創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作をブッた斬る-30

2020-08-16 07:16:18 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
・創価学会世帯数 昭和45(1970)年=750万世帯→令和2(2020)年=827万世帯
・参議院全国区又は比例得票総数 昭和46(1971)年=562万票→令和1(2019)年=635万票
・平成12(2000)年衆議院選挙で、自民100名以上を池田創価公明が応援→自公一体政権20余年!!
……とある公明党(参)元議員の使命は「中南米から池田先生に貰える顕彰を探す事」!!
 --宗教をかたる政教一体の欺罔、営利・利権集団=池田創価・選挙学会は、即刻解散せよ!!
      (本文中の赤文字・下線=兼ブログ主編)
    -----◇-----◇-----◇-----
  (創価学会)
 池田大作をブッた斬る  藤原弘達(日新報道)1988年(=昭和63年)
    ---------(以下、本文)-------117

第四章 創価学会は“選挙学会”だ
     --選挙は「池田先生のため」の“法戦”
◆ 選挙運動は現在の“折伏大行進”
 創価学会会員が即公明党員ではないが、学会活動の最も大きな部分を占めているもの、それは選挙運動である。
 公明党の支持母体が創価学会であるのは、世間によく知られている。支持団体ではあるが政教分離の原則に反してはいない、と学会は必ずいう。創価学会会員が公明党を支持することは政党支持の自由だと、そういうのだ。この辺が学会流論法になる。
 宗教団体は閉鎮的であればあるほど、信者に対する精神的拘束力が強い。創価学会のような組織が特定政党支持を謳うのは、学会員に特定支持を強制していることにほかならない

 創価は、選挙になると全組織をあげて選挙運動に取り組む。学会員は組織の命ずるがままに動く。選挙運動でどれだけ成果をあげたかをもって信心の程度を計られるからか? 必ずしもそうではないだろう。公明党が勢力をのばして政権をとる時、広宣流布が達成されるのだと、それなりに信じ込んでいるからだ。
 ともかく、選挙で働けば功徳があると信じきって、人海戦術に駆り出されていくのである。
 学会員は公明党支持を義務づけられるが、自分の一票を投じるだけではだめ。ホントに信心があるなら、一票でもふやすため、選挙運動をやり抜けというわけである。学会は“ご利益”で誘い込んだ会員を、バチで呪縛する。選挙は広宣流布のための戦いである。怠けるとバチが当たる、と脅かす。功徳を信じて選挙運動をやってもムダだ、といわれる。

 「選挙に功徳なんてない」--事実、功徳などありっこない。だから、「功徳なんてない。しかし、成仏の過程だ」などと、まことに得体の知れぬ信仰論をもちだして、選挙と信心を強引に結びつけようとする。
 学会員がこれほど選挙に狂奔するのをみる時、世間は学会員の政治意識がそれなりに高くなった結果と思うであろうか。学会員にとって選挙は、日本の政治がどうこういう問題ではない。
 集団ヒステリーないしは幻覚状態の中で、もっぱら集票マシーンのパーツとして夢中になって動いているのである。

 公明党委員長・矢野絢也、書記長・大久保直彦以下、公明党員は同時に創価学会員だ。しかし、その逆は……学会員の総てが公明党員ではない。もともとは、公明党党員なんてそもそも存在しなかった。学会員が立候補し議席を得て公明党のカンバンを掲げた議員政党であった。
 しかも、それはあくまでも仮りの姿で、実態は創価学会・公明党とワンセットでしか呼びようがなかった。
 政教分離以前も以後も本質的に全く変わっていないのであるから、政教分離を謳う学会・公明党はいかに鉄面皮であることか。昭和六十三年の現在において私は、あの言論出版妨害事件であれほど世論の攻撃にさらされたにも拘らず、学会・公明党の反省、公約なるものはどこへ消えたのかと、今さらのように見つめるのみだ。にもかかわらずその政教分離を公約して、学会・公明党は急拠、公明党員づくりにかかった。

 これが、すこぶる奇妙な党員“選抜”だったのである。要するに、各大B (B=ブロック=学会末端組織)に壮年部、婦人部各一名の公明党員選考を割り当てた。
 元民音職員で学会に造反し、「寄附金返還訴訟」を起こした(昭和四十七年)松本勝弥の『訴訟された創価学会」に、公明党員のことがふれてある。
 「……党員として選ばれる資格は信心が堅固で、生活にゆとりもあり、いつでも充分時間のとれること、お金もどんどん使えること等、幾つかの項目に適した人でなければならない。(中略) 党員の役割はひと口でいえば地域の監視である。自分の住んでいる町内で起きた事故や火事などをはじめ、ドブ川の汚染に至るまで、町内の人が困っている事柄をいち早くみつけて、上の人や区議に知らせることである。知らせを受けると、その地域から立候補している公明党の議員がかけつけて処理し、公明党の人気とりにひと役かうのである」

 こうして、公明党員は公明党の日常活動を支える情報提供者である。情報のアンテナになっているのだ。ドブ板ふんでキメ細かな日常活動をするという公明党地方議員は、社会党議員などとは比較にならない細かな情報網をもっているわけだ。
 公明党の党員は、学会組織に割り当て方式で選んだインスタント党員だったのであるが、最も肝心の選挙対策となると、百パーセント学会組織にオンブだ。これは現在も全く変わってはいない。いいかえれば、学会の選挙組織の集約が公明党であるにすぎない。地方選挙から国政選挙まで、学会の猛烈な選挙運動は、政教一体組織を余すところなく見せつけているのである。

 政教分離のタテマエなどどこのハナシ、といわんばかりに、政教一体を叩かれようがしゃにむに選挙運動に狂奔する学会員の姿には、かっての「折伏大行進」を思わせるものすらある。
 他人の家に押しかけ、上がりこんで仏壇を壊したり位牌を焼かせるなどした、あの暴力的布教活動と同じだ。
 つまり、選挙運動こそ、現在の「折伏大行進」なのである。選挙運動=折伏行に駆りたてられる末端学会員には、公明党の政策なんかてんで問題にならない。選挙スローガンにしても、殆ど関心の外にあるもっとも、公明党の政策などは終始クルクル変わり一貫しないのだから、一般学会員に理解しろといっても無理だろう。
     ----------(つづく)---------121

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