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ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

いじめも不登校も私のせいではない

2025-05-24 08:39:59 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「言いたいことは分かるけど、例示が…」5月15日
 『落ち込まないで「他責」の勧め』という見出しの記事が掲載されました。心理カウンセラー信田さよ子氏氏へのインタビュー記事です。信田氏は、『新著「なぜ人は自分を責めてしまうのか」で、「自己肯定感」という言葉を「激しく忌み嫌っている」と書いて』いらっしゃる方です。
 信田氏は、『もっと人のせい、社会のせいにしてよい』『自分のことをだめと思うのではなく、他者との関係性を考えてください』『(自己責任を強調するのは)個人の責任にすれば社会は責任を取らなくていいからです』『他者の力を借りて自分を楽しくすればいい』などと語っていらっしゃいました。
 分かるような気がします。ただ、信田氏が例として挙げていたことに違和感を覚えたのです。『引きこもりの子を持つ父親たちの話を聞くと、父親は、自分の責任と思っていない。一方、母親は「私のせいで」と言っています。父親は自分のことを「監督者であり部外者」と思っているのね。「俺は部外者だ」と言っている男性をモデルにすれば、この世はもっと安楽になります』。
 子育てにおいて、父親も母親も自分は部外者で責任はない、と考えるようになったら、子供はどうなるのでしょう。確かに父親も母親も楽になるでしょうが、子供は不幸になってしまいます。誰かの不幸の上に成り立つ安楽はいかがわしいと感じてしまうのです。
 障害のある人が暮らし難いのは、社会の仕組みや人々の意識に問題がある、という考え方には賛同します。就職氷河期に非正規雇用しか就職口がなかった人に対して、生活が苦しいのはお前の責任だ、というのは理不尽だとも思います。それと子育てに両親は部外者でいいというのとは違うような気がするのです。
 確かに我が国は、自己責任という考え方が強すぎるという指摘は的を射ていると思います。しかし、自己責任と他者責任、その間のどこかにちょうど良いバランスが取れた地点があるのではないかと考えるのです。
 子供が落ち着かず、授業中は私語が止まない、いじめが横行し不登校の子供が何人もいる、担任教員が「自分の責任ではない。私は部外者だ」と主張することは許されないと思いますし、それが健全な感覚だとも思います。こうした感覚もダメなのでしょうか。

 

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