去る17日の午後に叔母が亡くなりました。
これで、母の兄弟七人は全員が、この世を去り誰も居なくなってしまった。
最初に亡くなったのは太平洋戦争初期の上海事変で19歳だった叔父。
95歳でしたが、男勝りと言う性格で、叔父さん亡きあとも一人で30年も暮らしていました。
お斎での献杯の発声を急きょ依頼され、一言を付け加えました。
亡くなった当日は、久しぶりに訪れて顔を拝見し、枕もとで従弟と会話。
看護婦さんを交え、豪傑だった話をしていると目を開き口も少し開かれた。
きっと、私たちの会話が聞こえたのだったと思います。その後まもなく息を引き取られた。
そんなお話を付け加えたのでした。食べ物を口にしなくなってから10日目の事です。
こんな時世ですから、葬儀への参列者は最低限で寂しい式ではありました。
でも、最後は野辺送りにたくさんの参列者がお見えになりお送りくださいました。
叔母さんの人柄が偲ばれる野辺送りでした。幸せなお別れだったと思います。
葬祭場の受付の窓の外です。
二羽のスズメに、人、夫婦の生き方を思ってしまう。感傷的な気持ちなのでしょうか。
叔母さんも、我が亡父も、そして家内の義母も一人になってからが長い。
寂しくも一人だけ置いて行かれる場合が多いのが実情。寂しいことですが・・・。