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ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教員自身が

2017-11-08 08:01:34 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「教員自身が」10月31日
 劇作家で演出家の平田オリザ氏が、『「政治と市民」考える教科書』という表題でコラムを書かれていました。その中で平田氏は、「動物会議」(エーリヒ・ケストナー著)についてふれています。なお、「動物会議」は、『世界平和を祈る動物たちは会議を重ね、あの手この手で人類を説得するのだが、馬鹿な人間どもは言うことを聞かない。そこで一番大切なもの=子どもたちを隠してしまうことで、はじめて人間たちは自分の愚かさに気がつく』という物語だそうです。
 平田氏はこの本を、『生涯の友』としてきたそうです。しかし、あるとき、同書についてテレビのインタビューで、『これは誘拐犯が子どもを人質にして、自分の主張をのませるという話ですよね』と聞かれ、『そういう見方もあるのかと感心した』と書かれています。インタビューアーは、世界平和を祈る動物=善を、誘拐犯=悪と指摘したのです。
 著者は、動物を善とし、平田氏も善と受け取り、多くの読者も評者も同様に理解して同書を評価していたのに、インタビューアーは、別の見方を提示したわけです。自分と異なる見解を、否定したり、不快に感じたりするのではなく、『感心した』と言える平田氏は、柔軟な人物だと言えるでしょう。
 話が飛躍するようですが、私はこのインタビューアーのような人が優れた教員になる資質をもった人であると考えています。子供というのは、本質的に保守的なものです。人生経験が少ないこともあり、大人の見方・考え方をそのまま自分自身の価値観としている者が少なくありません。しかも、子供に提示される大人の見方・考え方というのは、本音ではなく建前であり、紋切り型で平板なものである場合がほとんどです。
 子供はときとして、大人の予想を上回る残酷さを示すことがあります。「忘れ物をするのは悪いことだから、忘れ物をした子には罰を与えなければならない。みんなで1回ずつしっぺをしよう」と決めて、腕が真っ赤に腫れるまで叩くという事件が報じられたことがありますが、これなども行き過ぎた勧善懲悪的な考え方の結果です。
 そうした子供の保守的な建前的な硬直した価値観をゆさぶり、本音を引き出して考えさせることも教員の役割なのです。そのためには、このインタビューアーのように、ちょっと異なる見方・考え方を提示できることが必要になってくるのです。
 柔軟な感性をもった教員が求められているのです。今話題となっている考えさせる道徳授業など、まさに教員のこうした感性が必要とされているのです。

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つくるのか、できるのか

2017-11-07 08:00:56 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「つくるorできる」10月31日
 人生相談欄に23歳女性からの相談が寄せられていました。彼女の相談は、『(母親が)親戚に「大学生になっても彼ができない。生涯独身かも」と話しているのを聞きました。母の期待に応えられていなかったことがショックでした。時間も多少できたので、ダイエットでもして彼氏ができるように努力すべきですか』というものでした。
 とても違和感を感じました。彼氏というものは、他人の思惑を気にして、計画的に作るものなのでしょうか。あるいは、作ることが出来るものなのでしょうか。回答者の光浦靖子氏は、『恋愛ですよ?自分の気持ちありき、のことでしょう?あなたは親の期待に応えるために恋愛するんですか?(略)好きな人がいるのなら、ダイエットでも何でもすればいいと思いますよ』とまっとうな回答をしていらっしゃいましたが、もしかしたら光浦氏や私のように違和感を感じる方が少数派なのかと思ってしまいます。
 人を好きになる、恋をする、というのは自分でコントロールできない感情だと思います。好きになれと言われても好きにはなれません(好きになったふりをすることはできるかもしれませんが)。好きになるなと言われても好きで好きでどうしようもなくなることもあります。それが人間というものだと思いますが、いつの間にか変わってしまったのでしょうか。
 この相談者のように、人の感情は意思の力でどのようにでも変えることができる、という発想は間違っているというのが私の考えです。そうした考えから、私がいつも疑問に感じているのが、教員が安易に口にする「みんな友達」的な強制です。学級で、班で、部活で、友達であることが望ましい、友達になれないような奴は欠陥人間という、人間というものについて無理解な発想が、学校を息苦しくしているように思うのです。
 学級は学校が一方的に決めた集団です。確率的に見ても、気にくわない奴がいるのが当たり前です。部活は、その競技や内容に興味をもって集まったのであり、誰が部員になっているかで選ぶものではありません。仮にあこがれの先輩や好意をもっている人がいるからという理由で選択したとしても、他の部員全員が好きなタイプであるはずがありません。
 こんな理屈を並べると、気に入らない人でも、その人の良さを見つけるように努力すれば好きになれると言う人がいます。そうした姿勢が世界平和につながると理想を語る人もいます。その通りです。しかし、そんな超人的な努力を強いられることによって、強いストレスを感じ、つぶれていく子供もいるのです。
 理想の人間像を描き、全ての子供をそこに近づけようとするのではなく、人間の自然な感情を理解し、社会のルールとしての人付き合いの仕方を身に着けさせる、私は後者こそ教員がとるべき道だと思うのですが。

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本当に楽しいの

2017-11-06 07:55:00 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「本当に楽しい?」10月30日
 日本能率協会総合研究所客員研究員岩村暢子氏が、『ハロウィーンの新しい楽しさ』という表題でコラムを書かれていました。その中で岩村氏は、30代・40代主婦の家庭を対象にした調査における反応を紹介しています。『仮装しているとすごくテンションが上がる』『インスタグラムに上げたり、実家や友達にラインで写真を送ったり、道行く人が驚いて立ち止まって見てくれたりするのも楽しい』など。
 そして、『仮装もプレゼントも、互いに自分を表現し合うツールだろうか(略)他人の評価も重要だ』と感想を記しています。さらに、『現代の若い世代が祭りに求める自己表現と周りの反応という「新しさ」を凝縮して顕在化させているようにも思える』とコラムを結んでいらっしゃいました。
 私が初めてハロウィーンを知ったのは、今から16年程前、英国留学から帰国した同僚教員が、自分の学級でハロウィーン祭りをやると聞かされたときでした。正直、英国かぶれの変わり者が何か変わったことをしている、という感覚でした。私の周囲の教員も同じだったと思います。
 しかし今では、幼稚園でも小学校でも、特別活動の一環として、ハロウィーン祭りを実施するところは珍しくなくなりました。クリスマスは、キリスト教という特定の宗教の祭りであることから下火になったのに比べ、比較的宗教色が薄いハロウィーンは、抵抗がなかったのかもしれません。
 私は、ハロウィーンには、全く関心がありません。だからといって、ハロウィーンに否定的なわけでもありません。ただ、岩村氏のコラムにある、他人や周囲の評価が楽しさの重要な要素という点が引っかかるのです。要するに「ウケる」ことに価値が置かれているということです。ここが、七夕やひな祭りといった従来の祭りと違うところです。こうした状況は、ウケることに関心をもてない人、他人から注目されることが苦手な人にとっては苦痛でしかありません。
 こうした性格の人は、当然のことながら子供にもいます。そして、こうした子供こそが、学校生活の中で不適応を起こしたり、孤立したり、いじめの対象にされたりしやすい子供たちなのです。学校や子供の社会において、ハロウィーンが一般的なものになっていくことは、そのことに苦痛を感じる子供が増えていくということでもあります。しかも、そうした子供は、元々集団生活の中では弱みを抱える子供である可能性が高いのです。
 ちょうど1年前、私は、母が入院している病院からの帰り道、仮装をした子供とその母親らしき集団に出会いました。はしゃいでいる子供の側に浮かない顔の子供がいました。たまたまでしょうが、母親たちの表情は皆楽しそうでした。まさしくアラフォーの母親たちでした。おそらく浮かない顔の子供の母親もいたと思われますが、我が子の表情に気付いていたのでしょうか。とても気になったので今でも覚えています。
 新しい「祭り」が苦しむ子供を増やさないように、せめて学校では配慮してほしいと思います。

 

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大人の関係

2017-11-05 08:22:51 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「大人の関係」10月30日
 『そこが聞きたい 原発の安全チェック』という見出しの特集記事が掲載されました。原子力規制委員長更田豊志氏へのインタビュー記事です。その中で更田氏は、『目指すのは規制委員会と事業者の「大人の関係」です』と語っていらっしゃいます。具体的には、『事業者が「箸の上げ下ろしまで規制委員会から言ってもらえないと不安だ」と感じたり、「どうせ言われるだろうから対策を取る」というのは不健康な状態です。原発を一番知っている事業者が自ら心配な点を把握し、あらかじめ対処するのが最善』ということのようです。その通りなのだろうと思います。更田氏のお考えは、私が学校と教委のあるべき姿として考えていた内容と重なります。
 私が指導室長をしていたとき、「台風が近づいていますが、早く下校させた方がよいでしょうか」という問い合わせが校長からありました。事前に各校の状況に応じて校長が判断するように、と連絡してあったにもかかわらず、です。同じ市内の学校といっても、学区域や通学路の様子は異なります。そうしたことを熟知する校長が決めてよいと言っているのに、私に判断を求めてくるのです。そこには更田氏が指摘するように、教委の指示がないと「不安」という心理があるのでしょう。しかしそれでは、校長に経営者としての判断力が育ちませんし、校長の判断を支える情報の提供が自分たちの使命であるという、組織人としての教員の自覚も高まりません。
 と、ここまで書いてきて、それでは自分には市教委の指導室長として、「上部組織」である都教委と「大人の関係」を築くことができていたかと自問すると、そうでもないのです。私自身、指導主事に命じて都の担当者の見解を問い合わせたり、他の区市の判断を確認させたりして、それをそのまま自分の判断であるかのように、校長に通知するということがあったからです。
 「大人の関係」とは、双方が自立して自律した行動を取ることができる関係ということです。人間関係の病理を表す言葉に「共依存」があります。ギャンブル依存の子と子の借金を始末してやる親によくみられるような関係です。一見すると、頼りになる親と頼りない子という図式のようですが、実はお互いに甘え、自立せず、相互に寄りかかってやっと立っているような危うい関係です。
 かつての私と校長、私と都教委の関係は「大人の関係」ではなく、「共依存」関係だったように思います。更田氏は、記事の中で『安全は会議室ではなく、現場で作るものです』とも語っていらっしゃいます。充実した学校教育も、教委ではなく学校で実現させるものでしょう。教委と学校の「大人の関係」づくりは、学校教育改革において、知恵を絞るべき課題だと思います。

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不公平

2017-11-04 07:55:43 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「不公平」10月28日
 『非喫煙者には有給休暇6日 東京の企業導入 「たばこ休憩」不満解消へ』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『29階にあるオフィスに喫煙室はなく、たばこを吸うには地下1階に降りなければならず、喫煙1回当たり10~15分の労働時間が失われているとみられる。全社員のうち喫煙者は約35%で、たばこ休憩には非喫煙者が不満を抱きやすい』という現状を受け、『非喫煙者が1年につき最多で6日の有給休暇を取得できるスモ休を考案した』ということのようです。
 私も教委勤務時代に同じ不満をもっていました。そこでこの記事を基に計算してみると、1回の喫煙時間を、10~15分の中間値の12分30秒とすると、6日間=48時間は、年間で240回足らずの喫煙回数にしか充当しません。社員の年間勤務日数は、年休等をフルに活用しても、210日ほどですから、1日に1回「たばこ休憩」をとってもよいということになります。実際には、習慣的な喫煙者がそんな頻度で耐えられるわけはありませんから、こんな制度で、非喫煙者に対する不公平さが解消できるわけではないことになります。
 学校でも同じでした。私が教員時代には、授業の間の休み時間のたびに職員室に降りて一服する教員がいました。彼らは、休み時間中の子供の様子に目を配ることもなければ、子供と一緒に遊んだり話し相手になって実態把握に勉めることもなかったのです。
 今も一部の学校では、敷地内禁煙という教委の指導を無視し、校長室や専科教員の準備室などを非公認の喫煙室としている例がみられます。そこでは、たばこ休憩というなの怠業が行われ、喫煙者でなければ加わることができない非公式の情報交換や下交渉が行われてさえいるのです。
 校長など管理職の中にも、こうした現状を喫煙者の教員の支持を得るために、あるいは学校管理に役立てるためにという意味で効用を認め、意図的に活用している者までいるのです。以前もある教委による調査で、こうした実態が明らかになりましたが、その後こうした問題に対する対応が進んだという話は聞きません。職務専念義務を有する公務員が、たばこ休憩を取るということは、納税者に対する裏切り行為であるという視点からの批判も不十分です。学校における教職員の喫煙問題は、まだまだ掘り下げが不十分です。

 

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文化が消えれば

2017-11-03 07:38:31 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「机上の空論」10月28日
 資源・食糧問題研究所代表柴田明夫氏が、『農政の本質と農業の在るべき姿』という表題でコラムを書かれていました。その中で柴田氏は、『農業・農村があってこそ、農地と水や森が維持でき、国土の荒廃を防ぎ、自然環境保全という国益にもつながる』という主張を述べていらっしゃいます。
 私は、農業にも農政にも基本的な知識がなく、柴田氏の主張が正しいのか否かは全く判断できませんが、農村という歴史的文化的な存在が、農地・水・森という農業に不可欠な基盤を支えているという考え方に注目させられました。それは、私が普段学校教育について考えていることにつながる考え方だからです。
 私は、農業における農村にあたるのが、学校教育における教員文化・学校文化だと考えています。3ちゃん農業などと揶揄される、小規模兼業農家を主とする家族経営農業は、非合理的で生産性が低く、時代遅れで見直されなければならないものというイメージがあります。一方で、学校文化・教員文化も、学校の常識は世間の非常識という言葉に象徴されるように、学校自体が企業等と比べて組織的統合が弱く、構成員である教員も世間知らずで社会人として未熟というような見方がなされています。どちらも負の要素がついて回っています。改革すべきものとして批判されています。
 しかし、学校や教員の体質と言われるものの中で、コスト意識の低さ、公私の別の曖昧さ、契約概念の希薄さ、指示命令の少なさ、上下関係意識の乏しさなどには、それらがあるからこそ、現在まで我が国の学校が成り立ち、特に義務教育段階で大きな成果を上げてきたという側面があると思うのです。
 月わずか7~8時間分の残業手当にしかあたらない教職調整手当にもかかわらず、気になる子供の家庭には勤務時間外に家庭訪問し、休みの日にも保護者からの電話に何時間も対応し、学区域の店から万引きの知らせがあれば駆けつけるのは、労働契約的な発想からすれば、あり得ないことです。
 和式トイレの使い方、箸の持ち方、挨拶の仕方など、学校で指導することではありません、と拒絶してもよいはずなのに、そんな教員も学校もありません。多くの教員が、校長からの指示がなくても、明日の授業のために家に帰ってからも教材づくりに打ち込んでいます。自腹を切って、授業のための資料を買い込んだり、朝食抜きの子供に菓子パンを買い与えたりしています。我が子との約束を破ってまで、休日に教え子たちが所属する地域の野球チームの試合を応援に行く教員もいます。私の姪の連れあいの母親も小学校の教員でしたが、「教え子のことばかりに関わっていて構ってやれなくてごめん」と命のつれ合いである息子に謝っていました。
 確かに古臭い体質だと言われればそれまでですし、私が批判してきた「教職=聖職論」的な臭いもしますが、こうした体質、文化をもつからこそ、我が国の学校教育が、OECD最下位クラスの教育予算にもかかわらず、成果を上げてくることができたというのも事実です。もし、こうした体質・文化を一掃したら、我が国の学校教育は崩壊するでしょう。そのことを踏まえた上で、学校はブラック企業といわれるような状況をどのように変えていくのか、慎重に検討を進めなければなりません。

 

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競うのは誰?

2017-11-02 07:48:46 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「個人か学校か」10月28日
 『無償化「大学を限定」 免除や奨学金対象基準検討 茂木担当相』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『人づくり革命担当相は27日、大学などの高等教育の無償化の対象となる学生の進学先を限定する方針を明らかにした(略)大学の差別化につながるとして、大学側からの反発も予想される』ということです。
 私は以前このブログで、大学生への奨学金制度について、「分数の引き算レベルの補習が必要な大学は高等教育機関と呼ぶには相応しくなく、奨学金支給の対象とするのは、能力に応じて学ぶ権利を保障した憲法の趣旨に反する」という意味の意見を述べました。それは今も変わりません。
 そうした視点から今回の記事を読むと、制限を設けるということには賛成なものの、『大学を限定』というやり方には疑問を感じます。大学関係者が懸念するように、名門校・底辺校という大学間の序列を固定させ、学生に不要な劣等感を植え付け、帰って学習意欲を削ぐことになるのではないか、大学関係者の教育内容向上への意欲を阻害することになるのではないかと考えるからです。
 ここ十数年、我が国では学校教育に於いて、積極的に競争原理を導入してきました。学校選択制や全国学力テストの実施と結果の公表、教員の業績評価導入などの改革は、いずれも競争原理を強めるという文脈の中で行われてきました。
 私はこうした動きに懐疑的な立場ですが、それとは別に、我が国の学校教育における競争原理には、大きな特徴があると指摘してきました。それは、「競争」と言いながらも、児童・生徒・学生が競争するのではなく、教員や学校、教委が競争するという図式になっていることです。国民の間で、子供に競争させることへの潜在的、感情的な反発が強く、もし小学校で学年ごとに1位から最下位まで公表したら、非難が殺到するはずです。しかし、我が国以上の受験地獄と言われる韓国などでは、競争するのは基本的に子供や子供を応援する保護者であるという認識です。私はそれこそが真の競争原理だと考えます。
 義務教育である小中学校と大学は、同じ教育機関とはいえ、その性格は異なるでしょう。しかし、茂木氏の発想は、学生個人にではなく、大学に焦点を当てるという意味で、私が批判してきた似非競争原理に通じるものです。現在進行中の大学入試改革では、全国レベルで学力テストのような機会が設けられる方向です。だとすれば、その成績という客観的な基準で、奨学金給付の基準を設けるべきだと思います。大学生の中には、たまたまその大学の入試当日に体調不良等の理由で志望校には入れなかった者がいるそうです。しかし、何らかの基準で高校在学中の学力で評価されるシステムになれば、そうした学生は志望校と異なる大学でも意欲と誇りをもって学ぶことができ、そうした学生の存在が大学自体の教育研究レベルを向上させる効果が期待できるように考えます。

 

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いじめの認識

2017-11-01 08:26:31 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「いじめへの認識」10月27日
 文科省の問題行動調査結果公表を受けて、『いじめ認知件数が大幅増 子供の声くみ早期対応を』という表題の社説が掲載されました。子供の様子をしっかりと見つめいじめがまだ芽の段階で早期に対応するという趣旨には、全く異論がありません。ただ、そこに書かれているいじめに対する認識について2点気になる記述がありました。
 まず、『依然として深刻な状況が続いている。自殺や不登校といった重大事態に陥った~』という記述です。ここでは、重大事態として、「自殺」と「不登校」が並置されています。これは誤解を生じる捉え方だと思います。私自身、教員時代にいじめに端を発した不登校はいくつも経験しています。いずれも解決してきました。そのときとった対応は、既にこのブログでも再三紹介してきたものです。担任として悩み苦しみましたが、保護者や一部の勇気ある子供たちの協力で乗り越えることが出来ました。
 これは私だけの特別な体験ではなく、多くの同僚教員が程度の差こそあれ、体験してきていることです。誤解を受ける言い方かもしれませんが、かなりある事例なのです。一方で、いじめ自殺は、教委に勤務し、延べにして数百校に関わった中でも、幸いにして直面することはありませんでした。つまり希有なことなのです。もちろん共通点はありますが、両者を並置し、同じものとして対策を論じることは、有益ではありません。
 もう一つは、『感情のコントロールができなかったり、言葉よりも先に手が出てしまったりする子供が増えているとの指摘があるという。いじめにもつながりかねない子供の不安定さだ』という記述です。いじめ問題の特徴は、執拗なまでの継続性にあります。暴力も暴言も、無視も仲間はずれも、それがあるとき、ある場面に限られた一過性のものであれば、ダメージは軽微です。いじめ被害者が苦しむのは、それがな長期間続き、しかも明日も明後日も、1週間後も、1カ月後も続くと予想されることなのです。そうした全都に光が見えない状況が、絶望をもたらすのです。
 カッとして手が出るという行為といじめは、大きく異なる現象なのです。当然、対処法も異なります。学校では、日々様々な問題が発生しています。そうした問題には共通点もありますし、相互に影響し合う面もありますが、別の病理現象だと考えた方がよいのです。人の身体にたとえれば、基礎的な体力が低下しているときに様々な病気が現れるというのに似ています。基礎体力の回復が全てに於いて有効かつ必要ですが、個々の症状には別の処方箋が必要となるのです。低血圧症によるめまいと高血圧症によるめまいには、違う薬が必要なように。

 

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