「猿沢の池」8月14日
書評欄に、『「俳句で学ぶ唯識 超入門」多川俊映著(春秋社)』に対する書評が掲載されていました。その中に次の短歌が引用されていました。『手を打てば鯉は餌と聞き鳥は逃げ、女中は茶と聞く猿沢の池』です。
ちなみに猿沢の池は、奈良興福寺そばにあります。この歌は、主が手を叩いたとき、その音を鯉は餌がもらえる合図だと思って池の岸に近づいてくるし、鳥は驚いて逃げる、女中は主が「お茶を持て」と命ずるつもりだと思い準備を始めるという情景を詠んだものでしょう。つまり、ある「情報」が、受け手によって違う意味に受け取られることがあるということを表しているのです。
思い当たることがあります。授業中机間指導をしているとき、側に立ち止まり、何気なく手を動かし腕組みをしたり、腰に手を当てたりすると、首をすくめ頭を抱える子供がいたのです。彼は家で父親からよく頭を叩かれており、大人が近づいてきて手を動かすと頭を叩かれると思い条件反射的に頭を守ろうとしてしまうのでした。先輩教員に聞くと、そういう子供はたくさんいるとのことでした。私は何気ない動作で、子供を脅していたことになります。猛省です。
教員は、本人が意識しないままに、様々な情報を発しています。深く息を吐く、首をひねる、コツコツと机を叩く、目を細める、腕組みをするなど、単なる癖になっているものもありますが、子供や保護者は深読みし、そこから不機嫌や不満、怒りや諦めなどの意図を感じ取ってしまうことがあります。
私は子供のころから歯が悪く、よく「シーッ」とする癖がありましたが、あるとき「先生、すぐシーッと鳴らして怒るから嫌だ」と言われて驚いたことがあります。別に怒ってなどいないのにその子供は、私の機嫌が悪いと思い、その音を聞くたびびくびくしていたらしいのです。
教員は、自分の言動が何か別のシグナルとして誤解されていないか、振り返ってみることが必要です。