「進路指導の間違い」2月16日
今回は週刊誌の記事からです。『JTBモチベーションズが今年1月、入社1年目~3年目(22~25歳)の若手社員を対象に行ったアンケートによると、「さらに成長したい」「今の会社で働き続けたい」といった仕事に対する意欲は、入社2.3年目で低下するという結果が出た』のだそうです。ちなみに、私の甥や姪も2年で退社し、別の仕事に変わっています。
その理由として、同社は『(若者が)働くことに求めるものは『人間としての成長』であることや、モチベーションの促進・阻害要因として成長実感が強い影響を持っていることがあきらかになっている」とした上で、入社2.3年目で意欲が低下する傾向については「目標達成による成長、研修受講、自己のふりかえり、ストレス発散ができなくなることや職場の人間関係への満足度が影響している可能性」を指摘している。若手社員の多くにとっては、報酬や安定性よりも、「自己の成長」がモチベーションにつながっている現状があるようだ。ここで1つ考えられるのが、1990年代後半の就職氷河期から始まった厳しい就職活動による弊害。度重なる自己分析や「なぜ入社を志望したのか」「会社で何ができるのか」「どう成長していくつもりなのか」といった考えを盛んに求められれば、入社後も「これだけ自分で考えることを求めてくる会社ならば、自分はさらに成長できるはず」といった方向に自然と考えが向かうだろう。さらに、相次ぐビジネス的自己啓発本のヒットに見られるように、「上昇志向を持つこと」がビジネスパーソンの必須項目であるかのような刷り込みがある。常に前進している実感がないと焦りを感じるのだ。入社1年目では業務についていくことに必死になり、目に映るものも新鮮だが、2年目に同じ仕事をしているというだけで、今の若者は「停滞では」と感じるのかもしれない。希望する会社に入れなかった新入社員ならなおさらのことだろう』と分析しています。
確かに、私の甥や姪の話を聞いていても、そうした意識を感じます。上記分析では、就職氷河期の影響やビジネス啓発本の内容に原因を求めていますが、私は、それだけではなく、学校における進路指導や職業教育の弊害も感じています。
私は54歳ですが、若いころの私にとっては、働くことは、大人として誰にも頼らずに生活していけるだけの「カネ」を稼ぎ出すことであり、20代半ばになれば、自分と自分の大切な人の生活を守るためのものとなったものです。そこでは、自己向上とか自己実現というような甘っちょろく青臭い「理念」は無縁のものでした。こうした考え方は、必死に生きる親の姿から学び取ったものでした。正直、学校教育の中で学習したという記憶はありません。
しかし、15年ほど前から、職業は生活の手段ではなく自分の夢や理想の実現に向けて歩むものであるという「進路指導」とその中核をなす職業教育が、学校で行われるようになっていったのです。小学生のころ、「将来はプロ野球選手になる」と書いた子供も、大人になり就職を考えるときには、公務員やサラリーマンを選ぶことに何の矛盾も感じなかったものが、「夢はいつか叶う」「諦めなければ夢は実現する」「夢を追い求める人生は素晴らしい」という指導の結果、「妥協して公務員の道に進もうとしている自分は勇気のない人間なのではないか」という罪悪感を植え付けられてしまうようになったのです。
現代市民社会は、自助が基本です。親のすねをかじりながら、ボランティアに取り組んだり、「自分さがしの旅」を続けることは褒められたことではないのです。健康な若者はまず稼いで経済的に自立する義務があるという進路指導への転換が必要なのではないかと思います。
今回は週刊誌の記事からです。『JTBモチベーションズが今年1月、入社1年目~3年目(22~25歳)の若手社員を対象に行ったアンケートによると、「さらに成長したい」「今の会社で働き続けたい」といった仕事に対する意欲は、入社2.3年目で低下するという結果が出た』のだそうです。ちなみに、私の甥や姪も2年で退社し、別の仕事に変わっています。
その理由として、同社は『(若者が)働くことに求めるものは『人間としての成長』であることや、モチベーションの促進・阻害要因として成長実感が強い影響を持っていることがあきらかになっている」とした上で、入社2.3年目で意欲が低下する傾向については「目標達成による成長、研修受講、自己のふりかえり、ストレス発散ができなくなることや職場の人間関係への満足度が影響している可能性」を指摘している。若手社員の多くにとっては、報酬や安定性よりも、「自己の成長」がモチベーションにつながっている現状があるようだ。ここで1つ考えられるのが、1990年代後半の就職氷河期から始まった厳しい就職活動による弊害。度重なる自己分析や「なぜ入社を志望したのか」「会社で何ができるのか」「どう成長していくつもりなのか」といった考えを盛んに求められれば、入社後も「これだけ自分で考えることを求めてくる会社ならば、自分はさらに成長できるはず」といった方向に自然と考えが向かうだろう。さらに、相次ぐビジネス的自己啓発本のヒットに見られるように、「上昇志向を持つこと」がビジネスパーソンの必須項目であるかのような刷り込みがある。常に前進している実感がないと焦りを感じるのだ。入社1年目では業務についていくことに必死になり、目に映るものも新鮮だが、2年目に同じ仕事をしているというだけで、今の若者は「停滞では」と感じるのかもしれない。希望する会社に入れなかった新入社員ならなおさらのことだろう』と分析しています。
確かに、私の甥や姪の話を聞いていても、そうした意識を感じます。上記分析では、就職氷河期の影響やビジネス啓発本の内容に原因を求めていますが、私は、それだけではなく、学校における進路指導や職業教育の弊害も感じています。
私は54歳ですが、若いころの私にとっては、働くことは、大人として誰にも頼らずに生活していけるだけの「カネ」を稼ぎ出すことであり、20代半ばになれば、自分と自分の大切な人の生活を守るためのものとなったものです。そこでは、自己向上とか自己実現というような甘っちょろく青臭い「理念」は無縁のものでした。こうした考え方は、必死に生きる親の姿から学び取ったものでした。正直、学校教育の中で学習したという記憶はありません。
しかし、15年ほど前から、職業は生活の手段ではなく自分の夢や理想の実現に向けて歩むものであるという「進路指導」とその中核をなす職業教育が、学校で行われるようになっていったのです。小学生のころ、「将来はプロ野球選手になる」と書いた子供も、大人になり就職を考えるときには、公務員やサラリーマンを選ぶことに何の矛盾も感じなかったものが、「夢はいつか叶う」「諦めなければ夢は実現する」「夢を追い求める人生は素晴らしい」という指導の結果、「妥協して公務員の道に進もうとしている自分は勇気のない人間なのではないか」という罪悪感を植え付けられてしまうようになったのです。
現代市民社会は、自助が基本です。親のすねをかじりながら、ボランティアに取り組んだり、「自分さがしの旅」を続けることは褒められたことではないのです。健康な若者はまず稼いで経済的に自立する義務があるという進路指導への転換が必要なのではないかと思います。