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ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

悪いのは○鵬

2021-08-01 09:00:36 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「差別と同じ構造」7月27日
 『近事片々』欄に、『角界重鎮も見てほしい。連覇でもガッツポーズなし、万感の表情で一礼。勝ち方も美しい柔道、大野将平選手』という記述がありました。言いたいことはよく分かります。相撲と柔道の勝者の態度を比べ、相撲界に勝って奢らずという美しい伝統を守ることを訴えたのでしょう。
 私も、白鵬の態度は角界を代表する横綱にふさわしいとは思っていません。大野選手の態度の方に好感を抱いたのも事実です。でもそれは、大野将平選手と白鵬という個人の問題、あるいは両者を指導してきたコーチや親方の見識と指導力の問題なのであり、相撲と柔道という団体の問題なのではないと思います。
 かつて、柔道界では、金メダリストの複数回の準強姦やパワハラという不祥事がありました。当時、メディアは全柔連の体質を鋭く批判し、中には中学校の部活から柔道をなくすべき、という声さえあったほどです。また、別の金メダリストは、優勝報告会で、「勝ったのは全て私の実力です」という趣旨のあいさつをしました。もちろん、受けを狙ったギャグという側面もありましたが、けっして気分の良いものではありませんでした。
 つまり、柔道界が角界に比べて優れているというような話ではなく、あくまでもそこに所属している一個人の話だということです。私たちは、差別や人権侵害について語るとき、個人を見るのではなく、ある属性をもつ集団に属しているということでレッテルを貼るような見方を問題ありとして糾弾します。女だから、黒人だから、障害者だから、ユダヤ人だから、というような個人を見つめずに一括りにして語る態度が差別の根底にあることを経験的に知っているからです。
 今回の「近事片々」の記述もこれに当たるのではないかと考えます。全国紙の影響力を考えた場合、軽率な表現であったような気がしてなりません。教員も、○組は、男子は、○○部は、○年はというような一括り語を使っていないか、自分の言動を日常的に振り返り反省する習慣をもつことが必要です。

 

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