Creating yourself

「自分発見の旅から自分創造の旅へ」  

チェリーに別れをつげるとき

2008-06-30 21:58:31 | ペット

いつも帰る度、チェリーが生きているのを確認するとほっとすると同時にまだ苦しみが続くのがかわいそうな気持と複雑だ。ここ2.3日は苦しそうなうめき声とも悲鳴ともつかない声をあげていて聞いていると胸がしめつけられる。なにしろチェリーは本当に吠えない犬で他の犬に吠えられるだけの犬だったからよほど苦しいのだろう。土曜日はついに獣医に連れて行き、安楽死をさせてくれるよう頼んだ。獣医さんはその前に今がどういう状態かを血液検査で確認し痛み止めを打ったほうがいいのか、それとも本当に末期なのか判断するのがいいと思うと言った。6週間前も血液検査で何もわからなかったのに、また?という気持ちがあったが、とりあえず従うことにした。

ところが注射がうまくいかず4回も針をさされ、チェリーが苦しそうな声をあげるのを聞いて、やめてくださいと止めた。犬は人間ほど注射は痛くないんですと言ってたけど、犬の気持ちがわかるかいって感じ。

私は楽にしてあげたいだけで、いじくりまわして、高額支払って、数日生き延びたとしてもそれは望むところではない。(ラブちゃんがそうだったからね)。かといってチェリーの悲しそうな目を見てるうちにまた家につれて帰りたくなった。

そして今朝また苦しそうな鳴き声に目が覚めた。定期的にぜーぜー言ってはうめき声。うめき声もだんだん乾いた声になり、今では声さえ出なくなり、目は死んでいる。娘にかわいそうだから今日こそは一緒に安楽死させに行こうと言ったら今までいやがってた娘もうなづいた。そう話しながらも二人は涙が止まらない。いざ連れて行こうとすると、力つきてだらんとになったチェリーがキャリングケースに入らない。普段は丸っこくなってくれるから難なく入ってたのが今は身体がのびきったままでこちらが無理やり曲げないと入らない。いじってるうちにチェリーの呼吸が静かになりこれじゃこのままでも死ぬかもしれないね、じゃぁ無理やり連れて行くのは止めようということでまた床に毛布を敷いて寝かせた。

チェリーは娘が小学校にあがって学童保育も終わる頃、かぎっ子として誰もいない家に帰るのがかわいそうで飼いはじめた犬だ。同じ年に公園で拾った猫2匹も飼いはじめたから娘はそれほどみじめではなかったはずだ。チェリーにはお世話になったという気持ちと、猫の方ばっかり可愛がってごめんねという気持ちとあまり散歩に連れて行かないでごめんねという気持ちでいっぱいだ。死の淵にたってからこんなこと言ってもしょうがないよね。元気なときにいっぱい可愛がらなくちゃ。

チェリーが死んだらラブちゃんが迎えに来てくれるといいな。あぁ、3匹が元気だった頃が恐ろしくなつかしく、そして今がとても悲しく思える。



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