谷口雅春先生が一貫してお説きになった「主張」は
「現象なし、実相独在」ということのみであった。
雅春先生の思想を受け継ごうと思う人は、
ただこれ一つ「現象なし、実相独在」を
人びとに伝えてゆけばよいのである。
それこそが尊師の御遺志を
受け継ぐことになるのだと信ずる。
(参考 生命の実相第27巻)
【生長の家はかく「実相皆善」のみを強調して、「現象は無なり」と現象的不幸一切を空じ去る。さればこそ現実を征服する現実的威力を発揮するのである。「現象あり」と観ずればわれらは現象に力を認めるがゆえに現象を征服することができないのである。「現象も現象として“在る”のであって、かく本体界のみを主張し、本体界の完全観念を現象界にも適用せんとするのは、本体界と現象界とを混同するものである」との諸宗教家または哲学者よりの非難があるが、われらは本体界と現象界とを混同するのではない。混同とは現象界を在りと認めての立場であるが、われらは現象界無しと自覚するがゆえに、“無きもの”は混同するの恐れなきがゆえに、われらはただ常に本体界の完全性のみを主張するのである。その結果、本体界の完全性がそのまま現象界に投影して、現象界の不幸を征服することができるのである。「現象は“現象としては”在るのである」といって現象界を本体界に対立せしめたり、「本体界の自叙自伝が現象界であって、本体界と現象界とは一如である、そして、現象界は本体界のうちに包摂せられるものである」というような在来の見方を脱しえないような宗教では、とうていそれは現実人生を支配することができないのである。生長の家の思想が、かく素晴らしい現実人生の支配力を有しているのは、主として「現象無し」とスカッと裁ち断り、実相独在を明快に斬然と主張しているからであるのである。】