創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-47

2021-02-14 07:13:26 | Weblog

   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
     (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編)


   <この日本をどうする 2> --言論出版妨害事件--
 創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道出版部 昭和44年(1969年)
     --目次は第2回目に掲載--
    ------(P.196)---(以下、本文)-------

第三部 展望--その危険なる未来
6 創価学会はどこまで伸びるか
◆ 飛び交う限界説を分析する
 創価学会は巨大なる集団である。
 市民社会の健全性は、家族にせよ、職能集団にせよ、それぞれが一種のセルフ・コントロールの能力を持ち、人間関係のバランスを保つことによって成り立つといえる。ところが創価学会の場合は、宗教と政治の使いわけによって、真一文字に権力への道をつっ走るアンビシャスな(=野心・大志ある)人間集団であり、そうした方向にむかって、巨大なる大衆層が動員されている。

 創価学会は現在でもすでにマンモス組織といえるが、果たしてこれから先、どこまで伸びていくのか、どこまでその数が増えていくのか、これが現在の実力以上に多くの関心を集め、その未来への展望が一つの脅威を与え、それが巧みに利用されているといえる。いったい創価学会はどうなるのか。もとより創価学会の限界説もチラホラでている。創価学会は、戦後の異常な社会の変動や精神的空白、その後における選挙戦術の巧妙さや大衆動員等を通じて、たしかに他の新興宗教に類例をみないほどに伸びてきた。しかし、それにしてもそろそろ飽和点にきたのではないか、こういう説が限界説としてでてきているのである。この限界説が強く表面にでたのは一九六五年の参議院選挙のときであった。何故、そういうことがいわれたかといえば、--

 第一には岩手、宮城、福井、香川、高知、福岡、長崎の七県で、参院選全国区における得票数が減少した点
 第二は一世帯当りの得票数が、選挙を重ねるごとに減少し、ついに一九六五年の参院選では一世帯一票を割ったという点
 第三は同じ年の参院選地方区で、新らたに候補者を立てた愛知、兵庫、福岡で敗れた点で、これは学会の票読みが正確さを欠くようになってきた現われではないかとみられた。
 --これらは同時に公明党を支えている創価学会の下からの力のハリが失なわれてきた証拠ともみられた。

 もっとも、これらに対して一九六八年七月の参院選では、全国区は六六五万六千票で九名、地方区は二六三万二千票で四名の当選者をだし、あわせて一三名の当選者をだしていることは否定できない。(票数は一〇〇票以下切り捨て、以下同じ)
 しかし、全国区における一世帯当りの得票数は、一九五六年の第四回参院選の二票に対し、六八年の選挙では前回(一九六五年)同様に一票弱へと半減しているのだ。これらをどうみるか。学会員であって他党を支持するものがいることを物語るものではなかろうか。それでもなおかつ多くの当選者をだしているのは、票を有効に配分しているからといえよう。
 ちなみに、一九六八年の参院選全国区での得票率は一五・四パーセントであったが、当選者は全体の一七・六パーセントにおよんでいる。

 次に、東京都の場合をみるなら、東京都知事選挙(一九六七年四月一五日)における得票数の問題がある。公明党の候補者・阿部憲一は、当初いくら少なく見積っても八〇万票は固いといわれたものであるが、いざフタをあけてみると、六〇万一千票と二年前の参院選東京地方区の六〇万票と同じ結果であり、伸びをみせなかった。
 また、東京の区議選では自信満々に一八〇名の当選を豪語していたが、これまたフタをあけてみると、前回選挙より一二名減って一二四名という後退ぶりであった。そして、四年前の選挙で獲得した「区議会議員総数で第二党」という座を再び社会党にあけ渡したのである。
 次いで、一九六八年の参院選東京地方区は都知事における阿部憲一の宣伝がきいて八三万一千票をとったが、全国区における東京都での得票数は七四万一千票で前回より九万四千票伸びているもののこれは有権者増も考えなければならず、得票率では一・一パーセント後退している。
 一九六九年七月の都議選では、当選者こそ前回の二三名から二五名へと増えているが、得票数は七八万四千票と変わりばえのしない成績であった。

 こうした起伏のある現象から、種々の説がでてくることも当然であり、それを前提にして公明党は反論をブチはじめた。そこでは次のようなことがいわれている。
 「一〇年も前から創価学会限界説を聞かされ続けてきた。しかし、結果はどうだったか。この一〇年、飛躍的発展の一途だったではないか。」
 「全国の公明党議員の大量進出を見よ。いずれも民社党を抜き、第三党の地位にのしあがったではないか。」
 「結党以来わずか数年たらずで、これだけ目ざましい成長を遂げた政党がいまだかってあっただろうか。」
 というような調子である。盛んに限界説を打消しているわけである。
     ----------(つづく)---------202


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