今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

歌手・三波春夫の忌日

2006-04-14 | 人物
2001年(平成13年)の今日(4月14日)は「歌手・三波春夫(みなみ はるお)」の忌日。<77歳>
「お客様は神様です」・・・の名セリフを残した。観客を大切にする気持ちをこの言葉にこめて、観客へのサービス精神に徹した歌手だった。
観客の前ではいつもにこにこと笑顔を絶やすことはなかった三波春夫には、従来の歌手にはないユニークな個性があった。
1923(大正12)年7月19日、新潟県三島郡の生まれ。本名は、北詰 文司(きたづめ ぶんじ)。幼時から浪曲を志し、南條文若の芸名で17歳にして座長。天才少年の名をうたわれ、全国を巡業。1944(昭和19)年、現役兵として北満の関東軍に入り、終戦後4年間、26歳までロシア・ハバロフスクの捕虜収容所に収容され、苦難の日々を送った。
帰還後、浪曲生活に戻るが、三橋美智也の成功に刺激を受けてテイチクレコード入り。1957(昭和32)年、三波春夫として歌謡界へ。「チャンチキおけさ/船方さんよ」のカップリング盤がデビュー作。どちらも大ヒットした。洋服が常識だった歌謡歌手としては初めて、舞台衣装に派手な紋様の着物を着て登場。愛想のよい笑顔で両腕を広げての立ち姿で、独特の節回し。従来の歌手にはないユニークな個性があった。しかし、そこには、単なるファンサービスの愛想笑いだけではなく、幼少より浪曲で鍛えらたすばらしい歌唱力があった。
以後、「雪の渡り鳥」、「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」「俵星玄蕃」と立て続けに大ヒット、国民的歌手としての地位を不動のものとした。中でも、元浪曲師であることから、浪曲に題材を取った歌謡浪曲を得意とした。
三波は歌手デビューの翌1958(昭和33)年第9回NHK紅白歌合戦に初出場して以来、1986(昭和61)年まで29回連続で出場している。そして、1966(昭和41)年第17回紅白では 、美空ひばりを差し置いて大トリを務めた。その後、1989年・第40回(第1部)、1999年・第50回と2回出場し、通算31回出場した。
”雪を蹴立てて、サク、サク、サクサクサクサク・・・「先生!」「おお、蕎麦屋かぁ~」・・・”名調子の長編歌謡浪曲『元禄名槍譜 俵星玄蕃』の一節である。
この1999(平成11)年、最後の紅白に出場の時に歌った「元禄名槍譜 俵星玄蕃」に代表される長編歌謡浪曲は、どの歌も、約10分前後の長さのなかに、セリフがあり、レチタティーヴォ(説明的なな歌)があり、それが、美しい歌謡へと繋がりクライマックスを迎える。これは、まさに、日本のオペラといえるかも知れしれない。同じ浪曲出身の村田英雄はよく三波のライバルと位置付けられていた。私は村田英雄の男性的な歌も大好きである。しかし、三波の長編歌謡浪曲は、浪曲だけでも歌謡曲だけでも不十分で、完成された発声による歌唱力を要求される作品であり、三波にしかできない芸当といえるだろう。彼が世を去った後、そのスタイルを踏襲してくれるものがあらわれてほしいが、これだけの歌唱力のある歌手はもう、現れないのではないだろうか・・・。最近は、まともに声も出ない人が、コロコロと、口先だけでささやいているような歌ばかり。三波晴夫のようなすばらしい歌手の出現を望むのは無理かもしれないね~。
(画像は、CD「~歌芸の軌跡~三波春夫全曲集」 テイチクエンタテインメント )
参考:
三波春夫オフィシャルページ
http://www.kashu.ne.jp/minami/
三波春夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%A2%E6%98%A5%E5%A4%AB
三橋美智也 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%A9%8B%E7%BE%8E%E6%99%BA%E4%B9%9F
村田英雄 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E8%8B%B1%E9%9B%84
紅白歌合戦情報
http://www.kouhaku.info/