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黒澤明監督の映画『七人の侍』が公開 された日

2006-04-26 | 歴史
1954年の今日(4月26日)は、黒澤明監督の映画『七人の侍』が公開 された日。
黒澤 明(くろさわ あきら。1910年3月23日 - 1998年9月6日)は、海外でも広く名前が知られている日本映画の巨匠の一人であり、1936(昭和11)年、東宝の前身のピー・シー・エル映画製作所に入社後、1943(昭和18 )年33歳 の時「姿三四郎」で監督デビュー。1951(昭和26)年に「羅生門」がベネチア国際映画祭でグランプリを受賞日本映画が世界から注目されるきっかけとなった。以降、1954(昭和29)年に、「生きる」で、ベルリン国際映画祭銀熊賞、、同年「七人の侍」ベネチア国際映画祭 銀獅子賞、1976(昭和51)年にソ連映画「デルス・ウザーラ」でアカデミー賞最優秀外国語映画賞を受賞、さらに、1980(昭和55)年「影武者」でカンヌ国際映画祭グランプリ)など国際的に評価の高い名作を手掛け、1990(平成2)年には米アカデミー賞の名誉賞を受賞。世界の映画界に大きな足跡を残し、世界のクロサワ」とも呼ばれている。この黒澤作品には、大きく二つの流れがあるといわれ、その一つは、活動写真的なアクションの魅力を満喫させるものであり、その最も純粋な形を示しているものが、三船敏郎の「用心棒」や「椿三十郎」のようなものであろう。これら娯楽に徹したショー的なものとは別に、一方、人間はいかに生きるべきかといった求道的な主題を中心に据えた一連の作品があり、その主題が社会問題に対する批判と結びついたところに、癌であと半年の命の初老の市役所の課長が役所の官僚主義と戦い抜く「生きる」や小企業主が原水爆実験におびえてブラジルに移民することを考えるが、家族のエゴイズムにはばまれて発狂するという「生きものの記録」のようなものである。
30本にも及ぶ黒澤作品中、最も評価が高く人気の高いのが「七人の侍」であろう。
時は戦国時代の貧しい農村が舞台。夜盗化した野武士の横暴に苦しむ農民たちは、侍を雇って村をまもろうとする。かくして集められた個性的な七人の侍たちの指導により百姓たちは鍛え上げられ、村も要塞と化す。そこへ何も知らない野武士たちがやってくる。百姓と侍という相対する存在の描写を加えつつ「百姓と侍の連合軍」対「野武士の一団」の合戦が始まった。7人の侍たちの活躍をダイナミックに描いた堂々3時間30分にも及ぶ作品である。
1年近い製作日数と、破格の制作費を費やした文字通りの超大作は、撮り直しのきかないスペクタクルシーンを撮るために、数台のカメラで同時撮影する方法がとられた。また、日本画家・前田青頓を美術顧問に迎え、髷や衣装、刀などを戦国期のリアルなもので統一し、時代劇に新風を吹き込んだ作品であり、娯楽性と芸術性、それに時代を超えた社会性も備え、美しくも迫力ある映像と、観る者を楽しませ感動させるストーリー。映画のすべてが詰まった、映画のなかの映画である。
この映画の中で、百姓は非常に弱くてずるい存在として描かれており、侍が来たら、娘を犯されると思って髪を切ったり、 侍を雇っても野武士が来ずに、メシだけ食わせて 損したとか、小市民的なこずるさ、弱さ丸出しである。 その一方の、雇われた侍は強く卑怯なところのない、正義の存在として 描かれ、気品高いものとして描かれている。 しかし黒澤 明監督は、単に侍を持ち上げて 百姓を貶めて描くのではなく、百姓がそのようになったのは、侍のせいだという 百姓出身の侍、三船を用いることで、非常に上手く バランスをとっている。 農民の腕力と侍の気高い心を併せ持つ男・菊千代役は、三船敏郎のイメージそのままである。この役はまさに三船のはまり役だろう。また、志村喬扮する勘兵衛は常に冷静沈着。だが、決断は早く、理想のリーダー役を演じていた。これも、志村にぴったりの役であった。、アクションシーンも リアルである。又、どしゃ降りの中での大決戦。黒沢映画の自然はいつでも厳しく、雄雄しいが、その画面は実に綺麗だ。黒澤は、18歳で二科展に入選もしており、画家を目指していたといわれ、映画を撮る前に主要シーンの絵コンテを描いている。映画の一つ一つの場面のイ メージを眼に見える様にかため、ふくらませ、 しっかり掴んで、それから映画の撮影に臨むのである。 だから、黒澤の映画は、一場面一場面が非常に絵画的であり、それが、見るものに感動を与えている。ラスト、戦いによって、野武士は全滅した。しかし百姓も数人倒れ、七人の侍の中4人が死んだ。新しい土鰻頭の前に立った勘兵衛達3人は、6月の爽やかな風の中で働いている百姓達を静かに眺めた。「勝ったのはあの百姓達だ。俺達ではない。百姓は土と共に何時までも生きる。」田の面をみながら勘兵衛がつぶやいた。
幼年期に黒澤の作品に触れ、多大な影響を受けたというスティーヴン・スピルバーグは、映画の撮影前や製作に行き詰まった時に、モノ作りの原点に立ち戻るために必ずこの映画を見るそうだ。この作品のリメイク版、 ハリウッド製西部劇「荒野の七人」(1960年、ジョン・スタージェス監督)も大ヒットし、続編まで製作された。内容は『七人の侍』と殆ど同じ、ラスト、志村喬と同じリーダー格のユル・ブリンナー演じるクリスが村を眺めながら言った。「本当に勝ったのは農民たちだ。俺たちじゃない。」・・・と。ラストのセルフまで同じだよ・・・。
(画像は、コレクションより『七人の侍』ポスター画絵葉書。黒澤明監督が亡くなられたときの記念絵葉書。平成11年に沖縄那覇中央郵便局が発行した世界の名監督、黒澤明監督映画全30作品の絵入り葉書の1枚である。)
参考:
七人の侍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BE%8D
七人の侍 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23967/?flash=1
荒野の七人 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD3223/?flash=1