今日(4月7日)は「琵琶湖疏水完成の日」
1890年4月7日、 琵琶湖の水を京都に引く琵琶湖疏水が完成。商業用としては日本で初めての水力発電所も作られた。
琶湖疏水(びわこそすい、琵琶湖疎水とも書かれる)は、琵琶湖の湖水を、京都市へ運ぶために作られた水路(疏水)である。舟運・発電・上水道・灌漑用水などの目的で作られたが、現在は京都市に上水を供給するのが主たる目的となっている。
作られた経緯は、明治維新と東京遷都に伴い、それまで日本の政治・文化の中心地だった京都の座も東京に移り、政府の役人や公家もは次々と東京方面へと移り、人口が激減。そのため、公家や役人など高級な伝統工芸品を買っていた客が減り、伝統産業並びに、貴族の保護を受けていた茶室やお寺など様々な分野の文化も衰退し、華やかな文明開化とは反対に、京都の産業・町は急激に衰退していった。この衰退していく京都を復興させるため、特に産業の振興を図ろうと計画されたのが、琵琶湖から京都に水を引くという壮大な疏水事業であった。第3代京都府知事北垣国道は、京都の水不足を解消すべく、京都に近く水量の豊かな琵琶湖に着目し、疏水を開削することにより、琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き、同時に動力(水車)、灌漑、防火などに利用して、京都の産業を振興しようとしたのである。そして、主任技術者を任じられ、設計と工事を指揮したのは、工部大学校(現在の東大工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎(たなべさくろう)であった。当時、我が国の重大な工事はすべて外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって、全て、日本人の手によって行われた我が国最初の大土木事業であった。余りにも途方もない大きな計画であり、莫大な資金がかかるこの計画に反対するものも多くいたようであるが、その反対を押し切るかたちで、工事は始まった。第1疏水は1885(明治18)年着工し、1890年(明治23年)に大津から鴨川合流点までが完成した。その疏水工事中の1888(明治21)年、アメリカ・コロラド州に世界初の水力発電所が開業した記事を目にした田辺は、渡米してその知識を持ち帰り、水力発電所の建設を疏水計画に追加した。1891年(明治24年) 、蹴上(けあげ)発電所が完成し、送電を開始した。これは、商業用としては日本で初めての水力発電事業であった。この水力発電を採用したおかげで,新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は活力を取り戻した。
鴨川合流点から伏見までは、1892年(明治25年)に着工、1894年(明治27年)に完成した。その後第1疏水でまかないきれない水道水、電力需要に対応するため第2疏水が、京都市の三大事業(第2疏水事業、水道事業、市電開通及び幹線道路拡幅)の一つとして、1908年(明治41年)に着工され1912年(明治45年)に完成した。蹴上浄水場はこのときに設置されている。
西洋技術が導入されて間もない当時の未発達な土木技術や貧弱な機械・材料に悩まされながらの工事は、現代では、想像もつかない努力の積み重ねでなされたものであったろう。
日本人のみで設計・施工された土木技術史上極めて貴重なものであり、1983(昭和58)年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。
蹴上のインクラインから京都市立動物園,京都国立近代美術館へと続く疏水沿いには,桜並木が続き,多くの人でにぎわっている。ここから南禅寺を抜けて,銀閣寺のほうへと続く哲学の道にも桜並木は続き,美しいハイキングコースとなっている。
そして、若き田辺の才能や多くの人々の努力で完成した水力発電所は、100年以上の時を経た今も、現役で働き続けている。
水力発電は、高い場所から落ちてくる水の力で水車を回し、その回転で電力を発生させるシステムである。わが国は山に囲まれた地形と水に恵まれた自然環境にあり、水力発電に適しているといわれる。本格的な水力発電所が日本に初めて登場して以後1960年代初頭までは日本の電力供給の重要な位置を占めていた。その後、大容量・高効率の石油による火力発電が主流となり、1973年の石油ショック以後は原子力発電も登場、電力需要が急拡大するなかで徐々にウエイトが低下、2002年度は、全発電電力量の9%となっている(2003年「電源開発の概要」)。
1989(平成元)年8月1日、「琵琶湖疏水記念館」が開館した。展示室には,建設当時の疏水関連の図面や絵図、工事に関わった人々の苦労をしのばせるいろいろな資料などを展示している。南禅寺や永観堂など観光の際に立ち寄ってみては・・・。
(画像は南禅寺境内に見られる「水路閣」)
参考:
琵琶湖疏水(京都市上下水道局)
http://www.city.kyoto.jp/suido/biwakososui.htm
琵琶湖疎水 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4
琵琶湖疏水 (琵琶湖疎水)
http://agua.jpn.org/biwacanal/top.html
水力発電 - 環境goo
http://eco.goo.ne.jp/word/energy/S00086.html
1890年4月7日、 琵琶湖の水を京都に引く琵琶湖疏水が完成。商業用としては日本で初めての水力発電所も作られた。
琶湖疏水(びわこそすい、琵琶湖疎水とも書かれる)は、琵琶湖の湖水を、京都市へ運ぶために作られた水路(疏水)である。舟運・発電・上水道・灌漑用水などの目的で作られたが、現在は京都市に上水を供給するのが主たる目的となっている。
作られた経緯は、明治維新と東京遷都に伴い、それまで日本の政治・文化の中心地だった京都の座も東京に移り、政府の役人や公家もは次々と東京方面へと移り、人口が激減。そのため、公家や役人など高級な伝統工芸品を買っていた客が減り、伝統産業並びに、貴族の保護を受けていた茶室やお寺など様々な分野の文化も衰退し、華やかな文明開化とは反対に、京都の産業・町は急激に衰退していった。この衰退していく京都を復興させるため、特に産業の振興を図ろうと計画されたのが、琵琶湖から京都に水を引くという壮大な疏水事業であった。第3代京都府知事北垣国道は、京都の水不足を解消すべく、京都に近く水量の豊かな琵琶湖に着目し、疏水を開削することにより、琵琶湖と宇治川を結ぶ舟運を開き、同時に動力(水車)、灌漑、防火などに利用して、京都の産業を振興しようとしたのである。そして、主任技術者を任じられ、設計と工事を指揮したのは、工部大学校(現在の東大工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎(たなべさくろう)であった。当時、我が国の重大な工事はすべて外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって、全て、日本人の手によって行われた我が国最初の大土木事業であった。余りにも途方もない大きな計画であり、莫大な資金がかかるこの計画に反対するものも多くいたようであるが、その反対を押し切るかたちで、工事は始まった。第1疏水は1885(明治18)年着工し、1890年(明治23年)に大津から鴨川合流点までが完成した。その疏水工事中の1888(明治21)年、アメリカ・コロラド州に世界初の水力発電所が開業した記事を目にした田辺は、渡米してその知識を持ち帰り、水力発電所の建設を疏水計画に追加した。1891年(明治24年) 、蹴上(けあげ)発電所が完成し、送電を開始した。これは、商業用としては日本で初めての水力発電事業であった。この水力発電を採用したおかげで,新しい工場が生まれ、路面電車も走り出し、京都は活力を取り戻した。
鴨川合流点から伏見までは、1892年(明治25年)に着工、1894年(明治27年)に完成した。その後第1疏水でまかないきれない水道水、電力需要に対応するため第2疏水が、京都市の三大事業(第2疏水事業、水道事業、市電開通及び幹線道路拡幅)の一つとして、1908年(明治41年)に着工され1912年(明治45年)に完成した。蹴上浄水場はこのときに設置されている。
西洋技術が導入されて間もない当時の未発達な土木技術や貧弱な機械・材料に悩まされながらの工事は、現代では、想像もつかない努力の積み重ねでなされたものであったろう。
日本人のみで設計・施工された土木技術史上極めて貴重なものであり、1983(昭和58)年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。
蹴上のインクラインから京都市立動物園,京都国立近代美術館へと続く疏水沿いには,桜並木が続き,多くの人でにぎわっている。ここから南禅寺を抜けて,銀閣寺のほうへと続く哲学の道にも桜並木は続き,美しいハイキングコースとなっている。
そして、若き田辺の才能や多くの人々の努力で完成した水力発電所は、100年以上の時を経た今も、現役で働き続けている。
水力発電は、高い場所から落ちてくる水の力で水車を回し、その回転で電力を発生させるシステムである。わが国は山に囲まれた地形と水に恵まれた自然環境にあり、水力発電に適しているといわれる。本格的な水力発電所が日本に初めて登場して以後1960年代初頭までは日本の電力供給の重要な位置を占めていた。その後、大容量・高効率の石油による火力発電が主流となり、1973年の石油ショック以後は原子力発電も登場、電力需要が急拡大するなかで徐々にウエイトが低下、2002年度は、全発電電力量の9%となっている(2003年「電源開発の概要」)。
1989(平成元)年8月1日、「琵琶湖疏水記念館」が開館した。展示室には,建設当時の疏水関連の図面や絵図、工事に関わった人々の苦労をしのばせるいろいろな資料などを展示している。南禅寺や永観堂など観光の際に立ち寄ってみては・・・。
(画像は南禅寺境内に見られる「水路閣」)
参考:
琵琶湖疏水(京都市上下水道局)
http://www.city.kyoto.jp/suido/biwakososui.htm
琵琶湖疎水 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4
琵琶湖疏水 (琵琶湖疎水)
http://agua.jpn.org/biwacanal/top.html
水力発電 - 環境goo
http://eco.goo.ne.jp/word/energy/S00086.html