ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

教育委員会の存在理由

2018-08-23 08:20:40 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「教委の存在価値」8月16日
 北陸総局石川将来記者が、『「災害は起こる」気構えで 西日本豪雨の教訓』という見出しで『記者の目』を書かれていました。その中で石川氏は、『「あの時も、うちの裏山は崩れなかった」などという限られた経験が過信を招いているように思う』と被害者の方々への聞き取りから得た被害拡大のメカニズムの一端を書かれています。
 人間は経験に学び、経験に基づいて判断し、行動するものです。しかし、一人の人間が経験できることには、限界があります。そしてその経験の量について、人々が置かれた立場や職によって大きな差が生じることも事実です。警察官は様々な犯罪の実態を知る立場にありますが、一般の人は生涯に一度も、窃盗や強盗に被害に遭わないというのが普通でしょう。だからこそ、警察は防犯について具体的な指導もし、事件の対応においても有効な対応ができるのです。
 同じことが学校・教員と教委にもいえるのです。学校の責任者である校長も、一般の教員も、その教職人生に於いて経験する事件や事故はそんなに多くはありません。私自身、教員時代に経験した事件や事故といえば、学年の子供が屋上から転落した事故、休み時間に後頭部を強打し搬送先の病院で生存確率1/3以下と宣告されたこと、の2回だけです。
 しかし、教委に勤務するようになり、特に人権教育担当や服務事故の担当をしていたときなど、多くの事故や事件、トラブルに関わりました。教員が逮捕されたケースだけでも、児童買春、不法侵入、覗き、暴行など多岐にわたります。表沙汰にならなかったケースでは、校長と保護者の不倫、職員同士の不倫、校長のPTA会費使い込み、校長の勤務時間外の交通事故、校長による職員への暴力などがありました。子供に関するものでは、男子生徒の女子生徒への強制性交、覚醒剤使用、男子生徒による警察官襲撃、暴走族抗争への参加などの対応に追われたものでした。さらに、保護者が関わる事件では、中国人の保護者が日本のシステムをよく理解せず校長と教頭を殴った事件、中学生の抗争に暴力団関係者の父親が乗り出し相手の生徒をボコボコにしてしまった事件などもありました。
 警察署に出向いたり、保護者説明会で矢面に立ったり、相手方の弁護士とやり合ったり、マスコミの取材に対応したり、膨大な情報開示請求に対処したり、様々な危機対応を経験しました。議会で説明を求められたり、首長サイドに状況説明を求められたりすることも度々でした。そうした経験は、普通の校長や教員ではできないことでした。
 だからこそ、教委は学校の「危機」に際してはもっとも頼りになる存在になり得ますし、ならなければならないのです。学校がもっとも困っているときに心から頼れる存在ではなく、学校を責めたり、責任を押し付けたり、学校の後ろに隠れたりするような教委では、存在する価値がありません。うちの教委はそうだ!と胸を張って言うことが出来る教委はどれくらいあるでしょうか。

 

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