「基本的なあり方」6月26日
『自民・教育再生本部 「教科書法制定を」 検定見直し』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、自民党の教育再生本部の中間まとめの内容が、『教科書の基本的な在り方を定めた「教科書法」の制定や教科書検定でアジア諸国に配慮する「近隣諸国条項」の見直しを示した』ものであるそうです。
同党の主張である自虐史観の見直しという方向で改革が進むということで、その点について賛否はともかく驚きはありません。ただ、『将来的には教科書の定義、検定、採択などの在り方を定めて教科書法の制定』を目指す、という記述には注目せざるを得ませんでした。
いったい、教科書の定義とはどのようなものを考えているのでしょうか。もちろん、細部については今後の検討課題なのでしょうが、おそらく大まかなイメージは既にあるはずです。ちなみに、現行の規定では、「教育課程の構成に応じて系統的に組織配列された各教科の主たる教材」という位置付けです。わざわざ新たに定義付けするというのですから、これと同じものになることはないでしょう。
実は私は、現在の教科書に関する様々な規定に不満があります。それは、教科書について、「内容」面からしか語られていないことです。しかし、教科書が主たる教材であるならば、教科書を評価する際には、内容だけではなく、子供の思考過程、問題解決の過程との整合性という視点も重視されるべきだと思うのです。
今、予め正答がある問題を効率的に解くのではなく、自らが問題を発見し自分なりの解を導き出すことができる人間を育てることが大切であるということがいわれています。教育学者も、政治家も、経済界も、口を揃えて同じことを言っています。そうであるならば、学校の授業は、自ら解を導き出す形が中核をなすように変えていかなければなりませんし、教科書もそれに応じて変わらなければならないはずです。それが、上述した「思考過程、問題解決の過程との整合性」なのです。
分かりやすく言えば、単元ごとに、問題発見に相応しい内容と記述、予想や仮説をたてるのに役立つ視点の提示、問題解決に資する内容と構成、自分なりの解を検討吟味するのに役立つ複数の方法、などで構成される教科書こそ「望ましい教科書」であるはずなのです。こうした立場に立って教科書を考えれば、その作成、検定、採択において授業の専門家である教員の関与を強める方向で改革が進むことになります。
教員の関与というと、日教組などの思想信条が反映された偏向教科書が増えるというような懸念をもつ人がいるかもしれませんが、そうではありません。内容偏重だからこそ、自虐史観や偏向教育が問題となるのです。誰か偉い人がいった借り物の教育論ではなく、普段から子供の問題解決を促すという視点で授業をしている本物の教員でなければ教科書に関与することができなくなるのですから、偏った教科書は減っていくのです。
自民党の改革が、教科書が内容偏重主義からの脱却を果たす一歩になればよいのですが。
『自民・教育再生本部 「教科書法制定を」 検定見直し』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、自民党の教育再生本部の中間まとめの内容が、『教科書の基本的な在り方を定めた「教科書法」の制定や教科書検定でアジア諸国に配慮する「近隣諸国条項」の見直しを示した』ものであるそうです。
同党の主張である自虐史観の見直しという方向で改革が進むということで、その点について賛否はともかく驚きはありません。ただ、『将来的には教科書の定義、検定、採択などの在り方を定めて教科書法の制定』を目指す、という記述には注目せざるを得ませんでした。
いったい、教科書の定義とはどのようなものを考えているのでしょうか。もちろん、細部については今後の検討課題なのでしょうが、おそらく大まかなイメージは既にあるはずです。ちなみに、現行の規定では、「教育課程の構成に応じて系統的に組織配列された各教科の主たる教材」という位置付けです。わざわざ新たに定義付けするというのですから、これと同じものになることはないでしょう。
実は私は、現在の教科書に関する様々な規定に不満があります。それは、教科書について、「内容」面からしか語られていないことです。しかし、教科書が主たる教材であるならば、教科書を評価する際には、内容だけではなく、子供の思考過程、問題解決の過程との整合性という視点も重視されるべきだと思うのです。
今、予め正答がある問題を効率的に解くのではなく、自らが問題を発見し自分なりの解を導き出すことができる人間を育てることが大切であるということがいわれています。教育学者も、政治家も、経済界も、口を揃えて同じことを言っています。そうであるならば、学校の授業は、自ら解を導き出す形が中核をなすように変えていかなければなりませんし、教科書もそれに応じて変わらなければならないはずです。それが、上述した「思考過程、問題解決の過程との整合性」なのです。
分かりやすく言えば、単元ごとに、問題発見に相応しい内容と記述、予想や仮説をたてるのに役立つ視点の提示、問題解決に資する内容と構成、自分なりの解を検討吟味するのに役立つ複数の方法、などで構成される教科書こそ「望ましい教科書」であるはずなのです。こうした立場に立って教科書を考えれば、その作成、検定、採択において授業の専門家である教員の関与を強める方向で改革が進むことになります。
教員の関与というと、日教組などの思想信条が反映された偏向教科書が増えるというような懸念をもつ人がいるかもしれませんが、そうではありません。内容偏重だからこそ、自虐史観や偏向教育が問題となるのです。誰か偉い人がいった借り物の教育論ではなく、普段から子供の問題解決を促すという視点で授業をしている本物の教員でなければ教科書に関与することができなくなるのですから、偏った教科書は減っていくのです。
自民党の改革が、教科書が内容偏重主義からの脱却を果たす一歩になればよいのですが。