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ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

採点カラオケ

2017年07月03日 22時49分32秒 | 雑感
今朝、布団の中でAmerca's Got Tallent のYoutubeを見た。

まー、この番組だってある程度作られたものかもしれない。けど、みんな「自分(たち)の表現」に挑戦して審査員や観客を魅了し、それに対して審査員が自分の判断でジャッジしている。


で、急にふと思った。


そーいや、日本じゃ自分の価値判断とか自分の表現とかより、「正確さ」「ホンモノにどこまで似ているか」「採点コンピュータの得点」で争うものが何だかすっかり増えてるような。。。

自分がいいなと思ったかどうかよりも、「採点マシーン」が何点つけたかの方を信用してしまう。
ま、機械が点をつけると分かりやすいし、何となく公平で正しいような気がしちゃう。

でもよ〜く考えたら、その機械の基準を考えた人がどんなプログラムをしてるかなんて、まるきり分かんないし、それが果たして音楽的なのかとか全く分からないのに、何か「機械」ってだけで、信用しちゃう。

そう言えば、よく食品なんかで「素手でやってるなんて!!(不潔)」みたいな考えとか、「作業工程は全て機械化(おー、清潔)」みたいな風潮あるけど、正直全くどーしてそれがいいのかはわたしゃ分かりませんよ。

話はいつも脱線(≧∇≦)



んでんで、

そう100点満点や正しさにどれだけ近づけるかを競ってる、、、

それって、もう天井が決まってるところにどれだけ近づけるかってことだよね。

でも、America's Got Tallentみたいなやつは、どれだけ「誰も見たことがない、唯一無二のパフォーマンスを見せてくれるか」を争う、、、ってことは、天井知らず。

一見どうでもいい違いだけど、常にそういう方向で進んでたら、爆発的に差が開いて来るよな…って。


あ、そして去年アメリカに行った時のことを思い出すと、

アメリカ人は「あなたのこういうところが良かったわ!」「ここが素敵」など、気に入ったところとか、いいと思ったところに注目してる感じ。

そう言えば日本人は「ここが今ひとつ」「ここが上手くいけばね」とか、不完全なところを見つけだして、そこを完全にしようよって考えがちな気が。
そんなところにも100点満点を目指す考えが根底にあるって感じて来た。。。


スーパーに並んでる野菜や果物も、そういやみんな同じ形でちょっとした傷なんかもないものが並ぶ。

キュウリなんてまっすぐにしようとしたら、めっちゃクスリいるらしいよ。

ちょっとくらい曲がってたって、農薬使ってない方が嬉しいけどな。
何でもキレイに完璧じゃないと…って思うのは、「何でも同じがいい」「同じであるべきだ」ってことなのかなぁ。


お、蚊が飛んでる…← これ急に今のリアル情報(≧∇≦)



あー、もっと自分自身の価値判断を信じよう。同時にもっと感じる力もつけなきゃ。というか、自分で考えたり、自分で判断したりしちゃいけない、こうあるべきなんだ!!と暗黙に抑え付けてた自分の本音を解放する練習しないといけんね。その上で、判断できるくらいいろいろなものを見聞きして自分のモノサシを作ろう。

んなことを考えましたよ。
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7月2日(日)のつぶやき

2017年07月03日 04時17分48秒 | Weblog
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将来のため?!

2017年07月03日 01時43分48秒 | 雑感
最近読んでいる電子書籍や本、あるいはインターネットのコンテンツ、、、

たぶん気付かないうちに自分の思考に合うものを選択しているからなんだろうけど、究極的にはみんな同じことを言ってる気がしていて、

そのひとつが、

将来のためにって今を犠牲にして、今を見ないで蔑ろにして生きてどうする?

ってこと。



ついつい、将来の受験や就職に有利だから、とか
安定した暮らしをするには良い大学、良い企業、、そのためには勉強…
きっとこれをやれば上手くなるだろうから、辛いけど我慢…
健康のためには…
お金を貯めなきゃ!!



などと、今を犠牲にすることって、よくあるし、それが良いことだって何か知らないうちに信じてる。
私も信じてた気がする。

でも、言われて気がついた。

んー、本当にそれで未来は保証されるのか???
もしそれで上手くいかなかった場合、どうすりゃ良いんだ???


努力が足りなかったんでしょ?

そんな答えが返ってきそうだよね。



でも、ホントに疑問に思うんだ。

良い学校に行くために、勉強をすることが心底楽しい訳でもないのに、貴重な子供時代を勉強に費やして、果たしてそれに見合う何かがホントにあるのかなって。

勉強そのものが楽しくて仕方ないなら良いよ!

実は、私は勉強好きだったよ。

テストで点を取るためになんて勉強したくないし。
分からないこと、知らないこと、出来ないことがちょっと出来るようになって、、、それが面白いから勉強してて、それでテストで点が取れれば良いよねって感じで。

だから「テストで点を取るための技術」とか「手っ取り早く出来る方法」とか全く興味ない。
そんな技術とか、覚え方とか、そんなのは面白い対象じゃないものー。

なもんだから、進学や点を取るために勉強してる人の気持ちが今ひとつ分からない。

ま、逆に言えば、めっちゃ要領悪いわけ。手っ取り早くないし、全部調べないと気持ち悪いから、あちこち手を広げすぎて、普通ならささっと終わると思われる範囲の予習に夜なべするくらい時間取ってたし。


話が逸れた。


そうそう、何か「将来のため」ってことでいろんなことを「我慢」しているうちに、1番大事な自分自身がどっか行っちゃって、何のためのやってるのかよく分からないけど「将来のためなんだー」と自分を説得してみるものの、今ひとつモチベーション上がらない…けどやんないと…


みたいな循環。


それは楽器についてもそう。


この練習すればきっと…みたいに思って頑張ってみても、結局なーんも良くならないことが私の場合しょっちゅう起きる。

その度、こんなことじゃいかん!!ちゃんとしないと!!なんて思ってまた別のものやってみたりして。。。


中学生の頃は、そういう「これを練習すれば…」みたいなスキルを持ち合わせてなかったし、そもそもそんなものが地球にあるなんて知らなかったから、聴こえてきたカッコいいなと思うものや、お!!スゲーって思うものをバンバン吹いたり、学校にあった唯一の教本を片っ端から吹いてみたり…


別に向上心とか、これをやれば…とかじゃなくて、単に吹きたかったし、やりたかったことをただやってた。

でも今振り返ると、これが良かった気がしてる。これで良かった。

基本に忠実に、確実に、、、とかとはまるで違うけど、自分のやりたいことを全力やるだけっていうね!!


今、この精神に還ろうと思う。

「今」を大事に楽しめてなくて、感じ尽くせてなくて、果たして保証された未来なんて来るのか?

「これがやりたい!!」「こうなりたい」というものをドンドン実現していく。それは我慢とか努力とかじゃなくて、精進だし、チャレンジだし、勇気だし。

ま、そのためには文句言われたり、迷惑かけたり、嫌われるかもしれないことも覚悟で、ですけどね(≧∇≦)
でもその勇気ないとさー。

こうやっときゃー無難…みたいな人生に、心の平和なんて案外ないんじゃないかなって思う、今日この頃ですよ。
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