「言葉の吟味」11月5日
三木陽介記者が『言葉のつまずき』という標題でコラムを書かれていました。その中で三木氏は、『「200円の鉛筆と消しゴム50円を買ったら代金は?」という問題。足し算ができてもこの問題が解けない子がいる。なぜか。「代金」の意味が分からないのだ』という事例を挙げ、『先生が何気なく使う言葉が気付かぬうちに壁になっているのだという。「人間は、知れば知るほど「分からない人」の気持ちが分からなくなる」と西川教授(上越教育大学教授)は言う』と述べていらっしゃいます。
こうした事態の改善策として、『子供同士による「学び合い」』が有効であると、話は展開していくのですが、その前に大切なことがあるように思います。それは、教員の話す力の向上です。
私は、子供同士の学び合いに反対ではありません。大切なことだと思いますし、私自身も「学び合い」の活性化を心掛けてきました。指導主事としても、子供の相互交流を重視した授業づくりを訴えてきました。しかし、授業が、教員の意図の下に展開されるものであることを考えると、教員の発する言葉が子供に浸透することなしには、子供同士の「学び合い」も成り立たないと考えるのです。
私は、指導力不足教員の研修を担当したときにも、授業における「言葉」を重視して指導をしてきました。実は、子供の前できちんと説明したのだから、子供は分かっているはずだという思い込みは、指導力不足教員がもつ共通の欠点でした。彼らは、子供が分かっているという前提で次の説明に移ります。そしてすべての説明が終わった後、子供が理解していないことに気付き、怒りだすのです。なぜ怒るかといえば、自分の説明が原因とは考えず、子供が真面目に聞いていなかったから、と思うからです。そして怒った後、もう一度同じ説明を繰り返すのです。そしてまた同じことが切り替えされ、やがて子供が分かったフリをして、一段落ということになるのです。今、「説明」という言葉を使いましたが、実際には、「指示」や「質問」や「叱責」・「称賛」など、教員が発する言葉すべてにおいて、この勘違いが起きているのです。
台風一過はいくつかの台風が家族のようにくっついて来襲すること、中央線不通は中央線がいつも通り動いていること、これは私が子供時代にしていた誤解です。子供が演技ではなく本当に分かったと思っていても、間違った理解をしていることはあるものです。こうした事態を避けるためにも、教員は、子供が分かるように話すことが必要なのです。
今までにも繰り返し書いてきたことですが、私は授業に際して、「音声原稿」を作ることを奨励してきました。三木氏は「先生が何気なく使う言葉」と書いています。何気なく、ではなく、意図的計画的に言葉を使う習慣をもつことが教員の務めなのだと思います。
三木陽介記者が『言葉のつまずき』という標題でコラムを書かれていました。その中で三木氏は、『「200円の鉛筆と消しゴム50円を買ったら代金は?」という問題。足し算ができてもこの問題が解けない子がいる。なぜか。「代金」の意味が分からないのだ』という事例を挙げ、『先生が何気なく使う言葉が気付かぬうちに壁になっているのだという。「人間は、知れば知るほど「分からない人」の気持ちが分からなくなる」と西川教授(上越教育大学教授)は言う』と述べていらっしゃいます。
こうした事態の改善策として、『子供同士による「学び合い」』が有効であると、話は展開していくのですが、その前に大切なことがあるように思います。それは、教員の話す力の向上です。
私は、子供同士の学び合いに反対ではありません。大切なことだと思いますし、私自身も「学び合い」の活性化を心掛けてきました。指導主事としても、子供の相互交流を重視した授業づくりを訴えてきました。しかし、授業が、教員の意図の下に展開されるものであることを考えると、教員の発する言葉が子供に浸透することなしには、子供同士の「学び合い」も成り立たないと考えるのです。
私は、指導力不足教員の研修を担当したときにも、授業における「言葉」を重視して指導をしてきました。実は、子供の前できちんと説明したのだから、子供は分かっているはずだという思い込みは、指導力不足教員がもつ共通の欠点でした。彼らは、子供が分かっているという前提で次の説明に移ります。そしてすべての説明が終わった後、子供が理解していないことに気付き、怒りだすのです。なぜ怒るかといえば、自分の説明が原因とは考えず、子供が真面目に聞いていなかったから、と思うからです。そして怒った後、もう一度同じ説明を繰り返すのです。そしてまた同じことが切り替えされ、やがて子供が分かったフリをして、一段落ということになるのです。今、「説明」という言葉を使いましたが、実際には、「指示」や「質問」や「叱責」・「称賛」など、教員が発する言葉すべてにおいて、この勘違いが起きているのです。
台風一過はいくつかの台風が家族のようにくっついて来襲すること、中央線不通は中央線がいつも通り動いていること、これは私が子供時代にしていた誤解です。子供が演技ではなく本当に分かったと思っていても、間違った理解をしていることはあるものです。こうした事態を避けるためにも、教員は、子供が分かるように話すことが必要なのです。
今までにも繰り返し書いてきたことですが、私は授業に際して、「音声原稿」を作ることを奨励してきました。三木氏は「先生が何気なく使う言葉」と書いています。何気なく、ではなく、意図的計画的に言葉を使う習慣をもつことが教員の務めなのだと思います。