◆そこまで“脱税・ピンハネ”いいんかい…!! (再)
*脱税・ピンハネの総合商社(寄付・会館・出版・墓園・民音・大学・宣伝・Etc)の池田創価(=公明党)
*ユスリ・タカリ・恫喝で、似非躁鬱病の診断書・役人と連携の生活保護は、池田創価(=公明党)
*脱税・ピンハネの貧困ビジネス(借家賃貸・薬の転売・Etc)も…共産党より池田創価(=公明党)
*池田創価(=公明党)のアメとムチで総体革命、司法・行政・警察・マスコミ・芸能・評論家・Etc
*脱税・ピンハネの池田創価と在日・韓国を、見ざる・聞ざる・言ざる・想わざる…は亡国の道…!!
*自民党・二百余名の国会議員を、池田創価が応援。国税は脱税・ピンハネ黙認、?十年…!!
*池田創価の脱税・ピンハネ課税とマイナンバー課税すれば…消費税なしで財政再建できる…!!
〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・講談社…\1,800->より
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◆住職誘拐事件
捨て金庫事件への学会員の反発の大きさは深刻だった。九月二五日、学会の関西文化会館の幹部が私に嘆いた。
「聖教新聞が四八○万部から四一○万部に減部した。取次店は経営が困難になった。捨て金庫事件以来、皆、嫌気がさして聖教新聞の購読を断っている。取次店が可哀想だ」
だが九月二八日に朗報がもたらされた。読売新聞の取締役論説委員長だった渡邊恒雄氏が「明日の読売を読め」と電話をくれたのだ。翌日の読売は、川崎市の竹やぶで見つかった二億三五〇〇万円の札束について、神奈川県警が通販会社社長の所有と認め返還したことを報じるとともに、捨て金庫事件についても一〇月中に中西氏に返還する予定だと伝えたのだ。
私たちは「これでやれやれだ」と喜んだものだ。
この報道後の一○月二一日、池田名誉会長の本部幹部会でのスピーチが全国の学会施設で衛星中継された。私は関西文化会館で中継を見たが、相変わらずの強気で、高杉晋作の奇兵隊と自分を重ねながらいささか常軌を逸した高揚感を発露させた。事件がようやく解決に近づき溜まりに溜まった鬱憤を晴らしたといったところなのだろう。
中西氏に金庫の金が返されたのは一○月一六日。中西氏は記者会見で世間を騒がせたことを陳謝。拾得者の廃棄物会社に報労金として二六〇〇万円を支払うとともに一億一〇〇〇万円を日本赤十字社に寄付することを明らかにしたが、現金の性格についてはそれまでどおり「学会に無断で儲けた利益」などと曖昧な説明に終始した。
これに先立ち創価学会は一〇月一四日付で中西氏の退会届を受理。聖教新聞社も青木亨代表理事名で「不正な利益追求であり、断じて許しがたい」との談話を発するとともに同社嘱託だった中西氏を懲戒免職にしたことを明らかにした。ちなみに、この事件から二〇年以上経過した二〇一一年七月、中西氏は池田と対立する日蓮正宗に入講したという。
事件は曖昧なまま幕を閉じたが、この事件にょって、創価学会の金満ぶりが世間に強く印象付けられたことは間違いない。
実際、この年の一一月には創価学会を標的にした身代金目的の誘拐事件が発生。しかも、こともあろうに犯人の一人は学会員だった。
誘拐されたのは大分県内の日蓮正宗の寺の住職。地鎮祭依頼で迎えにきた男に誘拐され、本山の日蓮正宗大石寺に「創価学会が六億円出せ」と身代金を要求する電話がかかってきた。犯人の男二人は警察による電話の逆探知によって逮捕された。犯人の一人は地域の学会員をまとめるブロック長をしていた男で、犯行の動機を「借金を抱えていた。創価学会を狙ったのは金が余っている、と思ったからだ」と供述した。犯人は大石寺への電話で「学会なら六億円くらい用意できんことはないだろう」と何度も脅迫していたが、実際に身代金はすぐに準備されたという。
結果的に身代金の六億円は無事だったが、金を運んだ竹入央迪副会長は「現金は本山が用意したものと聞いている」と学会は無関係だったことを強調した。
私は犯人逮捕の日の早朝に首相官邸筋から事件のことを初めて聞き、驚いて学会幹部に電話をした覚えがある。犯人逮捕後、あるマスコミ幹部は「学会は真っ黒どころか激黒だ。世間では金余りボケかと言っている」と呆れていたが、返す言葉もなかった。六億円について学会内部では学会側が用意したと伝えられていた。
こうしてトラブル続きの一年がようやく終わりに近づいたクリスマスに、私は竹入義勝元委員長と会った。竹入氏は翌年の衆院選には出馬せず、議員を引退することが決まっていた。竹入氏は心底ホッとした様子で「やっと辞められる。やれやれだ。矢野も長くないぞ」と私を見た。
私も翌年の衆院選を最後に議員を引退するつもりでいたので、「長い間ご苦労様でした。私のこともよくわかっている」と応じた。
心配していた国税庁の中西氏に対する税務調査もなく、私は〝このまま国税庁には諦めてほしいものだ。そろそろお役ご免にしてほしいものだ〟と心の中でつぶやいた。
まさか、この捨て金庫事件が呼び水になって翌年、創価学会に国税庁の税務調査が入り、私が国税対策の最前線に立たされることになろうとは、このころは夢想だにしていなかったのである。
----------------改頁------50--つづく──