今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「マーク・トウェイン (米:小説家『トムソーヤの冒険』)の忌日。

2006-04-21 | 人物
今日(4月21日)は「マーク・トウェイン (米:小説家『トムソーヤの冒険』)の1910年の忌日。 <74歳>
マーク・トウェインの名は知らなくても、『トムソーヤの冒険』」や『ハックルベリー・フィンの冒険』の作家と言えば、知らない人はいないだろう。
マーク・トウェイン(Mark Twain)は、アメリカの小説家。本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)。1835年11月30日、ミズーリ州フロリダに生まれる。彼が4歳の時に一家は、出生地から50km程離れたミズーリ州ハンニバルの川沿いの町に転居。ここは当時舟運で栄え、ニューオーリンズとセントルイスから、人が日夜途絶えることがなかったという。そして、この町と住人達が、『トムソーヤの冒険』」や『ハックルベリー・フィンの冒険』などに現れる人物と場所のモデルとなっている。
幼くして父親を亡くし経済的にめぐまれなかったトウェインは、学校を中退し、小さい頃から新聞社で植字工見習として働き、そこで文章を書くことを覚える。やがて、子どもの頃からの夢である「アマゾン探検」を果たそうと、22歳のとき、蒸気船でアマゾンに向かったが、資金不足のため、そのまま蒸気船の水先案内人として働いている。その後、27歳でヴァージニア・シティの「テリトリアル・エンタプライズ」紙の記者になり、同紙に短い戯文を掲載した時、はじめて「マーク・トウェイン」という筆名を用いていたそうだ。これは、水先案内人時代の用語で、浅瀬の多いミシシッピ河を航行する蒸気船が、水深を測りながら運行する時の安全水域「水深ニ尋」の意味だそうだ。
『トムソーヤの冒険』」は、トウェインが港町ハンニバルで過ごした少年時代の思い出を題材にした伝記的小説であり、大人から見た子供の世界がユーモアを交えて描かれている。なお、タイトルの「冒険」(Adventure)の意味は「型破りの、痛快な、向こう見ずの行動又反抗」といったような意味のようである。『ハックルベリー・フィンの冒険』は『トムソーヤの冒険』の続編として書かれたが、前編以上の傑作とも言われている。以下参考の「松岡正剛の千夜千冊『ハックルベリイ・フィンの冒険』」にも書かれているように、『トム・ソーヤーの冒険』では、トムは学校や教会の束縛から脱出したい仲間を徒党に仕立て、有名なフェンスのペンキ塗りに始まり、教師のからかい、幼なじみの少女への思慕、深夜の墓地での殺人事件の目撃、はては洞窟での恐怖の三昼夜のあげくに大金を発見するという、それなりの少年としての型破りな波瀾万丈の冒険をやってのけているが、どこか通りいっぺんで、丸く収まっている。そのことに不満をもったのか、続編としての『ハックルベリイ・フィンの冒険』では、ハックにもっと本格的な「冒険」をさせている。ミシシッピ河のほとりの小さな村で飲んだくれの父親にみすてられ、浮浪児として生きたハックルベリーフィンはある上品な未亡人にひきとられ社会人としての教育をうけるが、天性の自由の子である彼にはそれが窮屈でたまらない。そこへ父親が現れ、彼をさらって川岸の小屋で一緒に住むようになるが、残虐な父に殺されそうになったハックは、命からがら脱走する。そして、社会が、「文明化」されることを嫌う少年ハックは、そのような社会を捨て、ニューオリンズに来て、そこからミシシッピの奥に向かわせる。 トウェインにとってはミシシッピーは自分の故郷であって夢の「世界」そのものである。そこには「大人の世界」より大きい「少年の世界」があるはずであった。しかし、ミシシッピーも忌まわしい文明に犯されていた。また、そこで、宿命的に出会った逃亡奴隷のジムが哀しそうに語る南部奥地に売られそうだという話を通して、ミシシッピーのような辺境な社会においてすら「迫害」の構造があることを知り、ジムとともにミシシッピ川を筏 で下る。その間に、大暴風雨やら奴隷探索隊の追及やら、川沿いの町での殺人事件やら南部の名家のいがみあいやらまざまな事件に遭遇するが、これらを乗り切っていくうちに、冒険だけでは得られない感動に心を動されるようになる。 それは黒人奴隷のジムが見せた深い人間味だった。この小説は、「ミシシッピ川の国民的叙事詩」と呼ばれている。トウェインは、型破りな辺境の少年ハックの目を通して、アメリカ社会の“病んだ真実”を喝破し、人間社会の矛盾を独特のユーモアで皮肉っており、国民から「アメリカ文学のリンカーン」として尊敬されているそうだ。
「我々は虹を見ても、未開人が抱くような敬虔な気持ちを持つことがない。
なぜならば、虹がどうしてできるのかを知っているからだ。
我々はそうしたものを詮索することによって獲得したのと、同じだけのものを失っている。」
これは、以下参考の「マーク・トウェイン格言集」に載っている言葉だ。この『・・・の冒険』の本は、主に少年・少女のために書かれたものであるが、大人たちにも、自分が少年少女時代にどんなことを感じ、考え、どんなことに夢中になったか・・・、そういったことを思い出してながら読むには良い本ではないか。
(画像:「 トム・ソーヤの冒険」マーク・トウェイン著 、亀山 龍樹 翻訳)
参考:
マーク・トウェイン - Wikipedia
a.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3
マーク・トウェイン格言集
http://kuroneko22.cool.ne.jp/Twain.htm
マークトウェインの作品研究:「ハックルベリーフィンの冒険」を中心に
http://www.kgef.ac.jp/ksjc/ronbun/880450y.htm
松岡正剛の千夜千冊『ハックルベリイ・フィンの冒険』マーク・トウェイン
ww.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0611.html