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私の“いのち”の世界=「神の心」の世界

2018-07-10 20:55:47 | 日記
この現象界のすべての事物には
理念としての原形があって
それが実相であるという。
ただ実相は神の理念であるから
円満完全なものであり
迷いの産物は
存在しない。
肉体の私は“いのち”の私の映しだから
その現象化以前の“いのち”充満の世界が
実相なのだろう。
それが円満完全大調和、
つまり「神の心」なのだ。

新約聖書「ルカによる福音書」

2018-07-10 11:54:49 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第一章>マリア、エリサベトを訪ねる
39 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。
40 そして、ザカリヤの家に入ってエリサベトに挨拶した。
41 マリヤの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。

本当の自分を相談相手とすべし

2018-07-10 09:54:19 | 日記
自分の中に
自分を癒やしてくれる本体である「神の子」がいるんだと
はっきり悟ることが必要だ。
つまり自分自身の運命をつくるものは、
自分の心なのであって
その自分の心を
本当の自分である実相身に委ねることによって
体調の悪いのも問題があるのも
改善されていくのである。
だから本当の宗教は
自分の内にある仏身(実相)に目覚めさせてあげて
それを本人が求め身をそれに任せる方向へと
持っていくのである。
キリストや釈迦は
そのように説いていたのである。
ところが宗教の多くは
人を自分の宗教に導くこと自体を
信仰の深さだと説くのである。
それが宗教家の業績となり、
高い位置に上れたりする。
でもそれは宗教家の自己満足とはなっても
悩む人の現実の救いとはならない。
人を同じ宗教に引き入れたところで、
その人が自分の努力で神の子・仏子を
自分の内に探求するように導かなければ
まったく救いにはならないのである。
ただお金を出させ、
神様への依頼で
助かった気持ちにさせるだけの話だ。
この世は
自分対神の一対一の関係があるばかりだ。
人間はいつも神と共にあるのであって、
創造の神、絶対神が父であるから、
その神と向き合うことが最初だ。
その向き合う方法が坐禅であり祈りであり神想観だ。
自分以外の人に自分について訴えて悪いことはないが、
患者がお医者さんに病状を伝えるのは別として、
心配を拡散させるから
一時的に安心しても
かえって不安を増すこともある。
自己の内なる神に向き合う大事なことの
妨げにもなる。
では心配はどうやって消したらいいのか。
それは『生命の実相』40巻と
『真理』10巻を
読むことに尽きる。
ただこれを毎日50頁読むにしても
多少の我慢・忍耐は必要である。
途中で投げ出してはいけない。
この本を読むには
心をじっとこらえる必要がある。
本当のことをズバッと言うからだ。
人に自分の窮境を聞いてもらう代わりに
聖典を読むことが解決策だ。
そうすれば心の騒ぎは収まるはずである。