創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田大作・創価学会 を打倒せよ!!-24

2019-01-29 09:05:27 | Weblog

 <教団を歪め私物化する池田大作の悪業を糾弾する!!>
創価学会・池田大作打倒の反乱  1989/2  段 勲  青年書館
    ------(P.109)---(以下、本文)-------

2 ケタ違いな創価学会の金集めの手口
◆ 金のかからない宗教といいながら広布基金制度によリ全学会員から納金強要
 創価学会の金集めについては、内外からの批判が巻き起こっており、いまでは学会スキャンダルのひとつに数えられている。信仰団体が、信者から浄財を集める行為は、神世の昔からで、営利を生まない宗教団体の性質上、組織の維持運営のため、信者の浄財に頼るのはむしろ当然ともお思える。
 では、その当然の宗教行為なのに、なぜ創価学会の金集めにこれほどの批判が渦巻くのか。

 第一に創価学会は、“ウソ”をついたことである。性善説に立ち、信者に安心立命を与える宗教団体が、間違っても信者相手にウソをついたり、ダマしてはいけない。では、創価学会は金集めに関し、信者にどのようなウソをついたのか。
 「創価学会の施設には、賽銭箱を置かない」「創価学会は一銭もかからない宗教」「創価学会は金儲けが目的ではない」
これが、創設当時のキャッチフレーズで、確かに、創価学会の各施設には、他の教団のような賽銭箱は見当たらない。現在もまたそうである。ことお金に関し、こうした公明党よろしく“クリーン”を訴え、その一方では、金儲けに走るとりわけ新興教団に対しては、ありったけの罵詈雑言を浴びせかけてきた。それでも近年は、なぜか“遠慮”してか、他教団の金儲け主義にはあまり批判を加えなくなったが、それでも時折、機関紙にこんな記述が載ることがある。たとえば「PL教団」について--。

 「思うように教勢は伸びなかったばかりか、宗教を悪用した事業も凋落の一途をたどっている。
“宗教成金”御木一族の末路や哀れ、と陰口もしきり。
 キンキラキンに着飾って童話の国の王様を気取ってみても、夢はいつかはさめる。ましてや、お伽新にもならぬ平和論で、そういつまでも人々を騙し通せるものではない。信者の離反、離脱が著しい昨今、お得意の“ご感動”には何が映っているやら」(「聖教新聞」昭和五十七年三月六日)
 この記事が筆者の目にとまったとき、書いた聖教新聞の記者は、意外と“隠れアンチ池田派”ではないかと疑った。なにしろ、記事中の"御木一族"の部分を「池田一族」に置き換えれば、なんと現況の創価学会にそっくりであったからだ。PL教団を隠れ蓑にして池田氏を批判したものと思つたのである。

 もう一例、次は「天理教」である。
 「教祖の中山みきが天理王命から受けた啓示によれば、どじょうが人間になった、また、親神(天理王命)は退屈まぎれに人間を造って、“陽気あそび”をさせて楽しんだそうだ。何とも気楽な神サマもいたもので、極貧にあえぐ当時の信者を踊らせて喜んだらしい。
 それだけならまだいい。みきは“貧に落ちきれ”と強要して回った、要するに、一切の富を神サマに捧げよ、というわけだ。“おつくし(献金)”は、だから悪らつな高利貸しも顔負けの取り立てだった。田畑、屋敷を売るのは茶飯事、なかには娘を吉原に売って献金する信者もいた(芹沢光治良氏)。
 天理教百四十余年の歴史は、搾取の歴史であった。--信者は、生かさず殺さず、搾るだけ搾り取られて、精も根も尽き果て“陰気ぐらし”。これが“搾取の宗教”の正体だ」(同紙昭和五十七年四月二十四日)
 といった調子である。

 創価学会が、他教団の金取り主義を批判しても、当学会もやはり組織運営上、本部維持費など資金が必要だ。で、二代会長の戸田城聖時代の昭和二十六年七月、同会に「財務部員制度」が発足した。会員の中から、比較的生活にゆとりのある人を選び、それら会員を「財務部員」と任命。年間四千円の「納金」をお願いしていた。
 こうした「財務部員制度」が昭和四十年代末頃まで続き、この間、創価学会が会員に特別に浄財を強要したのは、総本山、富士大石寺の「大講堂」及び「正本堂」建立のための“御供養”などわずか二、三回であった。

 ところが昭和五十年代初頭になって、「財務部員」の名称が「広布部員」に変えられ、納金額も年間一口一万円以上、何口でもと、ピンとハネ上がった。これだけならまだいい。そのスタート当時、広布部員数は約八十万人といわれたが、そのうちいつの間にか広布部員という制度が消え、全学会員が「納金」しなければならなくなった。これが「広布基金」制度の誕生である。
 いみじくも他宗派の高僧が漏らしていた。
 「信者から金を集めるなど、実は赤子の手をひねるよりも簡単。しかも、一度集めてそのうま味を覚えると、ついやめられなくなる」

 ことほどさように、長く「一銭も金のかからない宗教」と自慢し、誇りにもしてきた創価学会が、広布基金発足と同時に、なりふりかまわず金集めを開始した。まさに、銭ゲバ集団と化したのだ、むろん、広布基金以外に、機関紙の「聖教新聞」購読代、「大白蓮華」「聖教グラフ」などの雑誌弋、池田大作氏の多くの著書代金、地域によっては会館建設のための浄財、といった具合に何かと金がかかるのである。そのほか、学会活動に要する交通費や諸雑費などの出費もバ力にならない。
     ----------(次回に、つづく)---------113

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