創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田の脱税・ピンハネ-76

2015-09-17 08:12:33 | Weblog

◆そこまで“脱税・ピンハネ”いいんかい…!!  (再)    
  *脱税・ピンハネの総合商社(寄付・会館・出版・墓園・民音・学校・宣伝・Etc)の池田創価(=公明党)
 *躁・鬱病の似非医者、ユスリ・タカリ・恫喝、役所と連携の生活保護利権は、池田創価(=公明党)
 *脱税・ピンハネの貧困ビジネス(露・闇市・薬の転売・他)利権も…共産党より池田創価(=公明党) 
 *池田創価(=公明党)のアメとムチで総体革命、司法・行政・警察・マスコミ・芸能・評論家・Etc
 *自民党国会議員の半数以上を支持する池田創価、国税等の脱税・ピンハネ黙認で、?十年…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ黙認は、政府・国税庁の憲法違反<89条・不作為の公金支出>ダ…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ課税+マイナンバー課税すれば…消費税なしで財政再建できる…!!

〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・2011/10・講談社…1,800¥>より
  ----------P332-----本文・ここから--
◆「みんな学会から追い出される」
 一一月二六日、竹下氏の証人喚問が行われた。竹下氏は「皇民党事件」で暴力団に解決を依頼したことについて、「当時は心当たりはなかった」と全面的に否定。「罪万死に値するが、職を辞するのは、皇民党問題と総裁選、内閣の首班指名が連動することを立証することになり、職を辞する訳には参らない」と辞職要求をはねつけた。
 証人喚問後、私は石田委員長と議員引退問題で話し合った。石田氏を除く四二年当選組全員の引退を学会は強く要求しているとのことだったが、坂本氏の「ルノワール事件はまだ継続している」という言葉が頭に残り、私には少し迷いが生じていた。ルノワール事件で国税庁や検察庁が捜査を続けているのに、私一人、戦場放棄して辞めてしまっていいのかと悩んだのだ。
 とはいえ私だけ残ることはしたくなかった。それで「俺は議員を辞める。だが、この党と学会を守る責任は感じている。議員を辞めても自ら戦場放棄はしない」と正直な気持ちを石田氏に伝えた。
 石田氏は悩ましい表情をしていて判断を迷っている様子だった。結局、翌日の中央執行委員会で、石田氏は「二年間、矢野先輩に常任顧問をお願いしたい」と私に次の参院選までの二年間に限って、引き続き党の常任顧問を務めるよ頼んだ。
 ルノワール事件の進展が気掛かりだったので私はやむなく応諾した。 常任顧問は党の役職で、任期は二年間。この時点で石田氏ら執行部は、あと二年間は私に議員を続けさせるつもりだったのかもしれない。
 さっそく市川氏から「矢野さんはいろいろな会合に自由に出席してください。これから学会本部に行き、矢野さんから〝党と学会は運命共同体だから〟と挨拶してもらえませんか」と頼まれた。市川氏なりの心づかいだったが、池田氏の覚えがよくない私が出席したら石田、市川両氏に迷惑がかかる心配があったので、私は「ご辞退する」とお断りした。
 しかし、党側がいったん決めた私の常任顧問就任は、その後、学会側の圧力を受け最終的に覆ることになる。
 一一月二八日、私は石田、市川、矢追、浅井、伏木の党首脳の各氏と料理屋で懇談した。
 市川氏は「金丸あっての小沢なのに小沢は自信過剰で困る。新しい政権の軸は小沢を対象としていない。次は私を飛ばして神崎委員長にしてくれ。二年後の参院選で自民党が過半数を握り公明党がキャスティング・ボートを失つたら学会から袋叩きになる。いまは何と言つてもダメ。火中の栗を学会は拾わない。本家(学会)がやる気がない」とやや政局に悲観妁だっ
た。
 石田氏も「この中で何人残るか。みんな学会に追い出されて消えていく」と自虐的につぶやいた。
 一二月一〇日、石田氏が議員会館の私の事務所に来室した。学会の一部から「私の例外扱いおかしい」という声が出ているという。
 それを聞いて私は「あんたが板挟みで苦労しているのは気の毒だ。私は議員を引退すると言っている。君たちの心遣いには感謝している。私は辞めるつもりだ。辞めるのは自分の心で決めること。後進に道を譲る」と改めて辞意を伝えた。
 たまたまルノワール事件の継続捜査の事実を知り、そこに常住顧問の話が来たので受けたまでのこと。私は「あまりバタバタしないほうがいいよ」と石田氏を笑つて見送った。
 一二月二一日の公明党三役会議で私の辞意が正式に認められ、私の引退が決まった。翌日、石田氏から電話で三役会議について報告があった。「矢野さんの申し出をどうするか、慎重に検討してお受けすることにさせていただきました。長年、書記長、委員長をやった人だから影響も大きい。これを二五年議員を務めた人の引退の先例としたい」。
 一二月二五日、秋谷会長から電話があつた。
《秋谷「昨日、お待ちしていた」
矢野「それは失礼しました。第一庶務の帰りに二階へ行ったが見えないので失礼しました。私の気持ちはよくわかっているはずだが」
秋谷「私もいずれ近く……」
矢野「戦友だが、あんたは必要。こちらはもうよい」
秋谷「いや、もうボチボチ」
矢野「秋谷さんは頑張るしかない。私も陰で手伝うから」》
 翌一九九三年六月、私は二六年間の国会議員生活にピリオドを打ち、池田名誉会長のお庭番としての務めを終えた。
 坂本氏が懸念していたルノワール事件は結局、学会に波及せずに終結する。国税庁と警視庁、そして東京地検特捜部は、この事件で闇に消えた三億円の行方を最後まで解明しようとしたが叶わなかった。それで胸を撫で下ろした人間がどこかにいる。
 同様に、二度の税務調査がともかく無事に終わり、胸を撫で下ろしたのが、池田名誉会長以下の創価学会幹部たちだ。
 すでに最後の税務調査から二〇年が過ぎた。当時、政局の中心は消費税問題だったが、奇しくも現在、財務省を中心に消費税増税が議論になっている。税の公平性の観点から言っても、消費税を上げる前に宗教法人への優遇税制が議論になるのは避けられないだろう。いつまでも国税が学会の乱脈経理を野放しにしておくとも思えない。
 創価学会(VS)国税の交渉の前面に立った私は、国税当局の怖さを身に沁みて知っている。
  ----------------改頁------336-つづく--

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする