「普通がいい」9月28日
脚本家岡田惠和氏がインタビューに答えていました。その中で岡田氏は、『みんな必死で変な人になろうとしている感じがあって、そうしないと個性的な人ではないということになっている。僕はそんなことはないんじゃないかと考えています~(中略)~「大きくは望まない、中の中であればいい」というのを、ちょっとここのところぼくら日本人はみんな否定しつつある』と述べています。
まったく同感です。岡田氏が憂いている状況は学校教育にも反映しています。義務教育において、特色ある教育が推奨され、A校はB校とどれだけ違うことをできるかという点に頭を絞っています。もし、学校経営方針に「特別なことはせず、教科の授業の充実に全精力を傾ける」という趣旨のことを書く校長がいたとしたら、その校長は教委から指導を受け、経営方針の訂正を求められるでしょう。授業充実という学校教育の本道ではなく、ユニークさを競うという裏技に力を注ぐ傾向が強まっているのです。
学校のこうした姿勢や雰囲気が、子供においては、勉強を軽んじ、真面目さを嘲笑する風潮を助長していますし、教員においては、地道な授業力向上の努力よりも目新しい教育課題に飛びつくという空気を生んでいます。
数年前、ゆとり教育による学力低下という主張がなされました。それは間違いです。ゆとりを、教育は授業に充実に、子供は学習課題に取り組む時間の増大にあてるという趣旨が守られず、ゆとりを特色に充ててしまったゆえの学力低下だったのです。
学校は勉強するところ、という主張はあまりに普通です。義務教育では、その後の学業や人生に必要とされる知識や能力を身に付ける、というのも普通の主張です。小中学校の普通教育は「普通の子供」を育て、その後の進路選択の中で適性を生かしそれぞれの道を歩むというイメージは、過去の遺物になってしまったのでしょうか。
「普通」の価値を見直したいものです。
脚本家岡田惠和氏がインタビューに答えていました。その中で岡田氏は、『みんな必死で変な人になろうとしている感じがあって、そうしないと個性的な人ではないということになっている。僕はそんなことはないんじゃないかと考えています~(中略)~「大きくは望まない、中の中であればいい」というのを、ちょっとここのところぼくら日本人はみんな否定しつつある』と述べています。
まったく同感です。岡田氏が憂いている状況は学校教育にも反映しています。義務教育において、特色ある教育が推奨され、A校はB校とどれだけ違うことをできるかという点に頭を絞っています。もし、学校経営方針に「特別なことはせず、教科の授業の充実に全精力を傾ける」という趣旨のことを書く校長がいたとしたら、その校長は教委から指導を受け、経営方針の訂正を求められるでしょう。授業充実という学校教育の本道ではなく、ユニークさを競うという裏技に力を注ぐ傾向が強まっているのです。
学校のこうした姿勢や雰囲気が、子供においては、勉強を軽んじ、真面目さを嘲笑する風潮を助長していますし、教員においては、地道な授業力向上の努力よりも目新しい教育課題に飛びつくという空気を生んでいます。
数年前、ゆとり教育による学力低下という主張がなされました。それは間違いです。ゆとりを、教育は授業に充実に、子供は学習課題に取り組む時間の増大にあてるという趣旨が守られず、ゆとりを特色に充ててしまったゆえの学力低下だったのです。
学校は勉強するところ、という主張はあまりに普通です。義務教育では、その後の学業や人生に必要とされる知識や能力を身に付ける、というのも普通の主張です。小中学校の普通教育は「普通の子供」を育て、その後の進路選択の中で適性を生かしそれぞれの道を歩むというイメージは、過去の遺物になってしまったのでしょうか。
「普通」の価値を見直したいものです。