わくわく活動日記

山本ゆきこ~子どもこそ未来

震災がれきの広域処理、本当に必要だったのか?

2013-02-11 10:28:49 | 脱原発
 2013年2月11日付け北陸中日新聞(東京新聞)の「こちら特報部」の記事です。

 震災がれきの広域処理の必要量が当初の推計の6分の1にまで激減したことから、当初予定より約1年前倒しして来月末で大半が終了予定とのことです。
 宮城県議会でも超党派で異議を唱える議員が少なくなかったにもかかわらず、国のトップダウンで決まってしまいました。

 「オールジャパン」「絆」の名のもとに、金沢市でも震災がれきの広域処理を受け入れています。

 社民党石川県連としては、放射能汚染の恐れ、運搬費の無駄、地元での処理の要望等、この記事にあるような理由で震災がれきの広域処理に反対してきました。

 しかし、このような記事を掲載するメディアがあまりにも少ないのではないかと思います。
 

「志賀原発を廃炉に!訴訟」 第2次提訴 報告集会&記者会見

2013-02-07 00:31:01 | 脱原発
2月6日(水)15:30~「志賀原発を廃炉に!訴訟」原告団が金沢地裁へ第2次提訴し、その後、北陸会館で報告集会と記者会見を行いました。
私は原告として参加しました。今回の第2次提訴原告は、福島から金沢への避難者5人です。
福島から金沢への避難者は、なんと360人もいらっしゃるそうです。

本日参加の原告の3人は次のようにお話しされていました。

浅田 正文さん(立っている人):定年後東京から福島県田村村(福島原発から25キロ)に移住。原発直後知り合いのいる金沢へ避難。以後、脱原発の活動を行う。
       原発被災者は、家族の中で、地域の中で、至る所で分断されている。金沢へ避難した360人はみなひっそり生活している。
       安倍首相は「原発ゼロをゼロベースで見直す」という。
       福島の悲しみを石川、北陸、全国の人に決して経験してほしくない。

浅田 眞理子さん:この経験は福島だけでいい。原発を止めたい一心で2年間生きてきた。

宮田さん(青い服の人):大阪で定年を迎え、自然保護活動をしたいと思い、福島県・会津へ移住。一昨年の年末、郷里の金沢へ。福島原発事故は人災である。

★アベノミクスの陰で福島が忘れられているのではないか?
 安倍政権の原発推進方針は、明らかに各種世論調査による国民の意識とずれている。

志賀原発訴訟 第1回口頭弁論記者会見

2012-10-06 22:23:24 | 脱原発
 10月3日(水)志賀原発には地震に直結する活断層があり、必要な安全性を備えていないとして、石川、富山両県の住民が北陸電力に運転の差し止めを求めた訴訟の第1回口頭弁論が金沢地裁でありました。
 私は3時からの記者会見・報告集会に参加しました。たくさんのメディアが会場の北陸会館に駆けつけていました。

 岩淵 正明弁護士を弁護団長とする弁護団22人は大半が若い弁護士で占められています。
 原告2人と弁護士3人がスクリーンを使いながら、約1時間にわたり意見を述べたとのことです。

 原告側は、専門家が1号機直下の「S-1断層」は活断層の可能性があると指摘したことから、準備書面でその危険性について言及。S-1にずれが生じた場合、2号機直下にある別の断層もずれる恐れがあるとしています。
 北電は8月からS-1断層の調査を始め、、来年1月をめどに結果を報告する予定。活断層であると判断されれば、1号機は廃炉となる可能性もあります。

 報告集会で北野進原告団長(珠洲市議)は、「福島原発事故の教訓を最大限に生かし、悲劇を二度と起こさないことが何より重要」「国、電力会社のいうところの安全神話やうそ・ごまかしを決して許さない」と熱を込めて訴えました。(写真)

 9日に福島みずほ社民党党首らが志賀原発を視察する際に、私たち社民党県連の議員団も同行します。社民党国会議員4人に加え、渡辺満久・東洋大教授(変動地形学)も同行します。活断層の疑いが出た1号機の直下断層の調査状況などを確認することを目的としています。

北陸電力、社民党調査団の拒否を謝罪し、調査団受け入れへ

2012-09-23 22:48:28 | 脱原発
北陸電力(株)は9月7日朝、東京支社長と副支社長並びに広報担当者が、社民党全国連合を訪れ、国会議員調査団の受入れを拒否したことを謝罪し、改めて調査団の受入れを伝えてきました。

また、北陸電力(株)は同日、午後には、又市征治党副代表(参議院議員・富山県)事務所も訪れ謝罪しました。又市副代表は、8月29日に社民党調査団受入れの要請を「原発を推進していない方々の視察は困難」としたことを追求。東京支社長は「まったく、社の意に反することで、誠に申し訳ない」と深く陳謝し、調査団の受入れを伝えました。

福島党首を中心とする志賀原発調査団の受け入れは10月9日ごろになる予定です。

写真は、8月25日、社民党自治体議員団全国会議・夏季研修会フィールドワークで福島 みずほ党首と。
場所は横浜ノースドック(在日米軍専用ふ頭)
福島党首はTBSの「朝ズバ」出演後フィールドワークに合流。
超多忙にもかかわらず、相変わらずパワフルでした。
神奈川県にはずいぶん多くの米軍基地が点在していることを改めて知りました。
横須賀海軍基地、厚木基地、キャンプ座間、相模総合補給廠・・・

変動地形学者・渡辺満久講演会のお知らせ

2012-08-18 22:09:26 | 脱原発
と き:8月31日(金)18:15~
ところ:石川県地場産業振興センター新館コンベンションホール
主 催:「志賀原発直下に活断層!渡辺満久講演会」実行委員会
参加費:500円
講 師:渡辺満久 東洋大学社会学部教授(変形地形学)
    国内および海外で活断層調査を実施。原子力の利用に必ずしも反対ではないが、日本の原子力関連施設周辺では活断層が正しく評価されていないことを指摘。

浪江町からの避難者の仮設住宅を訪問ー福島訪問(3)

2012-08-13 00:25:03 | 脱原発
 7月17日(火)、二本松市・真行寺を後にして、その南にある本宮市の仮設住宅に避難されている方(Aさん)と宿泊施設で交流し、翌18日(水)に仮設住宅を訪問しました。

 Aさんは、75歳の女性の元教員で、大変明るい方です。小学校2年生の時満州で終戦を迎え、本土に引き上げてこられました。かつては支部教職員組合の書記長を5年間休職して専従した経験をお持ちです。当時福島県では初の女性書記長だったそうです。
 浪江町から避難所を転々とし、この本宮市運動公園にある仮設住宅がなんと10か所目だそうです。こちらでは170戸の仮設住宅がありますが、入居率は約半数だそうです。

 現在、夫婦2人で4.5畳2間と4.5畳と台所と玄関という狭い住宅にお住まいです。
 冷蔵庫、洗濯機、炊飯ジャー、電子レンジ、電気ポット、電気こたつの6点セットは、日赤による募金から支給されたそうです。
 浪江町は浜通りにあり、比較的温暖な地域でしたが、この本宮市は中通りに位置し、冬の寒さや雪がこたえたそうです。エアコンと二重窓の設置、湯たんぽと電気毛布配布の支給でしのいだそうです。
 この地でもモニタリングポストが設置されています。Aさんは「放射能の数値を毎日見て、その値を気にしながら生きる生活なんて他県の方には想像できるでしょうか?」とおっしゃっていました。

 女性たちは仮設住宅地にある集会所に集まり、米袋のひもでかごを編むなど手を動かしながら思いを吐露する機会があるけれど、男性は見知らぬ人ばかりのコミュニティになじめず、家に引きこもり、アルコールで紛らわしたりしているそうです。
 一時帰宅は2度実現しましたが、「もう戻れないのでは・・・」との思いが強くなっているそうです。

 とても明るいAさんが、「園芸用の土にはまだ触れない。放射能の値が高いのではと心配になり、どきどきしてしまう。人ごみも地震が起きたらと思うと行けない。スーパーへの買い物に行けなくて、宅配してもらっている」とおっしゃったとき、とても驚きました。このような気丈な方でもPTSDの症状が表れるのでしょうか。Aさんをご紹介してくださった友人は、Aさんにうつ状態のときがあり、仮設から連れ出して気晴らしを試みたとおっしゃっていました。
 
「モノはいらない、放射能に汚染されていない野菜が欲しい」とおっしゃっていました。後日、実家で作っているじゃがいもをお送りしました。

 仮設住宅の中には、写真のようにプランターでもきゅうり、なす、すいかなどの野菜や花を立派に育てている家がありました。犬も車で連れてこられたそうです。元はおそらく農家で、家の周りや畑でたくさんの野菜や野菜を育てていらしたのでしょう。その暮らしが再び戻ってくるかどうか、先の見通しが持てない不安は想像を絶するものがあります。

一旦事故が起こればこのような状態になるのです。
Aさんは「私は国から2度捨てられた。一度は終戦直後、そしてもう一度は今回。まさに棄民だ。」

大飯原発の再稼働に際して野田首相は「国民の生活を守るために、私が責任を持って判断した」とおっしゃいました。
事故の責任を誰がとれるのでしょうか!?
誰も取っていません。誰も取れません。

二本松市真行寺副住職・佐々木道範さんに聞くー福島訪問(2)

2012-08-05 23:33:01 | 脱原発
 7月16日の東京の脱原発10万人集会の翌日、福島へ向かいました。
 福島県教組の次は、二本松市の真宗大谷派真行寺副住職・佐々木道範さんを訪問しました。
七尾市の真宗大谷派常福寺副住職・畠山浄さんが、佐々木さんの活動を支援されていることを講演でお聞きし、訪問をお願いしました。佐々木さんはNPO法人「TEAM二本松」理事長であり、鎌仲ひとみ監督最新映画「内部被ばくを生き抜く」にも登場します。全国を講演で飛び回っていらっしゃいますが、この日は運よくあいていましたので、訪問が実現しました。
 佐々木さんご夫婦にはお子さんが5人いらっしゃり、事故当時はおつれあいのるりさんがお子さんを連れて県外にある実家に避難していました。しかし、子どもの成長を夫婦で見守りたいと思い、二本松で暮らすことを決意されました。子どもを放放射能の危険性から守るために出来うる限るのことをされています。

 「TEAM二本松」の活動は、
①食品放射能測定・・・寄付をもとに480万円の測定器を購入。ここでの測定から明治の粉ミルクステップから放射性セシウムが発見された。 
②除染・・・真行寺で経営している幼稚園の園舎、園庭をを自費で除染。モニタりングポストも自費で設置。行政任せではいつになるかわからないため。園庭で子どもたちがはだしで遊びまわれるくらいに線量が低下した(約0.2μsv)。
③子どもの保養活動・・・二本松市から少し離れた岳温泉は放射線量が0.08μsvと低いため、子どもが放射線を気にしないでのびのび走りまわったり土いじりしたりできる場を確保する。往復のための中古のバスを500万円で購入。内部被ばく量を測定するホールボディカウンター(4600万円)を購入することに決めた。募金額はまだ達していないが、講演を聞いた若者が1万円の寄付を申し出、彼から「5000人の人が1万円寄付すれば5000万円集まります」と言われたことがきっかけになった。

幼稚園児が外遊びできないことから、体重増加が少ない成長障害がみられる。
子どもを守る親が疲れてきている どの情報を信じてよいかわからない状況である。
震災関連死は公には公表されていないが、数百人に上るだろう。
母子避難するうちに意識の違いから夫婦別居、そして、離婚に至るケースも多々ある。 
避難できる人・できない人、放射能の危険性に敏感な人・そうでない人、賠償もらえる人・そうでない人・・・
福島では人々が分断・対立させられている。  
自分の思いを吐き出せないでいる。
エネルギーがなくなっている。全国から元気や勇気をもらえないと立ち上がれない。
怒りが次第に悲しみや絶望に変わっている。

★福島の人々の抱える苦悩の深刻さが伝わってきました。
 国政に携わる人は当然、そして、私たちも「福島を忘れない」「福島の人の思いに寄り添う」ことが必要だと思いました。

福島県の子どもたちや学校の様子について聞くー福島訪問(1)

2012-08-03 19:08:43 | 脱原発
 7月16日の東京での脱原発10万人集会参加の翌日17日、福島を訪問しました。
 まず福島県教職員組合を訪問し、子どもたち、学校、教職員の現状についてお聞きしました。(写真は教育会館前で)

 福島では今なお6万人の人(小中学生:1万人)が県外避難生活をし、Ⅰ万8千人以上の小中学生が県内外で避難生活をしている。
 福島にいる多くの子どもたちがいまだに高い放射線量下での生活を送っている。
 避難した子も避難できずに残っている子も、みんな心に大きな不安を持っていて、子どもたちに対するケアが最も大切。
 しかし、そのための体制は整っていない。

 子どもたちは屋外での活動が制限され、のびのびした生活や自然とのふれあいができなくなった。
 外で遊ぶ子どもの声を聞かなくなった。
 子どもたちにはストレスが高まり、体力が低下している。
 子どもたちは胸に線量計をぶら下げている。
 給食については厳しくチェックしており、宮城県や北関東より安全性が高いといえる。

 教職員自身も被災者である場合があり、片道60~100㎞の遠距離通勤、家族との別居、親の介護ができなくなったなど厳しい状況を抱えてているとのことでした。
 

 説明してくれた組合役員ご自身が原発避難者でした。
 今まで2~3回しか一時帰宅は実現してないが、次第に「もう戻れないのではないか・・・」との思いが強くなっている。

 遠くへ避難できる人、避難できない人
 自宅へ戻りたい人、戻りたくない人
 賠償を受けられる人、受けられない人
 賠償を受けようとする人、受けようとしない人(告訴)・・・
 というふうに、原発事故は「地域を分断」した。
 仮設住宅では知り合いもいなくて、かつてのコミュニティはばらばらにされている。