「私の…」11月14日
バイオリニストの葉加瀬太郎氏へのインタビュー記事が掲載されました。その中で葉加瀬氏は、『日本人は日本のことを「この国」って言うことが多い。なんでマイカントリー、我が国って言えないんだろう』と語っていらっしゃいました。
そう言えば、私がこのコラムで取り上げ続けているM新聞の夕刊の特集も「この国のかたち」でした。葉加瀬氏は、愛国心や郷土意識との関連でこの言葉を発していらっしゃいましたが、私は「学校」との関連で考えてみました。
教員は、数年で次の学校へ異動していきます。当然、私も異動を経験しました。私が最初に異動したとき、新任校は、区内でトップクラスの職員団体の力が強い学校でした。正直なところ、職員室にいるのが苦痛でした。職員団体に加入していない私に対して、「俺が必ずお前を変えてみせる」という古参教員、校庭の真ん中に生えていて休み時間や体育の時間に邪魔になっている木の伐採に反対し「この木を切ったら自衛隊のヘリコプターが降りてくる」と真顔で言う教員、そんな彼らと向かい合っているのが嫌だったのです。
当時の私は、「この学校は…」「この学校では…」と言っていました。意識してはいませんでしたが、自分の学校という感覚をもてなかったのでしょう。数年が過ぎ、その間、自分が教務主任や研究主任などの立場になり、学校の雰囲気を変えていきました。そして気が付くと「うちの学校では…」「うちでは…」という言い方をするようになっていたのです。ときには非難され、面と向かって罵倒されたこともありましたが、自分が汗をかいて学校を創り上げていくうちに、自分の学校という愛着が湧いていったのです。
教委に勤務するようになり、所管の学校で問題が起きると、校長などと一緒に保護者や市民に対応する機会が増えました。そんなとき、「この学校は…」という言い方をする保護者が相手の場合は、話し合いが拗れることが多かったものです。「うちの先生」と言わずに「あの先生は…」という言い方を耳にするときも同じでした。要するに、保護者が、学校と自分を同じ側においているか、対峙的に見ているかの違いです。
校長は、自分のの学校経営方針に、9割の保護者に「うちの学校」と言ってもらえるようにする、という目標を書き込んでみてはどうでしょうか。開かれた学校という使い古された言葉よりもよいと思うのですが。
バイオリニストの葉加瀬太郎氏へのインタビュー記事が掲載されました。その中で葉加瀬氏は、『日本人は日本のことを「この国」って言うことが多い。なんでマイカントリー、我が国って言えないんだろう』と語っていらっしゃいました。
そう言えば、私がこのコラムで取り上げ続けているM新聞の夕刊の特集も「この国のかたち」でした。葉加瀬氏は、愛国心や郷土意識との関連でこの言葉を発していらっしゃいましたが、私は「学校」との関連で考えてみました。
教員は、数年で次の学校へ異動していきます。当然、私も異動を経験しました。私が最初に異動したとき、新任校は、区内でトップクラスの職員団体の力が強い学校でした。正直なところ、職員室にいるのが苦痛でした。職員団体に加入していない私に対して、「俺が必ずお前を変えてみせる」という古参教員、校庭の真ん中に生えていて休み時間や体育の時間に邪魔になっている木の伐採に反対し「この木を切ったら自衛隊のヘリコプターが降りてくる」と真顔で言う教員、そんな彼らと向かい合っているのが嫌だったのです。
当時の私は、「この学校は…」「この学校では…」と言っていました。意識してはいませんでしたが、自分の学校という感覚をもてなかったのでしょう。数年が過ぎ、その間、自分が教務主任や研究主任などの立場になり、学校の雰囲気を変えていきました。そして気が付くと「うちの学校では…」「うちでは…」という言い方をするようになっていたのです。ときには非難され、面と向かって罵倒されたこともありましたが、自分が汗をかいて学校を創り上げていくうちに、自分の学校という愛着が湧いていったのです。
教委に勤務するようになり、所管の学校で問題が起きると、校長などと一緒に保護者や市民に対応する機会が増えました。そんなとき、「この学校は…」という言い方をする保護者が相手の場合は、話し合いが拗れることが多かったものです。「うちの先生」と言わずに「あの先生は…」という言い方を耳にするときも同じでした。要するに、保護者が、学校と自分を同じ側においているか、対峙的に見ているかの違いです。
校長は、自分のの学校経営方針に、9割の保護者に「うちの学校」と言ってもらえるようにする、という目標を書き込んでみてはどうでしょうか。開かれた学校という使い古された言葉よりもよいと思うのですが。