れませんが、私、昨今の人間教育力の低下の原因は、戦後の徹底した宗教排除ではないかと思います。
戦中の神道教育を排除したかったんでしょうが、それが行き過ぎたことで、日本人の心と生活の基盤となっていた仏教なり神道なりを取り除いてしまった。人間としての大切なもの・自身や他者と動植物の生命を大切にする心を排除してしまったように思えます。
別に私、右翼でも特定の宗教団体の関係者でもありませんが(^_^;)

そう言う意味で、例えば幼稚園を経営している教会とか、保育園を経営しているお寺とかは、幼少期の人間形成にそれぞれの宗教の生命や心を大事にする教えを生かしてくれればいいのではと思っています。

それぞれの宗教には、昔からの良い言葉がいっぱいあります。
そういった「古き教え」を、幼少期の人間教育に生かしてもらえれば良いのではないでしょうか。

義務教育にしたら、今のせっかくの機会を失うように思えるのですが・・・・・

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最初の「いっぽ」

2006年01月01日 | 名言・格言
新年最初のイベントは、初詣ではなくブログづくりです。

このブログでは、地方自治体に関する話題、特に行政改革・人材育成・財務関係のニュース記事、また、気になる本や雑誌の一文などを一言コメントと一緒に、ネタ帳的にまとめていけたらと思っています。

時々、気分転換に野草の写真や弓道といった趣味ネタもまぜます。(それがメインになったりして・・・)

まあ、ネタ帳ですんで、アクセス気にせんとやらせていただきます



◆◆ 名言・格言 ◆◆
荻生徂徠(江戸時代中期の儒学者・思想家)

一、 人の長所を始めより知らんと求むべからず。人を用いて初めて長所の現わるるものなり。
二、 人はその長所のみを取らば即ち可なり。短所を知るを要せず。
三、 己が好みに合う者のみを用うる勿れ。
四、 小過をとがむる要なし。ただことを大切になさば可なり。
五、 用うる上は、そのことを十分に委ぬべし。
六、 上にある者、下にある者と才知を争うべからず。
七、 人材は必ず一癖あるものなり。器材なるが故なり。癖を捨てるべからず。
八、 かくして、良く用うれば事に適し時に応ずる人物は必ずこれあり。


机のデスクマットにはさんでいる、心得の掟です。
とりあえず、年の初めの書き出しに。


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