新・ys-styleなブログ

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人間にとって一番辛いこと

2011年06月28日 | テレビ番組
 
 
 
皆さん、こんにちは。
ちなみにこのデコ記事は昨日のデコ記事と同じものです。
タンポポが顔になっています。
ところでこのキャラクターなんでしょうか?白くま?ヤギ?ひつじ?何?
 
今日も良いお天気に恵まれました。
私の場合仕事に関係するので、週間天気予報を毎日必ずチェックしているのですが、毎日めまぐるしく天気予報が変わっていますね。
もう梅雨明けか!?
 
 
 
 
 
 
フレンチブルドッグ ラブ(♀)です。
今日のブログには関係ありませんが、場を和(なご)ましてもらうために出演してもらいました。
犬って本当にいいですね。
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今日は私の持論を展開させて頂きます。
記事の途中でも「読みたくない」と思ったら、どうぞそのまま飛ばしてください。
なにも嫌な文章を嫌々読む必要はありませんからね。耳が痛い人だっているでしょうし。
でも実はその嫌の中に、真実が紛(まぎ)れていることが多分にしてありますが。
 
 
 
最近は本当に便利になりました。
声が聴きたいと思えば、携帯で電話をすれば聴ける。
「実は車買ってん」とメールをすれば、「ウソー!今週の金曜日見に行くわ!」というメールが返ってくる。
携帯電話は私が高校3年生のときに出始めました。
そう考えると本当に今は便利になりました。何でもかんでも。
 
しかし、
その便利な携帯電話というものを使いこなせていない人が非常に多いみたいです。(私はあえてこう言いたいです)
 
かなり前の話になりますが、ある人たちがこんな会話をしていました。
「なんでお前、いっつも電話にでーへんの?」、
「まあ電話にでーへんのは良いとしても、何でそのあといっつも電話をかけなおしてこーへんの?」と、A 氏。
「いや、用事があるんならまた電話してくるやろうと思って」と、B氏。
「いや、そういう問題やないやろ」と、A氏。
私も全くの同感です。
こういう人のことを、携帯を使いこなせていない人だと、私は呼んでいます。
 
 
電話をしているのに出ない。
これは仕方がないことです。人それぞれ色々な事情がありますから。それは当然です。
しかし、
着信を残しているのにかけなおしてこない。
これが私には意味不明です。
メールを送っているのに、返信してこない。
これも私には意味不明です。
 
私は、年上の人とメールをするときは必ずと言っていいほど、
『自分が送ったメールで終わる』ようにしています。
「~お願いします。」、「~の件な、わかった。任しとけ。」、というメールで終わるのではなく、もう一度「宜しくお願いします。」という私からのメールで必ず終わります。
たまに、
「~の件、お願いします。」という私からのメールで終わる人がいます。
そのあとの、「~の件な、わかった。」とか、「OK!」とかいう返信もせず。
これも私には意味不明です。
送られた側の本人は、「OK!」と心の中で思っているのでしょうが、私にはその思いは届いていません。
私からすると、
『メールが送られたのかどうか、確認できていません』。
「OK」というメールを打つのに、果たして何十分かかりますか?という話です。
ただその「OK」という2文字だけでいいんです。
なんで一方通行なん?と。
返事ぐらいしてくれたらええやん。と。
こういう人たちも携帯を使いこなせていない人です。私から言わすと。
 
 
何度か電話をして、
何度かメールをして、
それでも返事がなければ、それはもう2度と連絡を取りたくなくなります。
その人自身のことも嫌いになってしまいますしね。
どんなときでも「いい加減、適当」な人間は、いつの時代も必ず身を滅ぼします。
私はいい加減な人間になりたくないので、必ず自分からメールを終わるようにしていますし、電話もかけられるときにかけなおすようにしています。
いい加減な人間は、人としての「信用、信頼」を損ないますから。
そして、
いつも私が言っている『筋(すじ)』というものです。
着信があったら、メールが来ていたら、
『返すのが筋やろ?』と。
 
 
あとよく、
「何年も連絡とってなくても、俺らはつながっている(友達だと)と思ってるからな」、という人がいますが。
はっきり言います。
それはその人の『エゴ』です。『マスターベーション』です。
何年も連絡取っていないということは、もうすでに友達でも先輩でも後輩でもない、ということです。
本当の友達や先輩や後輩ならば、「どうしてるかな?」と思うものですし、「久しぶりに逢って話をしたい」と思うものですし、「久しぶりに飲もうか」とも思うはずです。
それを思わないということは、『もうすでに友達でも何でもない』んです。
友達ならば、
「今の会社辞めようと思うねん」とか、「実はな会社起こそうと思うねん」とか。
後輩ならば、
「あいつどうしてるかな?」とか、「仕事辞めずに続けてるんかな?」とか。
そういう風に話したいことがあると思います。
そういうときに普通は電話をするものです。
しかし、
その電話をしないということはもうつながっていません。
だからそれは、その人の勝手な思い込みでしかありません。
と、私は思いますし、そういう考えです。
 
 
 
 
ブログのタイトル、
人間にとって一番辛いこと、
 
 
 
それは、
 
 
 
 
『無視』
されることです。
 
 
 
つまり、
自分の存在価値を否認されることです。
自分の存在意義を否定されることです。
自分という人間を認めてもらえないことです。
自分という存在をそこに見出せないことです。
 
それが、
 
無視が、
人間にとって一番辛いことです。
 
 
だから、
なぜ電話をかけなおしてこないのか?
なぜメールを返してこないのか?
それははっきり言って、無視していることと同じですからね。
何年も連絡取ってない。
そんな意思疎通も図れていないのに、何が友人なんですか?
自分勝手、自分の都合だけもいいところです。
 
 
私はもうひとつ、
メールを返してきて欲しい理由があります。
それは、
急にメールが止むと、
「どうしたんかな?事故でも起こしたんかな?急に病気にでもなったんかな?」という風に悪い方向に考えてしまうんです。
私はそういう人間です。
だから、
「私を心配させないように途中でメールを止めんといてな」と言いたい訳です。
それがもうひとつの理由です。
 
 
 
何れにせよ、
無視が人間にとって一番辛いことです。
 
 
 
何気ない無視、
無意識な無視、
皆さんはしていませんか?
 
 
 
須山  洋平