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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ダーウィン(英国。自然科学者、進化論を提唱『種の起源』) の忌日

2006-04-19 | 人物
1882年 の今日(4月19日)は、ダーウィン (英:自然科学者、進化論を提唱『種の起源』) の忌日。<73歳>
チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin)は、1809年2月12日 生まれ。英国の自然科学者。1831年、ケンブリッジ大学で、神学と自然科学を学ぶ。『進化論』を提唱した人としてしられている。
ダーウィンの進化論は、生物の種が時間とともに変化するものであり、現在見られる様々な生物は、その変化の中で生まれてきたものであるという学説。ダーウィンはガラパゴス諸島で島ごとにフィンチやゾウガメが少しずつ異なっていることを知る。後に、このガラパゴス諸島での観察から着想を得て「自然淘汰」による進化論を『種と起源』によって発表したのは1859年のことであった。このなかで、自然選択(自然淘汰)、生存競争、適者生存などの要因によって、常に環境に適応するように種が分岐し、多様な種が生じると説明した。しかし、このときには、まだ、動物の進化について記しただけで、人間の進化の問題にはほとんど触れてはいない。又、この本のタイトルは『種と起源』となっているが、この中では「進化」を論じているだけで、「起源」は論じられていない。ただ、ダーウィンは、種の起源」を発刊したとき、ヒトもサルの一種から進化したであろうことは知っていただろうが、聖書の天地創造説を信じて疑わない人々がいた時代に、ダーウィン自身が、敬虔なキリスト教の信者でもあり、そのようなことを書けば、当時の人々にどのような衝撃を与えるかを心配してその部分を削除したのであろうと推測されている。しかし、それでなくても、当時のヒトには十分なショックを与えただろうことは察せられる。そして、「種の起源」刊行後、大論争の末にようやく思い腰をあげたダーウィンが人間の進化にふれたのは11年後の1871年の『人間の由来』によってであり、ここでダーウィンは人間だけが持つと考えられていた特徴が他の動物の持つ未熟な形質に還元できることを説明し、どのようにして現在のような発展した形質を獲得するに至ったかの仮説を展開したのだそうだ。 DNAと遺伝子という進化の本質が知られていなかった時代の書であるにも関わらず、この本には驚くほど本質を突いたダーウィンの観察眼が表れているという。このことは、「ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1) 」 長谷川 真理子 (翻訳)で詳しく述べられている。
私は、ダーウィンについての知識は、学生時代に学んだことぐらいしか、知らないが、人間や生き物の起源が進化論によって 説明されるとき、全ては偶然に発生し、アメーバから 徐々に何億年もの時間を経て人間に進化したとするが、この ような進化論に対して、聖書の天地創造説では全ては神が創造したと説明していた。昨年4月2日、第264代ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が永遠の眠りにつかれた。ヨハネ・パウロ2世は、17世紀前半、地上説を唱えて宗教裁判で異端とされたガリレオ・ガリレイの名誉を回復したこと、11世紀から13世紀にかけて聖地エルサレム奪回を大義名分にした十字軍による東方正教会やイスラム教諸国に対する残虐行為や「新大陸発見」後の先住民への虐待を詫びたこととともに、ダーウィンの新化論をも認めたことなど、はるか遠い昔にカトリック教会が犯した数々の過ちを認めたことで、世界の宗教者を驚かせたことでしられている。ヨハネ・パウロ2世の主治医だったレナト・ブツォネッティ医師は最近出版した本の中で、ヨハネ・パウロ2世の最期の言葉は「神の御許に行かせてください」だったことを明らかにしたという。ただ、 ダーウィンは、二匹のキリンと一本の高い木を引き合いに出し、首の短いものはエサを摂れずに倒れ、首の長いものが生き残り、その性質が子孫に伝えられて生物は変化していくといったものになるといった簡明な判りやすい理論 を展開している。しかし、進化論のなかでは、魚類から両生類に進化したとされているが、 今まで、魚類、両生類などの化石は多数発見されているが、 その中間型の化石はほとんど発見されていないようであり、これは一つの謎である。 確かに生物の個体についての理論上の進化の過程は、納得できるものの、その生命(「命のタネ」)の誕生が解き明かされたわけではない。生命の誕生については、今のところ、私も、神の創造を信じるしかないように思われる。
また、ダーウィンの「自然淘汰」による進化論の考え方は、弱肉強食、つまり、弱者を排除することを正当化する思想へ結び付けられることもあったろう。現実に、自然の中に生きる動物の世界には、その原理は生きている。そして、今、世界の国の中で、自由主義の名の下に、強いものが勝ち、弱いものは負けて当然・・・これが自然の考え方だといった思想が広まりつつあるように思われる。そのような背景を下に、日本でも、次第に、強いものと弱いものの二極分化が始まっており、強いものが生き残るために弱者が淘汰されようとしているように思われる。進化論の自然選択(自然淘汰)、生存競争、適者生存などの要因から、これからの人間はどのような人間へと進化?するというのだろうか????。ヨハネ・パウロ2世じゃないが、仏教徒である私は、ただ、少しでも仏に近いところへ行きたいと願っている。生物の進化については、私のブログ今日(4月17日)は「恐竜の日」でも少し触れたので、興味のある人は見てね。
(画像:「ダーウィン著作集〈1〉人間の進化と性淘汰(1)」 翻訳,:長谷川 真理子 )
参考:
チャールズ・ダーウィン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3
進化論 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E8%AB%96
生命のよもやま話
http://www.asahi-net.or.jp/~pw2t-mnwk/Life/index.html
実験観察で学ぶやさしい生物学・第7回進化
http://www.geocities.jp/nomuk2001/community2/shinnka/shinnka.htm
ダーウィニズム 
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/4270/imanishi/Daw.html