「進学しないという選択肢」1月14日
『大学卒業要件厳格化へ』という見出しの記事が一面トップで掲載されました。記事によると、『国は大学入試と大学教育の一体改革を目指しており、「入り口」の入試改革を進めると同時に「出口」である卒業要件を厳格化。卒業する学生の質も確保することが狙いだ』とのことです。その結果、『水準に達していない学生は留年させたり卒業見送りにしたるするなどして、安易に卒業させない大学づくりが進む』ことになるのだそうです。
もし、私の学生時代にこうした制度が導入されていたら、私は卒業できなかったように思います。でも、賛成です。私が賛成する理由は、この新制度によって大学改革が進み、各大学が質のよい人材を社会に送り出すことができるようになることを期待してのものではありません。
3流の国立大学にやっと合格した私は、卒業要件が厳格化されていれば卒業できなかっただろうということは先に述べました。では、私はどうしただろうと考えてみると、大学進学を諦めていたと思うのです。我が家は裕福ではありませんでしたから、何年も留年することは経済的に許されなかったでしょう。それでも6年、7年かけて卒業し、大卒の資格を得られればまだしも救いがありますが、結局卒業できなかったとなれば、何の資格も肩書きもにままに社会に放り出されることになってしまうわけです。それから、何とかどこかの企業に就職できたとしても、高卒で入社していた同級生とは6、7年のキャリアの差ができてしまっています。もしかしたら、新入社員とその教育係くらいの差ができてしまっているかもしれません。それどころか、係長と新入社員という関係で、毎日怒鳴られている状態かもしれないのです。
そんな未来を想像してみれば、私は大学進学を断念し他の道を模索していたと思うのです。我が子のことをよく知る両親も、進学断念に賛成したはずです。私のような中途半端な成績の者の多くが、進学を断念して別の道を歩み出すとすれば、「世間体」の問題も解消されます。「どこでもいいから大学ぐらい出ていないとつぶしがきかない」というような見方はなくなり、「どうしてお宅の息子さん大学に行かれなかったの」などという質問に怯えることも、結婚申し込みの際に相手の親御さんから「娘の結婚相手には、大学ぐらい出ていて欲しかった」などと言われることを心配しなくてもよくなるでしょう。
そして将来的には、大学は真に最高学府にふさわしい能力・資質をもった若者だけが学ぶ場になっていくのです。そうなれば、高校以下の学校教育も変わります。小中学校においても、いわゆる受験の弊害はなくなり、子供の知的好奇心を生かした問題解決学習に多くの時間をかけることができるようになります。それは、いじめや不登校などの諸問題の緩和にもつながるはずです。つまり、大学進学を断念するという選択肢が一般的になることこそが、最も効果的な小中学校教育改革になる可能性が高いということです。
以上が、私が大学卒業要件厳格化に賛成する理由です。ですから、新方針が、3流、4流の卒業基準をもった似非大学が増えるだけの結果に終わるのであれば、反対です。実際にはそうなりそうな懸念が強いのですが。