「貴重な指摘」2月26日
『「不登校でも学べる環境を」』という見出しの特集記事が掲載されました。ジャーナリスト田原総一朗氏による、NPO法人「あなたのいばしょ」理事長大空幸星氏へのインタビュー記事です。
大空氏が語る言葉の中に印象に残るものがありました。ご自身の高校時代の経験談です。『夜中の3時ごろ、家の状況(ヤングケアラー、バイト3つ掛け持ち)とともに「死にたい」「学校をやめるかもしれない」といった長文のメールを先生に送ったら、、翌朝、自宅に駆けつけてくれました(略)先生と出会ったことで「この人に頼ればなんとかなる」って安心感を得ることができたんです』。
この経験を基に、大空氏は、『今の学校現場はそういう状況ではなくなってきました(略)教員によるわいせつ行為を予防するため、児童生徒とSNSでの私的なやりとりを禁じるよう求める通知を出しています(略)教員の長時間労働が問題化しているため、文部科学省や教育委員会は、子供たちの人生相談の役割を押し付けないとの立場です』と、学校の現状を疑問視しているのです。
私は、子供の教育について、何でも学校に、教員に担わせようとする考え方には反対です。教員は授業のプロとして、授業に力を注ぐことができるような環境整備が大切だとも主張してきました。ですから、夜中に私的な連絡を受け翌朝駆けつけるというような行為を教員として望ましい行為とする立場はとりません。
ただ、大空氏の言葉にある「文部科学省や教育委員会は、子供たちの人生相談の役割を押し付けないという立場」には違和感を覚えます。実際にそうした通知がなされていることは確認できていませんが、こうした考え方は危険だと思います。
近年、学校で大きな事故や事件があると、教委や校長は保護者向けにスクールカウンセラーの配置や体制強化を口にします。子供の悩みや精神的な動揺への対応はカウンセラーの仕事だと言っているのに等しいのです。
しかし、子供の側から見て、悩みや同様に向き合ってくれない担任を信頼することができるでしょうか。保護者から見ても同様です。また、普段の様子や性格などを全く知らないカウンセラーよりも、何カ月も自分を見てくれている担任に打ち明けたい、という気持ちをもつケースも多いのではないでしょうか。
教員側からみても、子供の悩みや同様に一切触れないまま、淡々と授業を進め、学級経営を行うということは、非常に困難なことなのではないでしょうか。いじめ自殺があった学級で、目の前の子供が友人の死にショックを受けているのかいないのか、傍観という形でいじめに加担してしまったことで自分を責めているのか、無関係なことで雰囲気が重たくなったことに腹を立てているのか、いじめを防げなかった担任に不信感を抱いているのか、責任を負わされる担任に同情しているのか、何も分からずに授業を続けるなんて、普通の人間にはできません。
教員の本務は授業です。しかし、授業を成立させるためには、教科に関する知識だけではなく、子供理解と子供との信頼関係の深化が必要なのです。その部分をそぎ落としてしまっては、教員の仕事は空洞化していまいます。特に、授業を活性化させる要素として、教科の知識よりも子供理解や教員と子供との人間関係、学級内の子供同士の人間関係などが占める割合が高い小学校では、子供と教員を切り離すことを当然視するような発想は大変問題です。
教員の働き方改革、多忙化の解消は、もっと違う面で進めるべきです。