ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

わーぉ!!

2024年01月08日 22時55分00秒 | 日記
こんばんはー!!

行きがかり上、ちょいと英訳してたらこんな時間に😆


英語って、パッと見て意味は非常にキリリとわかるけど、いざ普通によく伝わる日本語にしようとすると、急に難しくなる、、、

映画のタイトルの「邦題」とか、そう言うの作る感覚に似てるのかな、、、もちろんレベルはまるでちがうけど、いやはや😆

でも、どうやったら伝わりやすくてかつ誤解を生まないかを考えながら訳すの、なかなか面白いですね!

それと、、、今日は畑に行ったら、鳥よけのテグスがビヨーンと垂れ下がって、よく見たら1本支柱がたおれかかってるし、
さてさて、

表紙の写真は、どこかに間違いがあります😑

でもおかげさまで?素晴らしい対応で‼️無事でした。

どーだ、なんだかわからないだろー(笑)
分かった人は、Twitterじゃなくて、このブログのコメント欄に書いてね。
さーて、それじゃー寝るとしよー!

あ、そー言えば、、、

先日ウチにやって来たダイソンくん。温風と冷風が出せるヤツ!

って、こんな高級なのじゃないけど、こう言う感じのね!

普通ハロゲンヒーターみたいな暖かさを期待して使うと、風が寒、、、ってなります、💦

ところがー!!私の「巣」のような小さな部屋だとまさかのあっという間に、、、ほんわりあったかい!こういうふうに使うのかー!

勉強になりました😆

というわけで、それじゃーみなさんまた明日ー!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっとの手間

2024年01月08日 00時27分00秒 | 雑感
こんばんはー!!

写真は、写真撮る前にちょっと食べちゃったんだけど、実家ののっぺです😆

はてさて、どうも勉強させ過ぎると、「損得」で物事を推しはかるようになるなぁ、、、と思う今日この頃です。

例えば、、、

何かみんなでやるとして、始まる前に準備しないといけない。

別に誰がやる係とか決まってるわけじゃない。けど、誰かがやらないといけない、、、


そういう場合に、

んじゃちょいと早く行って準備しようーと思う人と、
あーやだやだと思いながらも準備する人と、
なんで自分がやらなきゃいけないの??早く行くなんて損じゃん?と思って早くは行かない人と、
ナーンも考えない人と、
悪いなーと思いながらも人にやってもらう人と、、、、

まーいろいろいますよねー😆

んで、話は戻るんだけど、

大人が「勉強しなさい」「勉強しないと良い大学行けないよ」とか言うのって、結局「将来いい会社に入って、たくさんお金をもらえるため」ってことないですか??

そんなにハッキリ言うと、いやらしいけど、それがその子のためであり、その子の幸せと思って疑ってないのだろうけど、

たくさんの考えるべきポイントがあると思うんですよ。

ホントに良い大学に行けば良い会社に勤められるのか?
良い会社とは?
なんのために勉強するのか?
学校の成績が良かったら、良いところに就職できるのか?
学校の成績と仕事のできるできないは関係あるのか?

結局どんな人に仕事を頼みたいか、、、
どんな人に会社に入って欲しいか、
生きるとか幸せってなんだ??

そう言う風に考えた時に、

単に点数取るために勉強してる人って、会社や社会にとって必要な人なのか??

点数取るために頑張るって、それって「自分のため」にやってることだから、別に誰かのためにもなってないし、、

で、そのための勉強さえしてたら、褒められるんだとすると、だんだん考え違いをするようになる、、、

人間は点数や大学やお金で判断されるモノだ

そんな風に無意識に刷り込んで行ってるのじゃないか??

学びたいモノに対して、一生懸命勉強するのはめっちゃありだと思う。

だけど、点数のための勉強とか、評価のための勉強とか、、、それで人間のかちがきまるとか、成績が良い人が偉いとか、、

その論法で全てを見るようになっちゃって、

「損得」を物差しにしてしまうのかな?!

ほんの少し、みんなとの時間のために奉仕する(最初に書いた、例えば早く来て準備するとかね)こと、、、

そういう小さい親切ができない人に、大きいことってできるのかなー????

できるのかな??

できるなら良いんだけど、

結局、そういうホントに小さいことを大事にしたり、ちょっと人のためになろうとしたり、それを「幸せ」と感じることができたり、、、

そういう人って、社会にとって、とっても大切な存在になっていくんじゃないかな??

社会にとって大切って、すごく価値があると思うよ。できたらそういう人と一緒にやりたいな!と思うんじゃなーい??

成績が人より100点良くてもさ、心遣いとか挨拶とか小さいことができない、って人だと「でも成績が良かったんだから、お仕事お願いしよう!」とはならないと思うよね、、、

きっとオトナはそういう社会のことを絶対知ってる。

知ってるはずだけど、もしかしたら自分が進学先のせいで日陰を歩かされた、、、と思っていたら、子どもに勉強しなさい!といっちゃうかもね。

でもそれはホントは「学歴」のせいにしたいだけかもしれない、、、

逆に良い大学に行ったから、良い職業に就けたと思ってるオトナは、その価値観の中で生きてるからそれしかみえないかもしれない。

子どもは大人の考えを反映する。


教えるなら、

ちょっとした「自分にできること」を率先してやる人になること、、、


が、ひょっとしたらいいと思うんだけどなー。それが出来ると、自己肯定感が上がると思うんだ、、

ちょっと逆から言うと、

自分の人生を生きる、っても大事。
自分の特性を活かして、それを一生懸命やってると、それが誰かの役に立ったり、社会の足りないとこを埋めることになったりして、、、、

そういうことにも想像つくようになっていけば、本当の意味で「頭使ってる」って言えると思う。

ホント、勉強が本当の学びならいいけど、点数のための勉強は、子どもの神性を「損得勘定」するような性質に変えちまうだけだと思うよー

「自分のできることを一生懸命やる」

早くオトナが気づかないかなー、、、
ホント、、、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする