「当たり前のこと」7月17日
『接客業の分配金もめる?』という見出しの記事が掲載されました。広島県呉市の山中に若い女性の遺体が遺棄され少女が自首した事件についての記事です。記事によると、『少女は接客業のまとめ役をしていて、利益の分配などを巡り、女子生徒との間でもめていた』そうです。
この殺人事件の真相は分かりません。ただ、明らかになっているのは、現在は実際には登校していないものの広島市内の高等専修学校に今も籍がある被害者の女子生徒も、「接客業」に関わっていたということです。この「接客業」が16歳の生徒が学校の許可を得てアルバイトとして従事するのに相応しいものであったとは思えません。私は、この高等専修学校の校長以下、学校側の反応に関心があります。
かつて都教委は、入学間もない1学期、高1の生徒が親を殺した事件に際して、「生徒一人一人をよくみつめ、その心に寄り添う指導が不足」していたという趣旨の見解を発表し、各校長に対して「生徒理解の深化」を求める通知を出したことがありました。私は、その事件は家庭の問題であり、学校が責任を負う必要はないという意味のことをこのブログに書きました。学校や教委の、過剰に自己反省する性癖が、教育における学校依存を強めてしまうという批判でした。
だからこそ、今回、自校の女子生徒が「接客業」に関わり殺されるほどの事態を迎え、在籍校の校長が何か「自己反省」、例えば生徒の実態把握が不十分だったとか、生徒の変化を見逃していたとかいうコメントを出すかと注目していたのです。
しかし、私の知る限りでは、校長のコメントもなければ、学校の所為と理解不足を責めるメディアの報道もありませんでした。私はこのことを責めているのではありません。当然だと思っているのです。教員は神様ではありません。学校に来ない生徒、放課後の生徒の行動についてすべてを把握し、指導することなど期待されては困ります。誰も学校の「責任」や「対応」に触れようとしない状況に密かな満足感を得ています。
『接客業の分配金もめる?』という見出しの記事が掲載されました。広島県呉市の山中に若い女性の遺体が遺棄され少女が自首した事件についての記事です。記事によると、『少女は接客業のまとめ役をしていて、利益の分配などを巡り、女子生徒との間でもめていた』そうです。
この殺人事件の真相は分かりません。ただ、明らかになっているのは、現在は実際には登校していないものの広島市内の高等専修学校に今も籍がある被害者の女子生徒も、「接客業」に関わっていたということです。この「接客業」が16歳の生徒が学校の許可を得てアルバイトとして従事するのに相応しいものであったとは思えません。私は、この高等専修学校の校長以下、学校側の反応に関心があります。
かつて都教委は、入学間もない1学期、高1の生徒が親を殺した事件に際して、「生徒一人一人をよくみつめ、その心に寄り添う指導が不足」していたという趣旨の見解を発表し、各校長に対して「生徒理解の深化」を求める通知を出したことがありました。私は、その事件は家庭の問題であり、学校が責任を負う必要はないという意味のことをこのブログに書きました。学校や教委の、過剰に自己反省する性癖が、教育における学校依存を強めてしまうという批判でした。
だからこそ、今回、自校の女子生徒が「接客業」に関わり殺されるほどの事態を迎え、在籍校の校長が何か「自己反省」、例えば生徒の実態把握が不十分だったとか、生徒の変化を見逃していたとかいうコメントを出すかと注目していたのです。
しかし、私の知る限りでは、校長のコメントもなければ、学校の所為と理解不足を責めるメディアの報道もありませんでした。私はこのことを責めているのではありません。当然だと思っているのです。教員は神様ではありません。学校に来ない生徒、放課後の生徒の行動についてすべてを把握し、指導することなど期待されては困ります。誰も学校の「責任」や「対応」に触れようとしない状況に密かな満足感を得ています。