ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

集中力?空気的?

2012年09月09日 01時43分47秒 | Weblog
ジュニアオーケストラの本番もいよいよ明日に迫って来ましたー( ̄◇ ̄;)

なかなか定まらないまま1週間前の練習を終わったので、一人ヒヤヒヤしています。。。


ところで…


最近、ふと思うことがあります。


何となく、「真実に迫りたい」とか、「ホントのところを考えたい」とか、自分の信念にかけて何かを貫きたいとか…


そういうのが、なかなかなくなって来た気がしますです。


みんなが、テレビに出ている芸人さんのように、その場の空気を読んでその流れに乗る…

自分に求められてることを読んで、自分の信念とか、
事実とかのフィルターを通すことなく、その場の流れに乗る。

で、何となくそれが事実みたいな扱いになる。

そうすることが真実で、例えば、論理的におかしいとしても、そこを考えちゃいけないような雰囲気。


科学的におかしくても、みんながそんな雰囲気なら、
そっちに乗る。


ということは、裏を返すと、特段自分に信念だとかそういうモノはなくて、だから特に自分では責任を負うことも想像せず、その場の流れでやったり話したり…

あとで突っ込まれたら、自分じゃ説明できない、ダレダレが言ってたから…的な。


何かそういうのが、とーっても多くなった気がするのです。


自分の意見に自信がない、という場合もあるだろうし、単に考えるの面倒臭いって人もいるだろうし…


ある意味では、空気を読むってのは、とても良いことだと思うんだけど、すべてが空気で決まっちゃうんじゃ、まるで進歩なし。


ハイリスク・ハイリターンなんてこともあるけど、やっぱりある程度のやり甲斐を感じるには、ある程度の責任を果たしてないと無理だし、責任があるってことは、時には失敗することもあるわけで、そうならないように、粛々と頑張ることも人生さ!なんて思う。



でも、近頃はどうもそういう失敗が許されないのか、それともあまりに失敗の経験がないのか、それとも、最初からそういうことに関わらない人生を選んでるのか分からないけど、なかなか正面からぶつかって来ない感じはある。


どうなんだろう??そういうのって…


私はそれはあまり良いとは思わないのね。


だってね、それでいて、そういう空気的な中でやってるから、不安定な感じになるし、フワフワしてるかと思えば、やたらキレたり、すぐ折れたりする人が多いし。
暖簾に腕押しみたいだったり、糠に杭…

その波は、子どもにも及びつつあるような…


大人の思惑、という空気。
子ども同士の関係の中の空気。


こういうモノの中で、大きく傷つかずに生きる。面倒なことはやらない。自分の頭で考えない。。。


誰々はそう言ってたけど、果たしてそうかなぁ?
いろいろ調べてみたら、こうなるみたいだけど、そこのところはどうなんだろう?


そんな風な考察ってのか、ホントにそうかな?と考えたり、試したりってのが少ない。


人の言うのを「ふーん」と聞いて、それで終わり。



情報過多。
過干渉。
無関心。


いろんな要素があるかもしれん。


子ども時代って、もっと貪欲でいいんじゃないかなー??

いい子じゃなくてもいい。

世の中を貪欲に自分のモノに。

その中で、次第にしていいこと悪いこと、向かうべき方向みたいなのを見つけて、それを粛々やっていくんだと気づいていく。



うーん、何とかもっともっと今やってることに集中して、それを貪欲に吸収してモノにしてほしい。

そしたら、なーんとなく空気に合わせて…とかってんじゃない、自分の全精力をかけてやることになるんじゃないかなー。

そしたら、そこに理解とか疑問とかいろいろ生まれて…


ほーら、楽しい!!

今まで、味気ない灰色だったものが、生きてくると思うんだよなー。


子どもって、イキイキとしてキラキラしてるのが、一番だよなー。うん。


と、私は思うなぁー。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Skryabin Poema Ekstaza solo... | トップ | あーもーいかんね。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿