「移行するときには」10月17日
『特別支援学校は維持 障害者基本計画素案』という見出しの記事が掲載されました。『2023年度から5年間の障害者政策の方針となる「障害者基本計画」の素案』が有識者委員会に示されたことを報じる記事です。
『国連の障碍者権利委員会は(略)日本への初めての勧告を発表し、分離教育の中止を求めていた』にもかかわらず、政府が『障害のある子どもがほかの子供と分かれて、特別支援学校などで教育を受ける仕組みの中止には踏み込まなかった』ことが記事の中心ですが、私は別のことが気になりました。
それは、『障害の有無で分け隔てられることなく、可能な限り共に教育を受けることができる仕組みの整備を進める』ための対策として打ち出された、『全ての新規採用教員が10年目までに特別支援学校などでの指導を複数年経験するとした』という方針です。
複数年というのは、3年程度と考えられます。つまり、通常学級の担任をする教員を、若いうちに3年間は特別支援学校や学級に勤務させるということです。この提言をした人は、教員であれば通常の学校でも特別支援学校でも、必要とされる能力・資質には、大きな違いはないと考えているように思われます。それは間違いです。
私は、小学校の通常学級の担任として教員生活を送った後、教委に勤務し、特別支援教育の担当指導主事として、また人権教育担当指導主事として、特別支援教育学校や学級の教員や校長と接してきました。実際の指導を観察したり、子供たちと共に行事に参加したりすることを繰り返す中で、自分が経験してきた「教員の仕事」と彼らの仕事は大きく異なるものだと痛感させられました。
仮に、新卒で小学校に2年間勤務し、その後特別支援学校に3年間勤務して、6年目にまた小学校に復帰するというケースを想定した場合、その教員は、教職6年目をほぼ新卒教員と同じ教員としての能力で迎えることになるでしょう。2年間で身に付けた通常学級の担任としてのノウハウは、3年間でほとんど忘れ去られ、また一から再スタートという意味です。そして、3年間で身に付けた特別支援学校の教員としての能力や知見は、仮に5年後(同一校での勤務年数は平均してこれくらい)特別支援学校の教員として赴任したときには、ほとんど役に立たなくなっているのです。
拙著「教員改革」に示した通り、教員の仕事は職人芸のようなもので、頭で理解するものではなく、日々の実践の中で体に染み込ませていくものだからです。つまり、上記の方針は、通常の学校でも特別支援学校でも役に立たない、中途半端な教員を大量に育てるという失敗に陥ってしまう可能性が高いということです。鉄は熱いうちに打てという言葉がありますが、教員の仕事も、他の職人の仕事と同じように、柔軟な若いうちに集中してその勘所を覚えることが必要なのです。
そしてもう一つ、頭に浮かんできた疑問があります。それは、将来的に特別支援学校という制度を廃止し、全ての子供が共に学ぶという学校制度に移行した場合、現在、特別支援学校で指導に当たっている教員をどうするのか、という問題です。
障害のある子供もない子供も共に学ぶとなった場合、一つの学級には、障害のない子供の方が多くいることになります。ですから、現在、特別支援学校で指導に当たっている教員も、障害のない子供の指導について一定の能力をもつことが必要となります。障害のある子供の指導に20年の経験があるからといって、いきなり障害のない子供の20~30人の集団を動かしていくことはできないのですから。
先ほどとは逆に、特別支援学校で指導に当たっている教員を、10年目までに通常の学校での指導を経験させる、ということになるのでしょうか。これも効果を上げることはないと思うのですが。
もし、政府が本気で将来的にはインクルーシブ教育に舵を切るつもりがあるのであれば、今すぐ大学の教員養成学部をインクルーシブ教育を前提とした内容に変え、インクルーシブ教育モデル学校を各地域に置き、インクルーシブ教育学部を卒業した教員を配置して教育活動を展開し、その問題点を明らかにしてその後の施策に生かすという方策をとる必要があると思います。