◆そこまで“脱税・ピンハネ”いいんかい…!! (再)
*脱税・ピンハネの総合商社(寄付・会館・出版・墓園・民音・学校・宣伝・Etc)の池田創価(=公明党)
*ユスリ・タカリ・恫喝で、似非躁鬱病の診断書・役人と連携の生活保護は、池田創価(=公明党)
*脱税・ピンハネの貧困ビジネス(借家賃貸・薬の転売・Etc)も…共産党より池田創価(=公明党)
*池田創価(=公明党)のアメとムチで総体革命、司法・行政・警察・マスコミ・芸能・評論家・Etc
*脱税・ピンハネの池田創価と在日・韓国を、見ざる・聞ざる・言わざる・想わざる…は亡国の道…!!
*自民党・二百余名の国会議員を、池田創価が応援。国税は脱税・ピンハネ黙認で、?十年…!!
*池田創価の脱税・ピンハネ課税とマイナンバー課税すれば…消費税なしで財政再建できる…!!
〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・講談社…1,800¥>より
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◆極秘会談
極秘会談前日、私と八尋氏はホテルで二時間、対応を協議した。
「秋谷氏が〝矢野さんにくれぐれもょろしく頼む〟と言っていた。秋谷氏は今回のことについて大山(博道)副会長(池田氏の側近中の側近)と十分、打ち合わせ済みだ。第一庶務は大山氏と連携している。池田名誉会長は知らないことになっているが、軽井沢では〝本部だけは来させないようにしたいな〟と言っていた。つまり名誉会長は全部知っている」
八尋氏はそう語った。要は「名誉会長は矢野の活動をご存知だ。しっかりやれ」というハッパだったのだが、私はその手のおだてには不感症になっていた。しかし池田氏が脅えていることだけはよくわかった。学会・公明党内では「国税のターゲットは池田氏の公私混同」との見方が強まっていた。つまり池田氏自身がトラブルの種だった。それにもかかわらず「本部だけは来させないようにしたいな」と他人事のように言う池田氏の神経が理解しかねた。
八尋氏は「とにかく自由に国税に動かれ、次々と問題点を質問されるともたない。聖教新聞社内の一部屋から調査用の部屋を増やすから動かないようにさせてほしい。それと本部会計には触れさせない。この二点を頼みたい。実のところ、池田名誉会長の公私ごっちゃで意識革命が必要。いまやられると決定的なダメージになる」と嘆いた。
学会本部の中を料調の調査官が自由に歩き回って調査すれば、学会会計のずさんぶりはむろんのこと、八尋氏の言う池田氏の「公私ごっちゃ」、つまり池田氏の公私混同問題がたちどころに明らかになるのは必至だった。それだけは断固、防がねばならないと八尋氏は念を押した。先の「本部だけは来させないようにしたいな」という池田氏の発言の真意はそういう意味だった。
池田氏の「公私ごっちゃ」は挙げればキリがない。たとえば料調が注目していた聖教新聞社七階の池田氏専用の迎賓館もそうだ。迎賓館は改装費だけで九億円もかけたと言われ、その贅を尽くした豪華な室内を先に挙げた『週刊文春』記事は次のように書いている。
『壁一面に張りめぐらされた大理石は、わざわざイタリアから取り寄せたものだし、テーブル、椅子、サイドボードはすべて特注品。来客用のため人口に置かれた記帳台などは、これ一点で一千万円といわれる。
実際に、室内に人った職員の証言では、ぶ厚いペルシャ絨毯の上を歩くたび、足のくるぶしまで埋まったという』
軽井沢の研修道場など、全国にある池田氏専用施設も豪華さでは引けを取らない。軽井沢の研修道場の奥には、池田氏と限られた人しか入ることが許されていない池田氏の専用施設がある。柱や壁、障子、襖などすベてに最高級品を使用。風呂場には池田氏のために檜づくりの大きな浴槽がしつらえてある。この池田氏の専用施設は、建て前上は「恩師記念室」と呼ばれている。国税対策のカモフラージュのためだ。「御自分の贅沢に恩師の名を僭称するとは、冒涜ではないか」と、ある公明党幹部は毒づいていた。
また学会本部のすぐそばに建てられた「白雲寮」は周囲を高い塀で囲まれた瀟洒な和風家屋で、池田氏の大のお気に入りだった。警備も厳重で、池田氏は近くに自宅があるのに、そちらには帰らず白雲寮を自宅代わりに使っていた。
学会内では「池田氏は最高権カ者だから豪華施設を専用で使うのは当然」とされていたが、これに異議を唱える副会長もいた。池田氏は名誉会長なのだから、会長と違って宗教法人法上も学会の内部規則上も何の権限も責任もなかった。そういう人を特別扱いするのは正しくないというわけだ。
豪華専用施設を池田氏はいっさい家賃を払うことなく使っていたが、当然のことながら、これらについては学会から池田氏への便宜供与や贈与の疑いが指摘された。事実、白雲寮については、税務調査が始まった後になって、池田氏が過去四年四ヵ月分の家賃を遡って学会に支払っている。
料調が注目した絵画などの美術品も、池田氏の公私混同の象徴的存在だった。池田氏は自分好みの絵画などの高価な美術品を世界中から買い集めていた。個人の趣味なら本来、池田氏が自分の財布から払い、個人資産として所有するのが筋だ。ところが池田氏の絵画購入費用はほぼすべて学会持ちだった。美術品は学会系の美術館や学会の関連施設などに飾られたり、倉庫に保管されたりしていたが、飾られた絵について池田氏は「どうだ。いい絵だろう。俺の絵だ」と、私に自慢した。こうした絵が、いつの間にか池田氏の自宅に飾られていたことも私は目撃した。
しかもこれらの絵が学会の帳簿や財産目録にキチンと記載されていたならまだしも、かなりの絵が実際は誰のものかわからないまま、帳簿記載も整理もされずに放置されていた。もし国税庁が帳簿と財産目録、美術品の現物一つ一つをチエックしたら、帳簿記載のない持ち主不明の美術品がゴロゴロ出てきて収拾がつかなくなっていただろう。帳簿にあっても現物が見当たらないということもあったはずだ。
捨て金庫事件は、中西氏が池田氏の裏金としてこっそり保管していたものを日本図書輸送がうっかり捨ててしまったのが真相ではないかともっぱら噂された。もし料調の調査が人らなかったら、こうした持ち主不明の大量の絵画は、はたして誰のものになっていたのだろうか。もし池田氏が持ち帰っても、帳簿にも載っていないのだからおそらく持ち帰ったことすらわからなかったのではなかろうか。
これらは池田氏の数ある公私混同疑惑のほんの一部にすぎないが、これだけでも、学会が、なぜ美術品などが表示される財産目録の提出や第一庶務などの本部会計に踏み込まれるのを嫌がったか、おわかりいただけるだろう。
八月二二日、私と八尋氏は角谷国税庁長官らと二時間二〇分にわたって話し合った。
本来、こんな会合は許されるものではないし、おそらく国税庁側も相手が私でなければ会談になど絶対に応じなかったはずだ。先に私は書記長を二○年間も続けたため大蔵省・国税庁の幹部たちと親しい関係ができたと書いたが、それにしても、なぜ国税トップの長官をはじめ国税側が私の立場を重んじてくれるのか奇異に思われるかもしれない。そのあたりの事情について、いま少し補足しておく必要があろう。
----------------改頁------84--つづく──